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わたりむつこさん「はなはなみんみ物語」3部作インタビュー 戦争体験での切実な願いが小人の物語に

滅亡と復活のファンタジー

――「はなはな」と「みんみ」という小人の双子の男の子と女の子が、両親と白ひげじいさんと合わせて5人、森の木の家で仲良く暮らしています。ある夜、おじいさんの歌に隠された“魔法”に気づいた双子が空を飛び、不気味な「羊びと」を見てしまいます……。小人の子どもたちの冒険を描いた長編ファンタジーですね。

 最初は気持ちいい木の家に住んでいる小人一家ですが、“小人大戦争”で滅んだはずの他の小人の生き残りが、もしかしたらどこかにいるかもしれないと、仲間を探す旅に出ます。小人の子どもたちは、旅で新しい世界を知っていきます。会ったことのないもの、体験したことのない出来事に遭遇(そうぐう)し、命をおびやかされるような恐ろしい思いもする……。出会いと友情が生きのびる力になっていく……。子どもが成長して世の中に出ていくときと同じですね。

『はなはなみんみ物語』より

――1巻の『はなはなみんみ物語』は1980年のサンケイ児童文学出版文化賞を受賞しました。森の生活から、2巻『ゆらぎの詩の物語』では海辺の生活へ。海の収穫物から家や楽器を作るはなはなたちですが、ここは「ゆれる大地」でした。海に潜り“ゆらぎの謎”を探ります。

 発表当時は、“小人大戦争”を下敷きにしたこの物語が、過去の戦争や戦後と結びつけて評論されたこともあったけれど、私自身はこれを「人間の滅亡と復活」を描いたファンタジーだと思っています。

――3巻『よみがえる魔法の物語』では「いのちの幕」という人工的なドームの中で生き残ろうとした小人たちが登場します。

 はなはなとみんみたちが旅をして、小人族の故郷「満月本土」にたどり着くと、一面荒れた土地にドーム状の「いのちの幕」があらわれます。その中には戦争から逃げて隠れた小人族がいて、だんだん生きる力を失い、絶滅しかかっているとわかるんです。外からはなはなとみんみたちが幕を壊そうとしますが、失われた魔法を復活させない限り、幕を破ることは難しい。そしてドーム状の幕の中でしか生きてこなかった小人が外の世界で生きていくこともまた難しいのです。

 人間が自分たちに快適な都市を作り、その中で生きようとするのと変わらないと思います。自然に適応できない生き物なんて弱いものですよ。私だって荒野に放り出されたらあっという間に死んでしまうと思います。

2巻『ゆらぎの詩の物語』

「小人の友達がほしい」という願いに支えられた子ども時代

――はなはなの行動力、みんみの前向きな明るさが魅力的です。困難にぶつかっても小人の子どもたちは元気いっぱいでへこたれませんね。

 刊行当時、なぜ小人の物語にしたのかとよく聞かれましたが、私にとっては必然でした。私は子どもの頃、大人がすごく怖かったのです。戦争中の大人の会話が怖かったし、母が世間や人目におびえる姿も見ていました。兄と一緒に、神戸から、母の実家がある宮城県白石へ疎開しましたが、友達もいないし本当にさみしくて……。あの頃、ポケットに小人の友達を入れて、いつでも小人たちと遊べたらいいのにと願っていました。

――1巻では、山の怨霊「羊びと」に、大がえるたちが、うさぎを生贄(いけにえ)として捧げているため、うさぎがおびえて暮らしています。小人一家を助けてくれたうさぎたちが、互いに疑心暗鬼になる描写がリアルです。

 その描写には戦時中の記憶が影響しているでしょうね。4、5歳の頃の記憶で、灯火管制で暗くして家族で食事をはじめたとき「ドンドンドン」と外からガラス戸をたたかれて「灯りが漏れています」と強い声で言われたことがありました。裸電球に新聞紙をかぶせて精いっぱい暗くしているのに……。心臓をドキドキさせながら、手元の食べ物もよく見えない暗がりの中で食べたのを覚えています。

 疎開先の旧家の屋根裏にはたぶんネズミがいて、夜になると物音がしました。それを私はネズミだなんて思わず、隠れていた小人がこっそり起きてきたのかもしれないと胸をときめかせました。「友達がほしい」「一緒に遊びたい」という子どものときの切実な願いが、小人のお話になったのでしょうね。

『はなはなみんみ物語』より

体験から生まれた物語

――わたりさんの体験が詰まった物語なのですね。

 神戸から満員の疎開列車に乗ってきて、宮城でおりたとき、雪をいただく蔵王山が見えました。ずっと後になって「私は羊びとが住む『銀色つのの山』を見ていたんだわ」と思いました。父は医者で、傷病兵のいる病院を離れられず神戸に残りました。かつて暮らしていた町は焼けて跡形もなくなったと父から聞きました。「満月本土」は焼け野原の神戸、「ゆらぎの柱」の海は、戦後に住んだ福島からイメージが生まれたのでしょう。

『はなはなみんみ物語』より

 戦後、父が海が見える町に住みたいと、福島県原町市(現在の南相馬市)に一家4人移り住み、父はそこで開業しました。そこの海で私はずいぶん遊んだんです。夏に友達と海まで4キロの道のりを歩いていったとき、近づくと松林が見えて波音が聞こえたこと。手前の農家につるべの井戸があり、水がとってもおいしかったこと。わーっとみんなで海の方へかけていって服のまま飛び込んじゃったこと……。まさに「はなはなみんみ」の世界ですよ。「そうか、私は自叙伝(じじょでん)を書いたのだ」とずっと後になって気づきました。私は泳げなかったけれど、荒波に身を任せると、波打ち際までざぶーんと寄せる波に乗ることができるんです。「水くぐりの魔法」の描写はその体験から生まれたのでしょうね。

