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【特別版】阿刀田高さん もう小説を書かないと決めたのは狐が落ちたから。「憑かれた48年間、楽しかったねえ」小説家になりたい人が、小説家を終える人に聞いてみた。

阿刀田高さん=写真・武藤奈緒美

続けられたのは被説得力の賜物

 小説家人生が始まったばかりの人たちに取材してきた本連載。始まり方は異なれど、皆さん「今後も書き続けます」と答えるのは同じ。ところが阿刀田高さんはデビュー48年目の今年、もう小説を書かないことを決めた。「小説家を終える」なんてこと、本当にできるんだろうか。

「これは小説家になりたい人が読む連載なんですよね。じゃあ、まず最初に言いたいこと。もう小説家が儲かる時代は終わりましたんでね。直木賞あたりをとっても、1、2年は大丈夫でしょうけれどね、長く続けるには本当に難しい時代になりました。だからね、小説を書いてみたい、それに自分の人生を賭けたい、そのくらいの気持ちを持ってぶつからないと、あまり報われない」

 ニコニコしながら、厳しいことをおっしゃる。

「ただ、かくいう私もそんな覚悟を持って始めたわけじゃないんですよ。小説を読むのは好きだったけれど、自分に書けるとは思っていなかった。自己流の解釈だけれど、小説にはテーマとモチーフがあると思う。『赤穂浪士』という同じテーマでも、そこに込めたモチーフは、殿様に尽くすのは立派、というものもあれば、こんなくだらないことで無駄死にして、というものもある。純文学はみんな立派なモチーフを持っている。だけど私には、そのモチーフがない。だから小説は書けない、そう思っていたんですね」

 国立国会図書館の職員として働きながら、家族を養うために副業として雑誌にコラムなどを執筆。それが評判となり、編集者から小説の依頼がきたのが小説家人生の始まりだった。

「ミステリーならモチーフがなくても書けることに気がついて、推理小説を2、3編書いたのがスタート。そこからずっとエンタメ畑です」

 1978年、43歳のとき、『冷蔵庫より愛をこめて』で小説家デビューすると、同作がいきなり直木賞にノミネート。翌年、「来訪者」で日本推理作家協会賞、短編集『ナポレオン狂』で直木賞を受賞した。なぜ小説家になれたと思いますか。

「20歳から21歳にかけて結核になり、サナトリウムで療養していたとき、海外の短編集を片っ端から読んだんですよ。O・ヘンリー短編集、サマセット・モーム短編集、そしてロアルド・ダール短編集。当時手に入るものはほぼすべて読んだんじゃないかな。あの時の読書がなかったら小説家にならなかったし、なれなかったと思います。私の初期の作品はロアルド・ダールの真似事。ああいう洒落っ気のある短編が日本にはまだなかった。山口瞳さんに選考会で『やっぱり阿刀田君が拓いた小説があるよ。だからこの手の小説はこの先、君を越えなければ賞はやれない』っておっしゃったことがあって。自分で言うのもなんだけど、それはそうだなと思います。ロアルド・ダールという目の付け所もよかったし、取り入れ方もよかったんでしょう。トータルでいえば、私の方がロアルド・ダールより上だという自負もあります。書いた数も多いしね」

 なぜこれほど長い間、飽きずに小説家であり続けられたのですか。

「私は被説得力が強いんですよ」

 被説得力?

「すぐ説得されちゃうんです。家内とアパート暮らししていた時は、あなたは玄関出ないで、新聞の勧誘が来たらすぐ契約しちゃうんだから、と言われていたほど。だから編集者におだてられると、そうか、書くか、ってなってねえ。その繰り返し。これまで900編以上の作品を書いてきたけれど、これは被説得力の賜物です」

 他の仕事をやりたくなったことは?

