大阪は箕面市にある「きのしたブックセンター」という書店が、作家の今村翔吾さんがオーナーになりリニューアルオープンした、という記事を目にしたのは、2021年の終わり頃だった。
本を書く人が自ら書店を始めるとは。大変興味深いと思い、取材依頼をするものの、『塞王の楯』(集英社)が直木賞を受賞したタイミングと重なり、日程が合わないままになっていた。
箕面は大阪市内から少し離れているので、出張のついでに立ち寄るのはちょっと難しい。「いつか行けたらなあ」と思っていたところ、今村さんがナビゲーターをつとめるラジオ番組に、担当編集のよっしーがゲストでお呼ばれすることになった。これは再交渉のいい機会! と思っていたら、あっという間に取材日程が決まった。
まさかのご本人登場
ということで初めて訪れた阪急電鉄箕面駅を過ぎると、小高い丘のような低山が見えた。大阪市のベッドタウンなのに温泉もあるらしく、なかなか住みやすそうだ。しかもミスタードーナツの日本1号店は箕面で爆誕していたようで、当時を彷彿させる内観の店舗から少し歩くと、お目当てのきのしたブックセンターが見えてきた。
中に入るとまずはコミックと参考書、児童書や雑誌が目に付く。そんな店内を見渡していると……今村さんがやってきた!
1967年に創業した大阪の本屋を、京都出身で滋賀在住の今村さんが続けることになったいきさつについて、教えて欲しいのですが?
「友達がM&Aの会社をやっていて、久しぶりに会った時に『書店の引き継ぎ案件の話があるんだけど、お前どう?』みたいなことを言われて。『いやいや、作家と書店は違うでしょ』とは言ったものの、僕自身も気になったから1回見てみようと思って」
「それで行ってみたら、箕面駅周辺には本屋がここにしかなくて。訪ねた日は雨でお客さんも少なかったし、在庫も少なかった。でも、たまたま小学校2、3年生ぐらいの女の子とおばあちゃんが来ていて、それを見ていて『自分も子どもの頃、おじいちゃんとよく本屋に行ったなあ』って思い出して。この女の子にとって本屋って、本を買うだけじゃなくて思い出を作る場所でもあるんだなって思ったんです」
とはいえ、勢いだけで決めたのではなく、採算を考えると厳しいこともわかっていた。今村翔吾事務所のスタッフを路頭に迷わせるわけにはいかない。どうしようかと悩んだところ、彼女たちから「やりたいんやったらやった方がいい」と後押しされたという。
「実は書店の売り上げからは給与を取っておらず、僕には1円も入ってきていません。でも、やって良かったなと思うことがあって。ひとつは、自分が関わっている書籍が流通する業界の構造がわかったこと。もうひとつは、自分が出演するイベントの時に、きのしたブックセンターの在庫を持っていけることです」
大人数が集まる講演の場合は、地元の本屋さんに書籍販売の協力をお願いすることもあるが、小さい会場の場合、人件費などのコストを差し引くと、かえって赤字になってしまう可能性もあるそうだ。しかし自前の在庫を移動本屋としてスタッフが販売すれば、他店に負担をかけない上、利益をきのしたに還元することができると語った。
こだわりではなく、街の人が欲しい本
なるほど、そういうメリットもあるのか……と思いながら、今村さんに店内を案内してもらう。
「ちょっと、サッサ持ってきて~」
今村さんはディスプレイのほこりを見つけるや、自ら掃除を始めた。サッサといえば関西が誇る金鳥(大日本除虫菊)のお掃除クロスだけど、関東の人間はこういう時、茅場町の花王が作る「クイックル」って言いがちだなあ……。しかし作家プロデュースの書棚って、その人のこだわりが溢れることが多いけれど、さっと見渡す限りは本当にベーシックな、「街の本屋」といった風情ですよね?
「僕のこだわりとかはぜんぜんなくて。街に溶け込んで存在する本屋であった方がいいと思ってて。たまに『これ入れといた方がいいよ』とか言うんだけど、それは本当のごくたまに。僕が『これは置きたい』と提案しても、『そんなに売れない』と言われることもある。でもこの間、長く売っていけばいいと思って珍しい本を置いたら、結構反応が良かったね。本屋って、そういう積み重ねなんだなって」
「あと、箕面の特徴なのかもしれないけれど、意外に女性誌が人気があって。人口に対して飲食店の数が多いから、お店の人が買っていくってのもあるかもしれない。50坪弱の広さしかないので、置けるものは限られてるよね。これ以上のものを求めるなら、もっと大きな街の書店に行ってくださいっていう諦めはあるけれど、お客さん一人ひとりの顔が見られる、ギリギリの広さなんじゃないかな」
この日のスタッフは2人で、うち1人は店長の奥村高広さんだった。尼崎出身、西宮育ちでミステリーやサスペンス小説が好きな奥村さんは、以前は別の書店で働いていたが、5年ほど前からきのしたブックセンターで働いていると語った。
「以前はもっと雑誌が多かったのですが、今村さんが来てから文芸の棚が厚くなり、時代小説が増えましたね。新刊が出るたびに来てくれるお客さんもいらっしゃいます」(奥村さん)
入口すぐの、一番目立つ場所にはサイン本コーナーがある。これを求めてくる人も多いのでは?
