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知らない人 千早茜

 食エッセイを連載しているので、SNSに普段の食や茶の写真を載せている。たまにコメントがつく。悩んでしまうものもある。例えば、麺を打って炸醤(ジャージャー)麺を作った時のこと。載せた写真に「水餃子(ギョーザ)の皮も自分で作ると美味(おい)しいですよ」というようなコメントがついた。水餃子の皮は何度も作っていた。その写真も載せている。小麦粉料理の教室に通い、水餃子は問題なく作れるようになり、それを経ての麺打ちだったのだ。しかし、経緯を伝えるのも、投稿を遡(さかのぼ)ってくださいとお願いするのも嫌だ。

 なぜなら、そのコメントしてきた人は知らない人だからだ。私は素性も人となりも知らない人とそう気軽には話せない。道ですれ違う人に話しかけないのと同じだ。なので、人の投稿にはほとんどコメントしない。できない、と言ったほうがいい。

 よく、ペットの飼い方について意見を述べてくるコメントが見受けられるが、飼っている人の家の状況や事情をすべて知りもしないのになぜ訳知り顔で注意できるのかと驚く。困惑している友人や同業者は多い。私自身も花の写真を載せた時「猫には毒です」といった注意を促すコメントがついた。猫と暮らすと決めた時点で猫の生態や病気の本は読んでいるので知っている。私は獣医の娘だし、家も一部屋しかないわけではない。猫と花の部屋は、ドア二枚分は隔てている。無知なまま飼っていると判断されるのは気分の良いものではなかった。そもそも、知らない人の意見は求めていないのだ。

 ほとんどの人はSNSにすべての情報を載せているわけではない。説明する義務もない。水餃子の皮を作ることを薦めた人は、私が一度もそれを作ったことがないとどうやって判断したのか。相手の状況も来し方も知らないのに、自分の知っている情報だけで判断し、指摘するのは危うい行為だ。無自覚な決めつけは自分の視野も狭める。まずは、尋ねてみたらいいと思う。質問から対話に至れば、知らない人は少しは知っている人になる。=朝日新聞2024年9月11日掲載