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京都を知る 矛盾に満ちあふれた千二百年の都 小倉紀蔵

国内外から多くの観光客を集める清水寺=2023年12月、京都市東山区

 京都は、悲哀の都である。千二百年以上の歴史がある。千二百年以上の矛盾がある。歴史の矛盾が堆積(たいせき)している。生(せい)の矛盾が、凝縮している。ここに暮らした人々の悲哀。その無数の生の叫びの蓄積。すべてが歴史の矛盾の現場。それを追体験できる古都だ。だからこそ美しいのである。

明と暗の歴史を

 京都は、歴史の都である。同時に反歴史の街でもある。歴史の破片が散乱する場所。史実が脈絡なく散らばる都。その中を観光客たちは歩く。歩くときに、史実は無秩序。年表通りに眼前に現れない。ばらばらに現れては消える。歴史の教科書通りではない。歴史の秩序に支配されない。逆に秩序を壊しながら歩く。「正しい歴史」からの解放。その自由を、満喫するのだ。自分だけの歴史を編集する。それができるのが、京都だ。

 だがその前に、知りたい。京都の歴史を、正しく知る。史実の秩序を理解しておく。まずはそれが、重要である。無知だと破壊もできぬから。知ってから、破壊するのだ。高橋昌明の入門書が、いい。『京都〈千年の都〉の歴史』(岩波新書・1034円)。この本が良い理由はなにか。明と暗の両面がわかるから。表京都の白歴史だけでない。裏京都の黒歴史も、重要だ。「花の都」の光と影である。たとえば、衛生状態の推移。平安時代は街頭排便だった。江戸時代以前に清潔になる。世界に冠たる、清潔都市だ。非人や差別の問題も大きい。情念と怨念が堆積する街だ。景観も今や失望するレベル。けばけばしい都を批判する。虚像を拒絶する良質の書だ。千二百年の矛盾と悲哀の都。

 裏面を知るのに、よい本。黒川創の哀切な小説『京都』(新潮社・1980円)だ。京都を描いた名作といえる。小説だが裏京都の覗(のぞ)き窓だ。町に生きる人々の生の記録。京都市内四カ所での青春譜。そのディテールが語られる。「どんつき」はつきあたり。みんな袋小路に生きている。その生を、静かに切り取る。被差別があり、貧困がある。「こうやって生きている」。見よこれこそが裏の京都だ。生き、死に、感じる京都だ。この町に深さを与える存在。それが差別された人たちだ。閉じ込められている人たち。街全体が中上健次の路地だ。だがそれは、不可視の領域。観光客には決して見えない。現場を歩いていても見えぬ。呻吟(しんぎん)も叫びも、聞こえない。無音の差別と序列が、蠢(うごめ)く。それが京都と知ってほしい。矛盾に満ち溢(あふ)れた都なのだ。千二百年の矛盾の社会遺産。

「生きよ」の叫び

 京都が生んだ世界的哲学。それを「西田哲学」という。西田幾多郎の大哲学である。日本初の、近代的哲学者だ。小坂国継の解説書が、よい。『西田幾多郎の哲学』(岩波新書・924円)がお薦め。難解な概念がよくわかる本。「純粋経験」から「絶対無」へ。西田の思考の流れがわかる。

 「絶対矛盾的自己同一」。西田の絶頂の思考の一つだ。歴史的現実の弁証法的世界。絶対的に矛盾なものの世界。そこに自己同一が出現する。矛盾的京都が生んだ哲学だ。現実を把握しきった思考だ。なぜなら、自己同一は矛盾。自己も世界も、絶対矛盾だ。その中を生ききるしかない。絶対同一的自己矛盾の反対。現代の生は、なぜ苦しいか。絶対無矛盾的に生きるから。現代は、無矛盾を追求する。矛盾がないのがよいとする。絶対無矛盾的な自己喪失だ。矛盾をなくすと自己もない。矛盾をなくすと、生もない。苦しさは、無矛盾から来る。その逆を生きよということ。矛盾を恐れず、受け入れよ。生きることは、絶対矛盾的。京都が生んだ哲学の叫びだ。悲哀こそ哲学の動機である。これが西田幾多郎の考えだ。京都にて悲哀の哲学を語れ。絶対矛盾的な自己を生きよ。絶対矛盾的な世界を生きよ。絶対矛盾的なこのいのちを。生きよ。生きよ。生きよと。=朝日新聞2024年10月12日掲載