 3巻『よみがえる魔法の物語』の構想の元になったのは、アメリカのアリゾナ大学に勤める弟をたずねたときのことです。州都フェニックスに向けて真夜中の砂漠を車でひた走っていると、何百キロも先の目指す大都会が、光の幕にすっぽり覆(おお)われて……まるで「いのちの幕」のように見えたの。周囲の暗闇は不毛の荒れ地なのに、あの光の中には大勢の人がひしめきあって暮らしている。満天の星を見上げているとあまりに自然が大きく感じられ、私は空に落っこちて自分が行方不明者になってしまいそうだと、思わず身震いしました。

3巻『よみがえる魔法の物語』

書くときは今しかない

――『はなはなみんみ物語』を書きはじめたのはいつですか。

 71年に児童創作の賞に入賞した『アラスカの七つ星』が刊行されたのが作家として最初の作品。1973年に中谷千代子さんが絵を描いてくださった『いちごばたけのちいさなおばあさん』が月刊絵本になりました。あかちゃん絵本なども書いたけれど、「書きたいものがもっとある」と心の奥からふつふつと溢(あふ)れそうなものを感じていました。

 「はなはなみんみ物語」を書きはじめたのは1978年ごろ、私が39歳くらいの頃です。ちょうど子どもたちが中学生になって、自分の時間が作れそうな、人生のほんのわずかな空白だったのです。

 夫の仕事で2年住んだアラスカから、がんの父の看病のために、幼子とおなかの子を連れて戻ったのが25歳。父をみとり、30代にかけては義父の看病をして、義母とも住んで……。男の子と女の子を育てて、本当に忙しかった。人生にどれだけ時間がもらえるかわからないけど、書くなら今しかない、今書かなければきっと書けなくなると思いました。

 「はなはなみんみ物語」を発表したのは、大学時代の児童文学創作の同好会メンバーを中心に結成された同人誌「バオバブ」です。『ぐるんぱのようちえん』を書いた西内ミナミさんも大学の先輩の同人でとっても楽しい人でした。当時は批評し合うことも活動の一つだったけれど、私は「はなはなみんみ」を書くにあたって「どうしても好きなように書きたい。好きに書かせてほしい」と同人たちに宣言しました。どんどん湧いてくる物語のイメージの後を追うように書きつづり、挿絵も自分で描きました。「しぇしぇしぇ」と鳴く不気味な羊びとたちも、小人たちが手をつないで「空中とび」をするシーンも、挿絵にしたんですよ。

 それを田中庸友さん(当時の「リブリオ出版」の編集者)が見つけて「あなたが思うように自由に書きなさい」と励ましてくれました。その言葉がうれしくて……大きなエネルギーをもらいました。39歳ごろから42歳にかけて、書き続けた4年間、すごく楽しかったんですよ。書いていると、想像して書いたものが、自分の中で本当に存在するんです。彼らがそばにいる気がする。4年間、ほとんどテレビも見ず世の中のニュースからも遠いところで、私はずっと“はなはなみんみの世界”に住んでいました。

「はなはなみんみものがたり」を発表した同人誌「バオバブ」

「バオバブ」掲載の物語冒頭。銀つのの山や羊びとなどわたりさん自らイメージを挿絵にしたそう

滅びを超えて、今を見つめて

――小人族を滅亡に導いた兵器の原料「いかり草」や、小人が加工した「緑の石」、「ゆらぎの柱」「三つの魔法」の謎など、不思議でドキドキするものが描かれています。

 私はファンタジーを通じて子どもたちにいろんな体験をしてほしいのです。自然現象だけじゃなく、人の心の弱さや強さを体験してほしい。生きている以上、私たちはしばしば嵐に飲み込まれそうになります。挫折や葛藤(かっとう)や大切な人の死もあります。子どもたちにはたとえ嵐の中でも、善悪を単純に判断したり、人や生き物を駒のように動かしたりしちゃいけないって、感じてもらえたらなと思います。

――白ひげじいさんは「他人を信じ、他人のいのちを守ろうとするのでなければ、いつかきっと滅亡がやってくる。わしらのようにな……」とつぶやきます。戦争を含め、現代の人間社会はどこへ行きつくのだろうと考えずにはいられません。

 “はなはなみんみの世界”を描いていると、「人間ってなんて小さい存在なんだろう」と思います。アラスカでも雄大な自然を見て思いましたし、アリゾナでも「人間は小人みたいなものだ」と思いました。

 私たちは今も都会という「いのちの幕」で暮らしています。本格的なAIの時代になり、私が自分について語ったとしても、自分が話したことの方が間違いで、AIが言っていることの方が正しいと今に判断されるようになるでしょう。人の知恵に支えられたものが、必ずしも良い結果を導くとは限りません。善の魂も悪の魂も持たないまま優れた能力だけ持ち合わせているのが不気味でもあります。でも時代って……戻ることはできないですね。

 物語では、“滅亡のとき”を飛び越えた小人たちが苦難に遭いながら過去を語り、未来を向いています。終章で私が書き残したかったのは「必ず、命はつながっていくんだよ」ということです。どんなにどん底になっても、決して簡単には滅びない、と。運命の鍵を握るのは、目に見えない私たち一人ひとりの心。そう思って、はなはなとみんみたちを見るとき、“今”というときにいっそう愛おしさを覚えるのです。

【特集「今めぐりたい児童文学の世界」の記事より】
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