瀬尾作品の「会話」ファン
――上白石さんは以前から『夜明けのすべて』が好きだったそうですね。
上白石萌音(以下、上白石):私は元々、瀬尾さんの作品が大好きで、何作も読ませていただいているのですが、特に登場人物同士の会話がとても好きなんです。淡々としているように見えて、実はすごくおもしろいことを言っているんですよね。『夜明けのすべて』はそこが突出しているように思います。藤沢さんと山添くんの、穏やかなんだけど柔らかいエッジの利いた会話がたくさん出てきて、私のような瀬尾さんの「会話ファン」にはたまらないようなシーンばかりなんです。大好きな作品がまた増えたなという気持ちで読みました。
――瀬尾さんは最初にこの作品の映画化のお話を受けた時、どんなお気持ちでしたか?
瀬尾まいこ(以下、瀬尾):純粋に嬉しいという気持ちでした。大体、映画化のお話って、実際に完成まで至ることはあまりないので、私も初めの頃は「そうなんだ」くらいに思っていたのですが、こうして映画が無事完成して良かったなと思います。
――PMSという、周囲にはなかなか理解されにくい故の生きづらさを抱える役を深めていくのは難しい作業だったと思いますが、どのような過程を経て藤沢さんに近づこうとしましたか?
上白石:原作の初めに書かれている「いったい私は周りにどういう人間だと思われたいのだろうか」という一文にまず心をつかまれました。「自分はどういう人間なんだろう」ではなく「どういう人間だと思われたいんだろう」にとても共感したんです。
私も周りにどう思われるかを、ときに過剰なくらいに気にしながら生きている節があるので、藤沢さんの一挙手一投足や考えていることがすごく理解できたし、最初から「私はあなたのことが大好きよ」という気持ちでいました。あとはPMSを抱えている役どころですので、私も自分の生理中の体や心の状態を意識して観察するようになりました。
――ご自身の心身の状態を観察してみて、何か気づいたことはありましたか?
上白石:自分では「大丈夫」と思っていても、かなり波があるなということに気づきました。特に生理前は、普段だったら全く気にしないようなことにイラっとしたり、それを必死に抑えようとすることにエネルギーを使ったり。多くの女性の方に同じような経験があると思いますが、体もしんどいですし、心も過敏になるみたいなので、自分の中にある小さい藤沢さんに目を向けて「私の中に藤沢さんはいる」と思いながら、そこをどんどん育てていくような感じでした。
――その他に、上白石さんがこの作品と出会ってよかったと思ったことはありますか。
上白石:パニック障害についても、私は今まで一端的なことしか理解していなかったのですが、この作品を通して視野が広がりました。それに、藤沢さんと山添くんだけでなく、心や体に何かしらの問題を抱えているような人たちとどう接しようか、どういうことが優しさとしてその人に届くのかといったことへの現実的なヒントがたくさん詰まっているので、人と接する時にふと思い出すような作品だなと思います。
――瀬尾さんは上白石さんと松村(北斗)さんの演技をどうご覧になりましたか。
瀬尾:完成した映画を見せてもらって、原作と大分内容を変えている部分があるにも関わらず、原作の世界そのままだなと感じました。いつも自分が書いた小説が映画になったものを見ると、自分の書いた話よりももっと素敵に、ドラマチックになったものを見ている気がするのですが、今回の映画は私が書いた、自分が本当によく知っている世界を見た気がしました。
上白石さんも松村さんも登場人物そのものでしたね。私自身がパニック障害なので、同じ障害を持つ方の症状や気持ちは分かりますが、藤沢さんのPMSも、体や精神面のしんどさや、自分で自分をうまく動かせない辛さがとても伝わってきて、共感しました。
上白石:瀬尾さんにそう言っていただいて、めちゃくちゃ嬉しいです! 感動して鳥肌が立ってきちゃいました(笑)。今のお言葉、松村さんにもお伝えしたいな。
「特別な人」の「特別な話」にならないよう
――瀬尾さんは本作をご執筆されるにあたって、どんなことを主軸にされたのですか?
