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韓国ベストセラー小説「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」著者ファン・ボルムさん×中江有里さん対談 自分らしい生き方って、何だろう

――書店が舞台の小説を執筆した経緯を教えてください。

ファン:私は当時、1冊のエッセイ集を出版していましたが、なかなか2冊目を出せずにいました。そこで一回、小説を書いてみようと思ったんです。小説では私の好きなもの、自分自身が読みたいものを書こうと思いました。私は本が好きで、本を読む人も好きでした。エッセイ集でも本や読書について書いていたので、書店が舞台になるのは自然な成り行きでした。もともと小説家をめざしていたわけではなかったので、肩に力を入れずに執筆することができました。

中江:とても面白かったです。日本でも書店を舞台にした小説はいくつも出ていますが、そこでは書店がどこかファンタジックな場所として捉えられていることが多いように感じます。一方、この「ヒュナム洞書店」では、書店はいろんな人が集まる居場所でありながら、同時に現実的な側面も描かれていました。主人公のヨンジュさんが、売り上げや経営についてシビアに考える場面もありますね。

 実は私の母は喫茶店を経営していました。お店を経営するということは、自分の理想をそこで実現することですが、一方で現実が重くのしかかってくることもある。そうした苦い部分、そしてその上でやっていく覚悟を含めて描かれていて、非常にリアルで斬新だと思いました。

――本作の登場人物は、受験や出世などの競争社会から離脱して、自分らしい人生を生きようと模索しています。そうした登場人物を描いたのはなぜでしょう。

ファン:韓国では多くの人々にとって、良い大学に行って、大企業に勤めて、結婚してお家を買って、子どもを育てるということが夢であるかもしれません。でもそれができたからといって、幸福が保証されているわけではない。統計では韓国人は幸福度や人生の満足度が低いという結果も出ています。

 成功のルートをたどれない人たちは、自分のことを失敗者のように感じてしまう。しかし、私はこの小説でみんなと同じ成功を目指す必要はないこと、つまり社会的に成功しなくても、親の期待通りに生きることができなくても、自分の人生を好きになることはできるということを伝えたかったんです。

Jimin Seong ⒸClayhouse

ゆったりと、答えをみつける

――本作は、世界を席巻した韓国ドラマ「愛の不時着」や「イカゲーム」のように、ドラマティックな展開があるわけではありません。しかし、韓国で25万部ものベストセラーになって、多くの人々を魅了しています。その背景をご自身ではどう分析しますか。

ファン:実は私も、普通の人々のささやかな物語がこんなに多くの人々に受け入れられるとは思っていなかったんです。おっしゃるように、特に韓国の作品であれば、誰か悪役がいてハラハラしながら読み進めるような作品が人気かもしれません。でも、読者からはすごく楽な気持ちで読むことができたという話を聞きました。

 もしかすると、みんな本当は社会的な成功を望んでいるわけではないのかもしれません。この小説の登場人物たちのように、心の通う人たちと一緒におしゃべりをして、人間関係を築いていく。それに満足しながら生きることを望んでいるんじゃないかと感じました。

中江:この本を読んで私が感じたのは、大人になって自分の生き方を方向転換するのはとても難しいということです。男子高校生のミンチョルが出てきますよね。10代でまだ社会に出ていない彼ですら、どうやって社会に足を踏み入れるか、非常に躊躇があって悩んでいることが描かれている。

 他の登場人物もみんな、自分の理想的な生き方と生活を両立させることの難しさに対峙しています。それは私たちも同じだと思います。こう生きたいという理想があっても、それでは生活ができない。生活するほうに比重を置けば、自分の理想からは遠ざかる。その矛盾のなかで自分の答えを見つけていく。そうした姿がゆったりと描かれているのが、多くの人の共感を呼んでいる理由だと思いました。

――中江さんは印象に残った登場人物はいますか。

中江:主人公のヨンジュさんが一番印象に残りました。最初はこんなに自信がなくて、どうして起業したのかなと心配になりました(笑)。でもそんなちょっと弱いところが、自分にもとても通じるように思いました。

 私は芸能界に入ったときに、その先どうなるのかさっぱりわかりませんでした。何年続けていけるかもわからない。そんな状況で始めたので、不安でしょうがなかった。でも、始めたからには進んでいくしかない。大海の中を浮き輪で泳いでいくような気持ちでした。だからヨンジュさんと自分を重ね合わせました。

ファン:私は大学でコンピューター工学を専攻しましたが、それは単に就職で有利だったからでした。それで大企業に入ることができましたが、いざ仕事を始めてみると自分には合わなくて幸福度は低く、燃え尽きてしまいました。作家になってからやっと、どんな夢を持って、どう生きていくかを考えるようになりました。登場人物たちと重ね合わせていますね。

