隠岐さや香さん(東京大学教授)
①JR冥界ドキュメント 国鉄解体の現場・田町電車区運転士の一日(村山良三著、梨の木舎・1980円)
②統治される大学 知の囲い込みと民主主義の解体(駒込武著、地平社・2200円)
③バトラー入門(藤高和輝著、ちくま新書・1034円)
JRは国鉄の分割民営化により生まれたが、それが人権侵害を伴う「組合潰し」や周囲の黙殺と共に進んだことを忘れてはならない。①の著者はその過程を「戦後民主主義に対するクーデター」と呼ぶ。②は国立大学で進展する改革に対する批判的現代史である。「稼げる大学」となることを強いる改革で、学内の民主主義的、自治的な仕組みが解体されていく。一部の大学は学生との交渉を拒否し、訴訟を仕掛けた。黙殺という精神的暴力への抵抗を考える時、私はフェミニズムに立ち返る。今でも女性や性的少数者の訴えは「理解不能」とみなされ無視されがちで、彼女ら彼らへの非人間的扱いがまかり通ったりする。③はその問題を考え抜いたJ・バトラーの思想を親しみやすく紹介している。
小澤英実さん(東京学芸大学准教授)
①ガザ 欄外の声を求めて(ジョー・サッコ著、早尾貴紀訳、Type Slowly・2530円)
②しをかくうま(九段理江著、文芸春秋・1650円)
③白猫、黒犬(ケリー・リンク著、金子ゆき子訳、集英社・2970円)
書評した本以外から必読・偏愛の3冊。①2002~03年、イラク戦争開戦前後のガザ地区に滞在し聞き取り取材した、1956年のイスラエル軍によるパレスチナ人の虐殺事件を描く。これが歴史の「小さな挿話」扱いになるガザの平常に言葉を失うが、本書はその集積の結果がいまであることを雄弁に語る。コミック・ジャーナリズムを貫くサッコのこの形式、この本にしか伝えられないガザがある。②度肝を抜くスケールと技巧の〈言語をめぐる冒険〉ながら、競馬小説といえば宮本輝『優駿(ゆうしゅん)』だった元競馬ファンの私の価値観を根底から覆した衝撃作。③10年ぶりのリンクの邦訳。ときに読者をふるい落とすほど加速するもなぜか身に迫る、こんな奇想を書ける人をほかに知らない。
酒井正さん(法政大学教授)
①税制と経済学 その言説に根拠はあるのか(林正義著、中央経済社・2860円)
②在野と独学の近代(志村真幸著、中公新書・1056円)
③忘れられたアダム・スミス 経済学は必要をどのように扱ってきたか(山森亮著、勁草書房・3300円)
税制を巡る政策が俄(にわ)かに注目を集めて一年が終わる。今秋の衆院選より前に刊行されていた①は、「配偶者控除が就業調整を引き起こしている」といった主張や「所得税が勤労意欲を削(そ)ぐ」といった主張に学術的なエビデンスがあるのかを問う。既存研究のレビューを通した丁寧な議論が光る。②によれば、南方熊楠が留学した19世紀末の英国では、大学の研究者は在野の研究者よりも低く見られることもあったという。在野の研究を支えたのは、図書館などの知のインフラだった。開かれた知こそが研究を発展させるが、現在はどうだろうか。アルゴリズムによる「お薦め」に支配される現代において、③で検討される必要と欲求という概念の区別の問題はますます複雑になっている気がする。
椹木野衣さん(美術評論家)
①三体、三体Ⅱ 上・下、三体Ⅲ 上・下(劉慈欣著、大森望ほか訳、ハヤカワ文庫SF・各1210円、Ⅱは各1100円)
②メメント・モモ 豚を育て、屠畜して、食べて、それから(八島良子著、幻戯書房・3520円)
③日本美術をひらく(山下裕二著、小学館・1万4300円)
①は中国発の超弩(ど)級SF小説。「夏に読みたい3点」でも触れたが、三部からなる邦訳版は単行本で5冊を数えた。文庫版での一挙刊行は快挙。が、想像を絶するめくるめく展開は日常生活に支障が出かねない。危険なので(夏もいいが)年末年始の読書が最適。②はつい書評の時機を逸した。美大を出た著者が離島で愛情を注いで育てた豚モモを屠(ほふ)り、食すまでの記録。家畜とは? 命とは? コロナ禍や気候変動で食そのものが問われる現在、副題の「それから」を念頭に真剣に向き合いたい。③は若き室町美術の専門家だった著者が実証的なアカデミズムの中に「閉ざされた日本美術」を、自分の嗜好(しこう)(応援)を手綱にアートやマンガと繫(つな)ぐ「ひらかれた日本美術」へと拡張した執筆の集大成。
野矢茂樹さん(立正大学教授)
①葬送のフリーレン 第13巻(山田鐘人原作、アベツカサ作画、小学館・594円)
②あの素晴しい日々 加藤和彦、「加藤和彦」を語る(加藤和彦・前田祥丈著、百年舎・3300円)
③うそコンシェルジュ(津村記久子著、新潮社・1980円)
個人的に大いに楽しんだ本を三点。まず『葬送のフリーレン』第13巻。いま最も楽しみにしているマンガ。魅力はいくつもあるけれど、一番は魔法使いフリーレンのキャラクターかな。第14巻が待ちどおしい。次は『あの素晴しい日々』。いや、加藤和彦のファンなのです。すいません。って、あやまることはないか。幾度かの変遷を経た数々の歌が、彼の生き方と強く結びついていることを感じさせる非常に充実したインタビュー。書評委員会で、椹木さんも加藤和彦のファンだと知ってうれしくなったのでした。三点目は『うそコンシェルジュ』。短編集で、どの作品もどこか素直じゃないんだけど、妙にまっすぐなんだな。だから、ちょいとひねくれてるくせに読後感はとってもさわやか。