瀬尾:さきほど上白石さんがおっしゃったように、私もパニック障害になるまではそういう人たちのしんどさが分からなかったけど、自分も同じ病気を患ったことでその気持ちが分かるようになりました。でも、みんながいろいろな「しんどさのかけら」を持っていると思うんですよね。この作品を「特別な人」の「特別な話」にならないようにはしたいなと思っていました。
あとは、いつも作品をおもしろくしたいと思っているので、暗い話にはならないように、病気を抱えながらでもどこかホッとできるような話になればいいなと思いながら書きました。
上白石:今の瀬尾先生のお話、すごく腑に落ちました。どの作品の主人公も何かしらのものを背負っていて、そこを取り巻く環境ってどこか物語的ではあるけど、当人はそのことを「特別なこと」だと思っていないんですよね。
『そして、バトンは渡された』はまさにそうで、優子ちゃんは自分の家族を特殊だとは思っていない。私は少なくとも自分はとても普通だと思っているし、藤沢さんも「自分は普通だ」って思っていると思うんです。三宅(唱)監督と話していて印象的だったのが、PMSの人は最後に「でも、私よりしんどい人はいっぱいいます」と言うんですって。きっとみんな「私は特別じゃない」という思いを抱えながら生きているのかなと感じています。
――「自分は『特別』ではなく『普通』なんだ」と思うことで我慢して一人で抱えてしまう面と、「大したことじゃない」と少しプラス思考にも思える面がありそうですね。
上白石:自分のことを「普通」だと思っている人も、端から見たらすごく特別でおもしろい人かもしれないし、それは悪い意味じゃなく、素敵なオンリーワンですよね。そういう「人ってそうだよな」と思うことが瀬尾先生の作品にはたくさん詰まっている気がします。だから登場人物たちのことを「この世界のどこかにいる人」として好きになれるし、スルスルと体に入ってくるんだろうなと思います。
「生きづらさ」は何かの糧に
――「生きづらさ」を描いた本作ですが、同じような思いを感じたことはありましたか。
上白石:私も生きづらさを感じることはありますが、モヤモヤやイライラ、悲しさを全部他の何かに使おうって思っているんです。例えば「この感情はお芝居に使える、いい引き出しをもらったな」と思うようにしています。それに、辛い思いをしている人の気持ちは同じ思いをしたことがある人にしか分からないので、今これで苦しむことによって、この先誰かに「分かるよ」って言ってあげられるかもしれないなと思うんです。
それは自分自身にも使えて「あの時あれだけ苦しかったけど、頑張れたんだから今も大丈夫」という糧にもなりますし、ちゃんと理由があって「今辛いんだ」と思うようになったのが、最近見つけたスタンスです。
――そういう方向に負のエネルギーが使えたら自分も少し楽になれるし、強みにもなりますね。
上白石:そうですね。これは最近できた強みかなと思います。もちろん、ネガティブな気持ちは心が痛むし、しんどいですけど「せっかくなら辛い思いも全部味わおう。どんと来い!」っていう気持ちです(笑)。
――瀬尾さんはご自身のモヤモヤや辛い感情に対しての解決策は何か持っていますか?
瀬尾:私は基本的に打たれ強い方だと思うし、大きな病気以外は「なんとかなる」と思っています。うちは母子家庭で小さい頃は貧乏だったんですけど、その後ちゃんと教師になったので、同じような境遇や経験のある人の気持ちが分かって「ラッキー」と思ったし、入院しても「次はこういう風にやればいいや、それが分かってラッキー」と思える時もあります。でも、私はまだ上白石さんのように「辛い思いもどんと来い!」とまでは思えないのですが……。
上白石:いえいえ、実は私も虚勢を張っているだけです(笑)。だけど、人に言ったらそういう自分になれそうな気がするし、いつか本当にそんな自分になれることもあるかもしれないと思っています。