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漱石と時代を活写した「ミチクサ先生」 谷津矢車が薦める新刊文庫3点

谷津矢車が薦める文庫この新刊!

  1. 『ミチクサ先生』(上・下) 伊集院静著 講談社文庫 上下とも913円
  2. 『がいなもん 松浦武四郎一代』 河治和香著 小学館文庫 858円
  3. 『すべてはエマのために』 月原渉著 新潮文庫 781円

 今回は「近代を舞台にした広義の歴史小説」で選書。

 日本小説史における巨人、夏目漱石(金之助)を主人公にした(1)は、人生の道草を食い続けつつ、軽やかに人生を謳歌(おうか)する一人の明治時代人の姿を活写する。それとともに、同時代を生きる文学者の光芒(こうぼう)のみならず、政治、社会、風俗、ひいては日本の近代そのものが綾(あや)織りになって叙述される。前近代のくびきから逃れ大きく羽ばたこうとしている日本と、その中で自分の居場所を探そうとする人々の群像は、若木の成長を見るような健やかさに満ちている。

 江戸期に蝦夷(えぞ)地を旅し、同地を北海道と名付けたとされる松浦武四郎を主人公にした(2)は、絵師河鍋暁斎(きょうさい)の娘、豊(とよ)(暁翠〈きょうすい〉)と武四郎の交流の中で繰り広げられる昔語りから、武四郎の来し方を描く。近代を用意する時代としての前近代を活写すると共に、前近代、近代日本が推進した、蝦夷地、北海道政策の暗部に光を当てていく。近代の階(きざはし)を駆け上がる道程で、我々は何をしてしまったのか。本書はもう一つの日本近代を抉(えぐ)り出している。

 著者のシリーズ「使用人探偵シズカ」の一作と目することもできる(3)は、第1次世界大戦末期のルーマニアを舞台にした時代ミステリ。雪に閉ざされた屋敷で見つかった仮面をつけた状態で事切れた死体の謎を解く。本作の歴史時代ものとしての魅力は、「近代ルーマニアだからこそ」成立するミステリであるところに集約される。ミステリのロジックに近代の時代性が組み込まれた逸品。=朝日新聞2023年8月5日掲載