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尾崎世界観さん「転の声」インタビュー 転売に揺れるミュージシャン「違和感を表明しないのがいちばん違和感」

尾崎世界観さん=有村蓮撮影

インタビューを音声でも!

 好書好日編集部がお送りするポッドキャスト「本好きの昼休み」で、尾崎世界観さんのインタビューを音声でお聴きいただけます。記事は音声の内容を編集したものです。

純粋な熱狂と転売のズレ

――今作は「母影」に続き、芥川賞候補となりました。尾崎さんにとって芥川賞はどんな意味を持ちますか。

 やっぱりノミネートされると、周りが気にしてくれるのがありがたいですね。純文学はなかなか読んでもらえないけれど、芥川賞が絡むと注目してもらえるので。

――主人公の以内右手がエゴサしまくることから、「エゴサ文学」と銘打たれていますが、尾崎さんご自身は芥川賞候補になってエゴサしましたか。

 しました。いい声も悪い声もありましたが、前回の『母影』と比べて、作品の内容に言及するコメントが多くて嬉しかったです。それは、自分の小説の腕が上がったというより、今作のほうがテーマ性があって、読んだ人が自分の考えを表明したくなるからだと思います。

――チケットが転売されるバンドや、転売されたチケットを買う観客こそプレミアだ、と捉える世界を描いています。音楽業界の敵とも言える「転売」をモチーフに書こうと思った理由は?

 自分自身の中に、転売が良くないことだという気持ちはずっとあります。自分のバンドのチケットが転売されたこともあるし、今も転売されていると思う。でもその事実と、実際にステージに立ったときのお客さんの熱量や歓声にズレを感じるんですよね。どれだけポジティブな空間だったとしても、ライブが終わってネットを見ると、そのライブのチケットを転売した人がいるし、転売されたチケットを買ってライブを観に来た人もいて。それでこのズレは一体なんだろうと興味が湧き、書いてみようと思いました。

――カリスマ転売ヤーであるエセケンは、コロナ禍の無観客ライブをきっかけに、チケットを買ってあえて見に行かない無観客ライブこそ究極のプレミアだと主張するようになります。コロナ禍は尾崎さんご自身にも影響を与えましたか。

 デビュー以来、ワンマンライブにフェス、対バンライブと、毎月何度かは必ずライブをしてきたので、コロナ禍でそれが全くなくなるというのは衝撃でした。すごく気味の悪い世界でしたね。『転の声』はコロナ禍が少し落ち着き始め、だんだん元の世界に戻っていく微妙なグラデーションの中で3年半かけて書きました。その間に自分を取り巻く状況も、考えも少しずつ変化していって。その変化が物語とちょっとずつつながっていくのが、書いていて面白かったです。

推されるありがたさと違和感

――以内が何をやっても「かわいい」で済まされたり、「以内さん声大丈夫かな」と心配されたりしてしまうシーンに「推すことの暴力」を感じたのですが、推されるということは表現者にとってどういうことだと思いますか?

 まずは、とてもありがたいことですね。本当にありがたいし、それがないと活動していけない。自分は音楽さえやれていれば、歌さえ歌っていられればそれで幸せだというわけではないんです。自分が作った作品が誰かに届いて、それで喜んでくれる人がいなければやる意味がないと思っています。

 ただ、すごくこだわって微細な表現をしているつもりでも、全てが過剰に届いてしまうというのはデビュー当時から感じていました。たとえば、水を飲んだりするだけで歓声が上がると、もう表現の幅が無くなってしまう。今回、以内を書きながら、自分はこういうところに違和感を持っていたんだと気づいたところも多かったですね。

 やっぱり人から「観られる」というのは、自分がこうでありたいという理想からズレていくことでもあるし、そのズレによって新しいものが生まれたりもするので、全部は否定できない。ただ、違和感を感じた時、それをお客さんに違った形で伝えられたらいいなと思いました。違和感を表明しないのが一番の違和感。そんなことを思っているタイミングでこの小説が書けたので、物語を通してちょっとでも伝わったらいいなと思っています。

――今回、バンドマンを主人公にした作品なので、どうしても尾崎さん本人と重ねて読まれがちだと思います。実際、主人公の以内がファン批判をする描写に、クリープハイプのファンから「ショックだった」という声もあったそうですね。