「国会図書館員は公務員で、定年まで安泰の職業。それを振ってまで始めた小説家ですから、ほかの職業を考えたことはなかったですね。小説家は好きな仕事でした」

『掌より愛をこめて』の一篇「小鳥と歌とシロの午後」の生原稿。「電線に鳥が止まっているのを見て音符みたいだなあと思ったところから作った話。実際の楽譜はこうなんだけど、本では鳥に見えるようにシンプルにしてもらいました」(写真:武藤奈緒美)

直木賞の選考基準「俺には書けない」

 直木賞、小説すばる新人賞など、数々の選考委員を務めてきた阿刀田さん。受賞に値する小説とはどういうものでしょうか。

「本来、新人作家にとっていちばんいいサジェスチョンができるのは編集者なんですよ。でも、営業上の理由もあって選考委員は作家や評論家ということになっている。私見を述べれば、編集者にはなくて作家にはある基準というのが『俺には書けない』ということ。たとえば藤原伊織の『テロリストのパラソル』。史上唯一、直木賞と江戸川乱歩賞のダブル受賞した作品だけど、これを読んだとき感覚的に自分には書けないと思いました。まだまだこれからというときに亡くなって残念でした」

 直木賞の選考について、その選考の対象作品のみで判断しますか。それとも、伸びしろや前作を鑑みて推しますか。

「それは後者ですね。直木賞の場合は、文学誌掲載の作品から選ぶ芥川賞とちがって、単行本になったものから選ぶ。本を市場に出すだけの力量はすでに持っている人たちです。だから将来性を考えて、私はおおむね2作主義でした。つまり、今回もとてもいいけれど、もう1作別な手があるのか見てみたい、と前後の作品を加味して選ぶの。ただね、被説得力があるもんだから、選考会で他の選考委員の意見を聞いているうちに納得して最終投票で意見を翻すこともあった。トイレ休憩の時に北方健三さんに『最初は推してたじゃないか』と叱られたこともありましたよ(笑)」

 時代性も判断材料になりますか。

「それは選考委員よりも下読みの人たちや最終候補作を決める編集部の人たちが敏感なんじゃないかな。その作品が持つ時代の匂い、より新鮮なモチーフを求めている。少なくとも私は、時流はあまり意識しなかった。なにをモチーフとしているかよりもやっぱり、作品そのものの力を見て選考してきました」

 最近、AIの使用を許可する文学賞で選考委員が選考を辞退して話題になりました。AIは小説家を超えると思いますか。

「私の91年の人生で集積されたデータは、AIのデータに比べたらものすごく少ない。でも、そのデータの中からこれが小説になりそうだ、という突飛なアイデアを見出すのは、決して真似できないと思います。将棋や囲碁のように限られた手数の組み合わせならばトレースできても、小説家の突飛なアイデアというのは、将棋やりながら囲碁をやって、囲碁やりながら麻雀やってるようなものですからね。
 それにもちろん小説は文章も大事。モチーフによっても文章は繊細に変化する。そのパターン化できない文章感覚をAIが習得できるとは思えません」

小説のアイデアをメモした備忘録は18冊にもなった。使ったアイデアにはバツ印。「なぜか寝入りばなに思いつくんだよね。どんなに眠くても起きだして書きつけていました。ペンがなくてマッチの燃えさしでメモしたことも」(写真:武藤奈緒美)

ペンは剣より強し、と願うのが文学

 阿刀田さんは戦争体験者として、平和活動も様々に行ってきました。「大きな夢」という短編では憲法9条が戦争をなくす叡智であることが書かれてありますし、本書収録の「美しい歌」では、戦時中、軍歌を教えなかった音楽の先生が登場します。

「『大きな夢』は、エジプトを旅したとき、ガイドさんから実際に聞いた話がもとになっています。3:4:5の紐で直角が作れる、その知恵ひとつで、あの壮大なピラミッドを砂漠の上に建てることができた。憲法9条も同じ。『国権の発動たる戦争と武力の行使を永遠に放棄する』。要約すればたったこれだけのことを守るだけで、日本はこの80年戦争をしないで来られた。これからも守られるはずなんです。だって世の中の95%以上の人間は戦争しない方がいいと思っているんだから」

 けれど今、改憲の動きがあります。

「そう、95%の人が願っているのに、5%の意見に押されている。どうしてなんでしょうね。誤魔化されていないか、騙されていないか、私たちは気をつけなければ」

 平和のために文学はなにができるのでしょうか。

「ペンが剣より強し、というのはウソです。ペンが剣より強い時もたまにはある、が正しい言葉じゃないかと思いますね。あるいは、ペンが剣より強いと願っている。その希望を言い続けるのが文学なんじゃないんでしょうかね」

