福嶋亮大さん(批評家)
①青山悟 刺繍少年フォーエバー(青山悟著、青幻舎・3630円)
②而今而後(じごじご) 批評のあとさき(岡﨑乾二郎著、亜紀書房・4290円)
③「孫子」の読書史(平田昌司著、講談社学術文庫・1375円)
書評欄で扱えなかった本を紹介する。①は「刺繍の美術家」の作品集。ミシンを黙々と動かし、たゆまず作り考え続けた作家の軌跡が、この本に縫い込まれている。その労働のリズムと静かなたたずまいは、能弁な資本主義社会の死角へと観(み)る者をいざなう。《東京の朝》の光は忘れがたい。
②はモダニズムという「妖怪」を探究してきた美術家の評論集。菱田春草からボブ・ディランまでを結ぶ地下水脈が、この庭のような本で再生される。今は亡き楳図かずおや谷川俊太郎への評価も興味深い。
③は『孫子』の思想や成り立ちから、日本や欧米での受容までを、気取りのないおだやかな文章で論じる。著者の学問の深さは虚栄心からではなく、ことばという現実への敬意から来るものである。
藤田結子さん(東京大学准教授)
①ケアの倫理(岡野八代著、岩波新書・1364円)
②〈声なき声〉のジャーナリズム(田中瑛著、慶応義塾大学出版会・3520円)
③「最近の大学生」の社会学(小川豊武ほか編著、ナカニシヤ出版・2970円)
①「ケアの倫理」がブームになる中、今年出版された決定版。「ケアの倫理」がフェミニスト思想であることを明示し、その歴史に位置づけ、ケアに満ちた政治や社会を展望する。ケアについて学ぶための基本書となるでしょう。②博士論文を基に出版された本のうち優れた一冊。SNS時代、人びとは自分の関心をすくい取り、対話の相手になってくれる等身大の記者やメディアを求めるようになった。いかに「声なき声」を活性化できるのかを問い、ジャーナリズムのあり方を再考する。③さらに今年は社会学のテキストが豊作でした。その中の一冊は、本格的な社会調査で「最近の大学生」の自己意識、SNS利用、趣味、恋愛の実態を明らかにする。企業のリサーチにも役立ちそう。
保阪正康さん(ノンフィクション作家)
①戦時から目覚めよ(スラヴォイ・ジジェク著、富永晶子訳、NHK出版新書・1210円)
②21世紀の戦争と政治(エミール・シンプソン著、吉田朋正訳、みすず書房・4950円)
③アウシュヴィッツの小さな厩番(H・オースターほか著、大沢章子訳、新潮社・2310円)
①のジジェクは、第3次世界大戦は始まっていると見る。その賛否はともかくとして、プーチンのウクライナ侵攻への批判は、極めて本質的だ。同時に甘い平和主義者にも矛先を向ける。スロヴェニアの哲学者という立場での分析、視点は私たちの見落としている断面である。②は戦争という概念を問い直す。最終章ともいうべき「結論」でクラウゼヴィッツの「戦争論」を捉え直す論稿は新鮮だ。戦争の延長に政治があるとの認識は、新たな戦争論登場の呼び水である。③のオースターは、ヒトラーが政権をとった時、実業家の一人っ子として恵まれた環境で育っていた。その後ふりかかる悲惨なゲットー生活の実態を、老いてから綴(つづ)った書である。彼の説く「寛容」は21世紀の重要なテーマだ。
前田健太郎さん(東京大学教授)
①〈一人前〉と戦後社会・対等を求めて(禹宗杬、沼尻晃伸著、岩波新書・1166円)
②雄鶏の家 ウクライナのある家族の回想録(ヴィクトリア・ベリム著、山川純子訳、白水社・3960円)
③歴史学はこう考える(松沢裕作著、ちくま新書・1034円)
本欄で扱えなかった作品を3つ。いずれも世界を眺める視野を広げてくれる。①は戦前から今日に至る日本社会の格差の変遷を読み解く。男性労働者の経験に偏りがちなテーマについて、生活の場で女性が担ってきた役割にもバランス良く目配りする。②はウクライナ系アメリカ人の家族史。西側の視点からスターリン体制の悪を暴くという平凡な筋書きかと思いきや、物語は思わぬ方向へと展開する。③は歴史学の入門書。正しい分析手法を伝授するのではなく、様々な分野の歴史家が実際に何をしているのかを示す。方法論は、自分とは異なる研究スタイルを「学問ではない」などといった形で丸ごと切り捨てるために用いられることも多いが、本書はそのような態度とは無縁だ。
御厨貴さん(東京大学名誉教授)
①宿命の子 安倍晋三政権クロニクル 上・下(船橋洋一著、文芸春秋・上2475円、下2585円)
②磯崎新論 シン・イソザキろん(田中純著、講談社・5225円)
③福田恆存の手紙(福田逸編著、文芸春秋・2970円)
意識高く自らの世界で抗(あらが)い続けた人たち。彼らの存在を追究する試みに注目。まずは政治家①。船橋は安倍晋三のこの10年の総理像を追う。彼得意の歴史の現場からのリポートよろしく、安倍の〝戦後〟に抗う姿勢を明快に描き出した。次いで建築家②だ。「デミウルゴスの化身」たらんとした磯崎新の生涯は、建築家の世界に抗い続けることにあった。田中の筆さばきも、抗う磯崎の作品との戦いのごとしだ。磯崎とのオーラル・ヒストリーを体験した私は、磯崎の言葉の素直さを思い出す。戦後知識人③では、福田恆存の文芸演劇の世界での抗う姿の壮絶さを知る。吉田健一、ドナルド・キーン、芥川比呂志との手紙による交流を編む福田逸の手腕も見事だ。
三牧聖子さん(同志社大学准教授)
①全斗煥 数字はラッキーセブンだ(木村幹著、ミネルヴァ書房・3850円)
②台湾のデモクラシー(渡辺将人著、中公新書・1188円)
③なぜガザなのか(サラ・ロイ著、岡真理・小田切拓・早尾貴紀編訳、青土社・3080円)
民主主義の危機と未来を考える3冊。韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領による戒厳令布告は、かつて戒厳令下の韓国で市民を弾圧した全斗煥(チョン・ドゥファン)を想起させた。全が時代の潮流に乗って権力を握り、やがて時代に追い抜かれるまでを描き切る①は、韓国の現在地を知る上でも格好の書だ。「アジアの民主主義の雄」台湾の実像に米政治研究者が迫る好著が②。アメリカに影響されつつ、メディアやSNSがもたらす社会の分断に抗する仕組みを発展させ、本家アメリカ以上の成熟すら見せる台湾の民主主義。その挑戦は続く。③は「中東唯一の民主主義国家」を自負するイスラエルがガザで行ってきた破壊と殺戮(さつりく)の構造を究明し、その蛮行を許し、支えてきた民主主義国の欺瞞(ぎまん)を暴く。私たちも当事者だ。