医師、患者、遺族としてがんと向き合った半生を踏まえて、昨年3~6月に約1千キロの自然歩道に挑んだ。
選んだのは、東日本大震災で被災した沿岸を南北に走る「みちのく潮風トレイル」。がん治療を続ける人や克服した人、患者を支える家族らを励まし、理解を呼びかけようと、「がんサバイバーを支援しよう」「3・11を忘れない」と入った黄緑色ののぼりを手に、4回に分けて踏破した。
「津波で足をすくわれた人と、がんに突然見舞われた人は理不尽な思いをしたという意味で同じじゃないか」。だから、被災地に足が向いた。
1日の行程を終えて宿に着くと、その日の行動と、出会った人との会話をメモ帳に書き留めた。防潮堤の高さに地域差がある理由、町から海が見えることの意味は――。歩きながら考えたことを東京に戻って書き加え、旅の記録とともにまとめたのがこの本だ。「すさまじい大災害が忘却のうちに埋もれていく。でも、住んでいる人たちには深い傷痕が残っているはず。書きたいと思ったんです」
泌尿器科医としてがん医療や研究に最前線で携わってきた。自身も50代で大腸がん、60代で腎臓がんを経験。妻はわずか4ミリで見つかった小細胞肺がんが広がり、17年前、闘病の末に亡くなった。「ピンポン球を打ち合う感じで語り合った相手がいなくなり、3カ月は酒浸りで泣き続けて。今もつらいですよ」。検診での早期発見や治療と並んで、がんと向き合う患者や家族を支えることが重要だと痛感する転機になった。
妻の死後、毎朝つま先立ちとかかと立ちを100回ずつ続けている。段ボールに新聞紙を詰めて高さ32センチの踏み台を作り、上り下りを繰り返した。家の中で転ばないためだったが、これが長距離踏破を支える脚力にもなった。
「足腰の衰えはあるけど、また歩きたい気分も出てきた。歩けば思考能力も高まる。がんが世の中から消えることはない。早期発見して治療すれば死ななくても済むのですから」。83歳を迎えた今も、思いは消えていない。(文・伊藤宏樹 写真・友永翔大)=朝日新聞2024年11月2日掲載