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想像の現場を基点にことばを「提示」 第5回大岡信賞受賞・荒川洋治さん寄稿

荒川洋治さん

 小学六年のとき、新聞の国際面の記事をこまめに書き写し、「国際情勢」というノートを数冊つくった。一九六一年のことだ。

 当時はベルリン問題、パレスチナ問題の他、カシミール、コンゴ、西イリアン、ゴアなどで領土問題があった。どれも深刻なものだ。子どもだけれど、何か書きたかったのだ。

 係争地の略図は、色鉛筆で書き分けた。最後のページに、発行所のつもりで「文学少年少女協会」というゴム印をおした。長い橋を渡ったところにある町のハンコ屋さんに、つくってもらったのだ。地理と歴史のノートなのに「文学」になっているのは、いま考えると少し面白い。

 今回の詩集『真珠』は、そんな思い出を取り入れたので、外国のことも出る。都内の喫茶店で、おじいさんが、おばあさん相手に、プロ野球と日本社会党の歴代の委員長の話をしていたら、突然二〇年前のユーゴスラビアの戦場の母子像に切り替わる詩。台湾の霧社事件と、聖フランチェスコが草原でハンセン病の人を抱きしめる場面の詩。マリウポリ(ウクライナ)と、チェーホフの故郷タガンログ(ロシア)の距離が近いことと、近年登場した配膳ロボットの可憐(かれん)な動きを並べる、というように時空の異なる情景を行き来することになった。脈絡がないので、自分でも説明のつかないことがある。

 でも、想像の現場を基点にしたいのだ。そのとき浮かぶことは、そのまま書く。関係が見えなくても自由に書いていく。そのために一編の詩のなかに二つ、あるいは三つの光景が現れて交差し、溶け合い、ときには背きあう。一つの詩で一つのことを扱うシンプルな書き方ではないので、混然としたものになる。それは現実世界に向き合うときの、心の状態を映し出すことにもなる。でもこのままでは伝わりにくいだろう。

 大岡信は、初期の名著『現代詩試論』(一九五五)で、「詩の言葉にあっては、伝達よりも提示こそ究極の問題であるように思われる」とする。それでいうと、いまは、通りのいい表現がよろこばれる。いうならば「伝わりすぎる」ことばが社会をつくりあげているようにぼくは思う。「易々(やすやす)と伝わる」あるいは「伝わりすぎる」ことは、ことばにできない領域や、本来見るべきものを切り捨てているあかしでもある。こうした単純化の動きにさからう書き方を編み出すことも大切だ。

 詩のことばは普段から、光の届かないところ、見えない場所を漂っているので、隠れたもの、消えていくものを指し示す可能性をひめる。「提示」は、詩のありかたを示す語としていまも重要であり、有効だと思う。

 歴史上、あるいは現代の社会で、どんなにつらく、悲しい場面があっても、それを知ること、感じること、確かめることには意義があると思う。書いていて、何か妙なところを通過したと感じることもある。そんなひとときをだいじにしたい。=朝日新聞2024年4月3日掲載