「やっぱサイン本は、売り上げが強いよね。多分、僕のサイン本が欲しいけれど、他の本屋では売り切れて手に入らなかった人たちが、最後に訪れる砦みたいになってると思う。ここに来てなかったら諦めることになるから、在庫は切らさないようにしてるかな」
いつでも推しのサイン本が買えるとは! でも自身のものだけではなく、知り合いやイベントで共演した作家にもサインをお願いすることはあるので、タイミング次第だが今村翔吾オンリーということもないそうだ。
ノウハウを伝授したい
しかしラジオ番組のレギュラーにニュース・情報番組のコメンテーターに、連載小説は現在7本+エッセイと、いつ寝てるんですか! というほど多忙な日々を送っているのに、店を続けるのはなかなか大変じゃないですか?
「社団法人も設立したし、2018年からずっと休んでないなあ。僕の小説って時代小説だけど、『現代的過ぎる』って意見があるんです。でも今までいろいろ言われたことを受け入れてきたけれど、そこは唯一譲らんところで。だって読むのは、現代の人でしょ。『茜唄』を現代的じゃなくするなら、全部古文で書くけどいいんやなって(笑)」
「僕はね、時代を変えることは、未来を夢想する名もなき人たちがチャレンジしては消え、チャレンジしては消えての行き着く先だと思っているし、大衆小説の正義は、面白いことだと思ってる。だから作家としても本屋としてもそれは同じで、望まれるものを提供することをブレずに続けていこうと」
困難な状況でも本屋を続けたい人に、ノウハウを伝授することも視野に入れていると語る。
「一人で独占するつもりはないから、本屋をやりたい人がいたら教えるよ。街から本屋がなくなって、インターネットでしか本が買えなくなったら、読む人が結果的に損することがあるんです。それは、新人作家が育たないということ。書店で見て『よく知らないけど面白そう』とか、直感で買われた本が話題になって、そこから成長した新人作家は今までに何人もいます」
「でもネットだと、最初から候補を絞っての狙い買いになるじゃないですか。そうなると、知名度がなくても面白い作家が発掘される機会がなくなり、結果的に皆が悲しい思いをすることになる。もちろんネットは便利だけど、実店舗でも本を探して欲しい。だからきのしたブックセンターは続けていくし、そのための資金は小説で稼ぐから。うん、僕に任せとけって」
そう言って笑った顔と向き合ったら、今村作品に登場する、数々の漢たちがまぶたに浮かんできた。
戦いは勝つばかりじゃなく負けることもあるし、むしろそちらの方が多いかもしれない。でも、やったことで残せるものや、変えられる未来はある。それは戦国時代のいくさも現代の本屋も、もしかしたら同じかもしれない。
私もいつか本屋をやりたくなったら、まずは今村さんに相談しよう。会いに行ける作家&書店主と出会えた嬉しさをかみしめながら、箕面の街をあとにした。
(文・写真:朴順梨)
今村さんが選ぶ、今も記憶に刻まれている3冊
●『十一番目の志士』司馬遼太郎(文藝春秋)
これは歴史小説なのか、時代小説なのか、はたまた伝奇小説なのか。それぞれの塩梅が素晴らしく、作家としての参考書としても秀逸。司馬遼太郎といえば、『竜馬がゆく』『燃えよ剣』あたりが代表作とされることが多いが、これこそが真骨頂ではないかと思う。
●『文身』岩井圭也(祥伝社)
私にとっては数少ない「同期」と呼べる作家である。そういった意味で彼の発表するものは常に記憶に刻まれているかもしれないが、本作は特にそうである。どのようなテーマでも小説にする器用な作家だと解っていたが、このようなものも書くのかと驚いた。虚と実の狭間をゆく迫力がある。
●『紙の月』角田光代(角川春樹事務所)
読み終えた時、何を思うのかは人によって、感想が大きく変わるかもしれない。ある種、読み手の人生を反映させる小説である。誰にでも有り得る話。ほんの些細なことが人生を大きく変える。私にもこのような一生があったのか、あるいはこれから待ち受けているのか。そのような事を考えたのを記憶している。
アクセス
【好書好日の記事から】
>今村翔吾さん「茜唄」インタビュー 源平の戦い、敗者の視点で現代に問う「新・平家物語」