 発表した当初、あまりにもそういう意見が多かったので、ファンクラブの掲示板で「こんなこと実際に言ってたかな? 自分は記憶にないけど。このシーンでなぜ尾崎世界観がそういうふうに思ってると思うんですか」と質問してみたんです。そうしたら、「〇年のこの媒体のインタビューでこう言ってました」という返答が来て。自分では全く覚えていなかったんです。「ああ、そうか。じゃあ無意識のうちに自分の考えが作品に入っていたんだな」とその時に気づいて。

――違和感について直接ファンの方たちと対話することができたんですね。なかなかないことだと思います。

 普段SNSをやらないので、ファンクラブの掲示板などでの交流はすごく大事にしていますね。コロナ禍で満足に活動ができなかったとき、ファンクラブの存在は本当に大きかった。そこに自分たちの音楽を待っていてくれる人がいるという安心感で落ち着くことができたんです。だからまず、そこだけに向けていこうと、ファンクラブ限定配信の無観客ライブをやりました。

 そういうふうに、まずはここという目印があれば、そこから漏れ出したものが、きっとそれ以外のところにも伝わっていく。逆にコアな場所から滲んだものが世間にやっと伝わるぐらいが、バランスとしてはちょうどいい気がしたんです。コアなファンに甘えて、新たなファンを獲得しようと、そっちばかり見ていた時期もあったんですが、コロナ禍で軌道修正することができました。

――この小説を読んで、「観る側」こそ主体で「観られる側」を支配できる存在なのだということも感じました。

 お客さんが強いな、というのは最近また特に感じていますね。やっぱり人が何万人も集まった時のあのエネルギーは、味方であっても怖いものです。

 ライブ中に言った一言でみんなが盛り上がって、自分がその場を支配していると勘違いしてしまいそうになる瞬間もあるんですが、それは違う。普段は絶対に言わないようなことを、どこか場の持つパワーで言わされていると感じるんです。そこには自覚的でありたいですね。自分はこれだけの人をまとめて、この場を掌握しているんだ。そんな勘違いだけは絶対にしたくないです。

できない小説とできる音楽の相乗効果

――尾崎さんは音楽と小説という二つの表現方法を持っていますが、なぜ音楽だけでなく、小説というチャンネルも必要なんでしょうか。

 小説が、「好きだけどうまくやれないこと」の代表だからです。自分は本当に不器用で、子どもの頃から、学校でこれをやりなさいと言われてもほとんどできなかった。でもそれらは、たとえできなくても悔しくなるようなことではないんです。それとは違って、すごく好きなのにできないことというのが小説なんです。

 もともと音楽もそうでした。すごく好きなのになかなかできない。だからこそ楽しくやってきて、そのうちデビューすることができて、ずっと活動を続ける中でどんどん上手くできるようになっていって。

 この「音楽をできてる」ということが、ちょっと危ないと思い始めた時に、小説を書き始めました。そしてやっぱり、まったく上手く書けなかった。今、小説は杖のようなもの。この「好きだけどうまくやれないこと」を支えにして、どうにかバランスをとっています。小説を書くようになって、音楽が思い通りに作れるようになった。だから今はすごくいいバランスですね。

――今作が芥川賞候補になって「小説ができるようになった」とは感じなかったんですか?

 全然そうは感じないですね。普段、音楽に関しては人の意見をほとんど取り入れないんですが、この作品ではかなり編集者の方の意見を取り入れていて。改めて、自分だけでは絶対に書けなかったと思っています。とにかく、自分がよく知っている世界を書くというのが、かえって難しくて。そこに自分では思いつかないようなアイデアをいくつも提案していただいて、お陰でどうにか書き切ることができました。

 こんなふうに、この歳になっても、誰かに助けられながら何かを作る経験ができるのは、とても恵まれていると思います。いずれは全部自分でやれるようになりたい。そう思えるのがまた嬉しいんです。

――最後に、この本をどんな人へ届けたいですか。

 バカらしい話だと、面白がって読んでほしいですね。ファンの方は真剣に受け止めてくれるので、その分、つらい思いをさせてしまうかもしれない。この小説はむしろ、クリープハイプを好きじゃない人のほうが楽しめるのかもしれません。そういう表現ができたのもまた嬉しいですね。

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