書店は出会いの空間

――本作は大型チェーン書店ではなく、独立系書店が舞台です。ファンさんは書店をどういう場所として描こうと思いましたか。

ファン:韓国の独立系書店は本を売る空間だけではなく、人との出会いの空間になっていると思います。韓国には対話や討論をする空間、自分の考えを正直に吐き出す空間があまりありません。しかし、最近の韓国の独立系書店では、読書会やトークショーがあって、作家や読者と出会うことができる。そこで自分の内面で感じているモヤモヤを伝えたり、誰かの考えを聞くことができたりする場所になっていると思います。

 韓国の人たちは、自分の生き方をしっかり見つめ直す機会があまりないように思っています。もしくは、その時間自体を怖れているのかもしれません。ヒュナム洞書店は、登場人物たちが孤独を感じずに、快適に自分を見つめ直す場所になっていると思います。

中江:人との出会いの空間になっているというのは、日本の独立系書店とも非常に似ていますね。独立系書店は書店主の意向がはっきりと書棚や空間に反映されています。そんな空間に自分の身をおいて、誰もが知るベストセラーではなく、書店主が選んだ本を手にとってみたいという人も多いと思います。

 私は東京に馴染みの独立系書店が何軒かありますが、特に地方に行ったときにそういう書店があれば足を運んでいます。最近は書店主がひとり出版社を同時にやられていることもあって、その土地に行かないと買えない本との出会いがあるかもしれないと期待をするんです。

Jimin Seong ⒸClayhouse

「休むこと」を大切に

――「ヒュナム洞」の「ヒュ」の字は漢字の「休」にあたり、だからこの場所を選んだと作中にありました。「休むこと」と「働くこと」の切り替えが一つの主題となっていますが、お二人は「休むこと」を大切にされていますか?

ファン:よく休んでいますね。今度出すエッセイのなかに「よく休んでいるという答え」という章があります。いつからか、予定を全部埋めることがなくなりました。年齢を重ねて体力的に一生懸命走り続けられないこともありますが、一日にあまり多くのことをしすぎないようにしようと意識していました。いくつかやることだけをやって、あとは散歩をしたり、本を読んだり、映画を見たりして過ごしています。

中江:私は休みたいと思いつつ、しっかり休めていないかもしれません。この本では読書会で『働かない権利』(デイビット・フレイン著、未邦訳)という本を取り上げていて、すごく考えさせられました。私たちの社会では仕事をするのが当たり前になっています。常に仕事に追われているか、もしくは仕事を追っているか。まるで仕事と競争しているみたいで、ずっと離れられないんです。

 なぜ働いてばかりかを考えると、生活のためであり、仕事相手との約束を守るためでもありますが、一番の理由は何もしていないという罪悪感に襲われるからだと思います。でもこの小説を読んで、休むのはすごく大事なことだと改めて感じました。私は会社勤めでなく、家でも仕事をしているような状態なので、意識して休まないといけませんね。

――ファン・ボルムさんも会社員時代には、何もしないことに対する罪悪感はあったのではないでしょうか。

ファン:会社員時代は毎日たくさんの仕事があったので、何もしないという状況がなかったかもしれませんね。会社を辞めてからも、作家養成講座に通いながら、たくさんの文章を書いていたので、この小説を書くまではまったく休んでいなかったんです。よく韓国で歌手の人生は曲名に追随するといいますが、作家も書名を追うような生き方をすると思います。私もこの小説を出してから、意識して休むようになりました。

小さな一歩を踏み出す助けに

――今後はエッセイと小説、どちらを主軸に書いていきますか。最後に日本の読者に向けてメッセージをお願いします。

ファン:エッセイ集は準備している刊行予定のものがありますが、実は出版社からの依頼は小説のほうが多いんです。小説家でたまにエッセイを書く方がいますが、私はその逆で、エッセイを書きながら時々小説を書けたらと思っています。

 本作を執筆してから小説も書いてみたいと思うようになったんです。今準備中の新作エッセイでも、休むことをひとつのテーマにしています。読者のみなさんに楽しく読んでもらえて、「自分もちょっと休もう」と小さな一歩を踏み出す助けになれたらと思っています。

中江:ファン・ボルムさん、今日はありがとうございました。「ヒュナム洞書店」の続編にも期待しています。(親しい関係が描かれた)ヨンジュさんとスンウさんのその後が気になっています。

ファン:もし続編を書くことになったら、中江さんのことを想像しながら書くようにします。ありがとうございました。