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大矢博子さん注目の時代小説3冊 作中歌が映す心、人物造形の妙

  • 香子(かおるこ) 紫式部物語
  • 歌人探偵定家 百人一首推理抄
  • 惣十郎浮世始末

 昨年末から刊行が始まった帚木蓬生(ははきぎほうせい)『香子(かおるこ) 紫式部物語』が、4月に全5巻で完結した。

 香子(本作での紫式部の本名)の幼い頃に始まり、その一生を描いた大河小説だが、興味深いのは『源氏物語』が作中作として挿入されること。著者の現代語訳による『源氏物語』と香子の生涯が並行して語られ、香子がその帖(じょう)を綴(つづ)ったときの思いも加えられる重層的な構造に驚いた。

 和歌や漢文の引用も多く、その解説がしっかり為(な)されているのも目を惹(ひ)く。特に『源氏物語』では登場人物の語りに時の政治への忖度(そんたく)や恋の駆け引きなどが入って本音が見えない。和歌でようやく心のうちがわかるのだ。こちらもまた重層的なのである。

 香子は光源氏ではなく「十人十色の『蜻蛉日記』」を書きたかったとする本作。和歌を通じて女性たちの思いが伝わってくる。大河ドラマの紫式部とは人物造形が異なるが、ドラマで『源氏物語』に興味を持った人はぜひ。

 その紫式部の和歌が登場するのが羽生(はにゅう)飛鳥『歌人探偵定家 百人一首推理抄』だ。鎌倉時代初期を舞台に、藤原定家が探偵役、平保盛が語り手の、トリッキーな本格ミステリの連作である。

 他殺死体のそばに紫式部や在原業平の和歌が添えられていたり、放火事件のほのめかしに菅原道真の歌が使われたり。前出の『香子』とはまったく別の方向から和歌の楽しさや奥深さを味わえる。トリックを使った殺人や放火、密室からの人間消失など扱われる事件はもちろんフィクションだが、背景となる歴史を物語にうまく取り入れている。歴史好きもミステリ好きも楽しめる一冊だ。

 今季のイチオシは木内昇(のぼり)『惣十郎浮世始末』。倹約令や疫病などで江戸の町に閉塞(へいそく)感が漂っていた天保年間を舞台に、定町廻(じょうまちまわり)同心の服部惣十郎が火付けの下手人を追う。浮かび上がってきたのは、流行する疱瘡(ほうそう)と予防のための種痘を巡るある思惑だった……。

 主筋となる火付けのみならず、詐欺や窃盗、殺しなど、日々の探索に駆け回る惣十郎。ひとつひとつの事件の顚末(てんまつ)はもちろん読ませるが、何より人物がいい。岡っ引きや同僚、医者、下女など脇を固める人々が生き生きとしていて魅力的なのだ。その一方で、さまざまな後悔や迷いを抱えながらも懸命に生きる人々も登場し、読者を涙させることになる。ぜひシリーズ化してほしい。

 本作で描かれるのは、人は間違うことがある、という厳然たる事実だ。だが間違いを認めずそのままにしておくのか、それともやり直すのかで大きく道は分かれる。疫病や政治に振り回される庶民の様子はそのまま現代の映し鏡だ。私たちは間違いを放置していないかと強く問いかけてくる一冊。=朝日新聞2024年6月26日掲載