 最新刊『掌より愛をこめて 阿刀田高さいごの小説集』のタイトル通り、今作を持って小説を書くことから退くそうですね。決断の理由は。

「もう書けないからです。私の小説はすべてアイデアをもとに作っている。けれどそのアイデアがもう本当に思い浮かばなくなった。最後に書いたのは一昨年、89歳のときに『波』(新潮社)に10話連載した『黒いシアター』。これだってよく書けたなというくらいで、もう限界。まだ1つか2つ、アイデアが浮かぶこともあるでしょうけど、それじゃ本にはなりませんから。身辺雑記は今後も書くと思いますが」

 一番最後に書いた作品は「波」2025年5月号掲載の「壺の底」ですね。妻や兄を亡くし80歳を超えた主人公がパンドラの箱ならぬ壺の夢を見る。壺の底には希望のほかにもうひとつ、あるものがあって……。

「『パンドラの箱』はギリシャ神話ですが、世の災厄が飛び出したあと最後に希望が残る、というのは文学が編み出した素晴らしい知恵。あらためて考えてみたら、希望の後にもう一つあるなと思いついて。最後の作品だと意識して書いたわけではありませんが、私らしい締めくくりになったと思います」

「死んだら天国に行く、亡くなった人は生まれ変わる……。そういう物語を作ることで人々は希望を見出してきました。文学は人間の生きる知恵なんです」(写真:武藤奈緒美)

「小説家になりたい」は、人として自然な感情

 この本は「さいごの小説集」なのに前書きも後書きもありません。ずいぶんあっさりとしたさよならです。

「作品は一行目を読んだときから作品であっていい。ごあいさつなんていらないんですよ。私は200冊くらい本を出したけれど後書きはほとんどないと思います。自作に講釈なんて述べるものじゃない。作品にすべてを書かなきゃ」

 エピローグとして収録されるのは「小説新潮」2011年1月号に掲載された「狐つき」。「どうして小説を書くようになったかって?」という一行から始まり、小説家の男は狐に憑かれたという話をする。

「これは中島敦の『狐憑(こひょう)』から来ています。ひとりの男が狐のようなものに憑かれて面白い話を村人たちに語るようになり、尊敬を集めます。ところが、しばらくすると狐が落ちて話がなにも浮かばなくなり、怠け者だと反感を買って、最後は鍋で煮込まれ村人たちに食べられてしまう。大学生の頃に読んだけれど、私も同じ。狐に憑かれ、それが落ちたというだけのこと。だからこの本のカバーでは窓から狐が入ってきているでしょう? 中の扉では私が狐のお面をかぶっているのです。小説家になる、とは私にとっては狐に憑かれた、ということ。今、狐はどこにいるのかな」

「もう書かないと言いつつ、狐が帰ってきたらわかりませんね。小説家はうそをつく商売ですから」写真:武藤奈緒美

 小説家になってよかったと思いますか。

「よかったと思います。自分に合った職業だったし、人間関係も難しいことないですし、毎度ちゃんと説得されて小説を書いていれば生きてこれたわけですからね。直木賞をもらえたのは宝くじに当たったようなもの。運がよかったんですね」

 小説家になりたい人へアドバイスを。

「小説家というのは、自分の書いたもので誰かに楽しんでもらう、誰かに何かの感情を呼び起こさせる、そういう希望を発揮させる職業。それに憧れを持つのは、人間として割とふつうな感情だと思います。私は、純文学こそ文学だとされた時代にエンタメの地位向上を思い、頑張ってきました。純文学もエンタメも大衆の生活に益するものとすれば、本当は同じものなんじゃないかな。ただ、小説家になりたいのなら、自分がどっちに向いているのかよく考えてスタートされたほうがいいでしょう」

 小説家に未練はありますか。

「私は、終えるということが好き。何事も終われば忘れ去られ、無に帰す。そのことを寂しいとは感じず、すっきりした、楽になったと感じます。だからショートショートや短編を好んで書いてきたんでしょうね。未練はありません。狐に憑かれている間、ずっと楽しかったですよ」

 

 この本の裏表紙に阿刀田さんは〈Toi qui m’aiais, moi qui t’aimais〉というフランス語の一節を入れた。「私を愛してくれたあなた、あなたを愛した私」という意味だそう。最後の小説集のいちばん最後に来るその言葉が、小説に愛され、小説を愛した阿刀田さんに重なった。

【次号予告】「ソリティアおじさんがいた頃」で第131回文學界新人賞を受賞し、同作が第175回芥川賞にノミネート中の村司侑さんが登場予定。