新川帆立の新味に驚く「目には目を」 デフォルメされたキャラクターを封印、復讐と贖罪の物語をミステリーの技巧で書く(第22回)

これは、新・新川帆立ではないか。
最新長篇『目には目を』(KADOKAWA)のページをめくりながら思わず目を瞠(みは)った。
序章と5つの章から成る長篇で、冒頭の序章「墓地」で扱われる事件の概略が示される。少年犯罪の物語なのである。
墓地とは少年Aのものだ。「彼は人を殺し、人に殺された」と紹介される。15歳と10カ月の時、彼は別の少年Xに暴行を加え、死に至らしめた。傷害致死の疑いで逮捕され、家庭裁判所にて第二種少年院送致の審判が下る。1年3カ月をN少年院で送り、退院後は住み込みの土木作業員として働き始めた。勤務態度は悪く、欠勤が多かった。ある日、無断欠勤を咎めに雇用主が部屋までやってきて、めった刺しにされたAの遺体を発見したのである。
すぐに田村美雪という女性が自首してきた。彼女はAに殺されたXの母親だったのである。人を殺しておいて1年3カ月の少年院暮らしで許されるのはおかしい、死には死をもって償うべきである、と田村は考え、インターネット上で呼びかけを行ってAの情報を集めた。その中にAと同じ時期をN少年院で過ごした少年Bからのものがあり、それによって田村は殺害計画を完遂することができた。田村がハンムラビ法典を引き合いに出して動機の正当性を主張したことから、この事件は「目には目を事件」と呼ばれるようになる。
本書の語り手である〈私〉は、「他の多くの少年は罰を受けていないのに、なぜ少年Aだけが殺されたのか。少年Aは運が悪かったのか。あるいは殺されるだけの事情があったのか」と考える。その疑問を晴らすため、N少年院でAと生活を共にした元少年たちへの取材を行い、まとめたものが第1章から始まる本文である、ということになっている。ノンフィクション取材記という体裁なのである。序章の終わりに、各章がどのような内容かがまとめられているのがいかにもノンフィクションらしい。
新川の語りは巧みだ。視点人物である〈私〉こと仮谷苑子は著書はないが雑誌に執筆歴のあるライターであり、関係者から取材の許可をとりつけ、実際に談話を聞くまでを問題なくひとりでこなすことができる。まず仮谷は、N少年院で暮らしていた6人の少年に話を聞き、彼らが何の罪を犯してそこに入ったか、どんな家庭に生まれ、どのような友人に囲まれていたかを綴っていく。未成熟な自我のまま成人してしまった元少年の肖像が、彼らの発言を読むだけで浮かび上がってくるのが巧い。先輩に言われるままリンチに加わり、暴行の結果ひとりの少年を死に至らしめてしまった大坂将也(仮名)は、自分の内面をきちんと言葉にすることができず、わずかな語彙で思考を短絡化してしまう。
「あー、だから、なんかモヤモヤした気持ちになるでしょ。一回モヤモヤすると全然収まらないし、すげえ、調子狂うから、そういうのが、メンドーっていうか」
18歳で傷害致死の罪を犯し、N少年院に送られた小堺隼人(仮名)は、手にドクロのシルバーリングをはめている。メメント・モリ、死を忘れるな、の意味なのだそうだ。自身の犯した罪を忘れない、という態度は殊勝だが、リングでそれを表現するのは「背負うべき罪すらファッション感覚に捉えていると誤解されかねない」と仮谷は考える。小堺は自身に期待をしすぎた母親と諍(いさか)いを起こし、結果として殺してしまった。そのきっかけは小堺が自死しようとしたことなのだという。その動機を彼は語るが、仮谷にもよく理解できない。自身をまっとうに評価しない他人への苛立ちがあり、不公平な世間から身を守るためと思われる肥大した自意識が、言葉を歪ませているからだ。
「僕みたいな人間は、普通にはなれないし、普通の人のためにつくられた社会では上手くやっていけないんです。僕がもうやっていけないってこと、そのくらい僕は他の人と違うってことをみんなに分からせるために、死ぬ必要があったんです」
ごめん、私にもわからない。
第1、2章ではこのような形で、N少年院にいた6人の肖像が描かれていく。続く第3章は、その6人が共同生活の中でどのような人間関係を作っていったかを綴る章だ。この章あたりから読者は、仮谷の取材に対してある関心を抱き始めるはずである。少年Aの情報を田中美雪に知らせた少年Bは、この6人の中にいるはずなのだ。それは誰か、という関心である。本作のミステリーとしての本質が明らかにされる。これは変形のフーダニット、犯人探しの小説なのである。
新川の視線は冷静で、一方的に6人を断罪しようとはしない。なぜ彼らが罪を犯したのか、ということを考え続ける姿勢が一貫しているのが本作の特徴だ。雨宮太一(仮)は2人の児童を殺害し、身体をばらばらにしてからガムテープで張り合わせて即席の人形状態にしたという事件を起こしている。その手口や、退院後に手記を発表して公刊したというエピソードから、過去に話題になった猟奇殺人事件を連想する読者も多いだろう。その雨宮も怪物として扱うのではなく、可能な限り多くの行動事例を示し、彼の存在について読者に考えさせようとする。
岩田優輔(仮)はN少年院にいる間まったく口を利かなかったという。その奇矯な振舞いが、実は彼の根深い醜形恐怖のためであったことが後に判明する。岩田と話すうちにある切ない事実を知り、仮谷は思わず落涙しそうになる。「なんでそういうふうにしか、人とつながれないんだろう」という彼女の言葉に、自身に嫌悪感を抱き続ける岩田は「僕たちはみんな、欠陥品なんじゃないですか」と答える。「欠陥品でも生きていかなくちゃいけないですからね。それに欠陥があるだけで、完全な粗悪品ってわけでもない」と。粗悪品、つまり社会から完全に弾かれてしまうわけではないが、他人とはうまくやっていくことができないという引け目がある。そのようにしか生きられない者についての小説であることが次第にわかってくる。
本作がミステリーとしての真価を表すのは、少年Aを殺害した田中美雪を巡る章である第4章に入ってからであり、そこで意外な事実が明かされる。あまりにもさらりと書かれているので、その行を二度見返した。なるほど、そういう小説なのか。その事実がわかると物語の見え方が変わり『目には目を』という題名の持つ意味について改めて考えさせられることになる。序章の終わりで宣言されており、第5章の題名でも書かれているとおり、これは「復讐と贖罪」の物語なのである。第1章にいたのとは遠く離れた場所に仮谷苑子が行き着いたときに小説は終わる。
ノンフィクションを模して書かれていることもあってさらりと読める内容なのだが、ところどころで読者は立ち止まることになる。思考を求められる小説なのだ。先へ先へと進ませることを第一目標にしていた過去の新川作品とはまったく趣きが異なる。
新川帆立のデビュー作『元彼の遺言状』(宝島社)は、腕利きだが金に貪欲な弁護士・剣持麗子を主人公とする長篇だ。この作品は話題となってテレビドラマされ、続篇(『倒産続きの彼女』)も書かれている。剣持麗子などのシリーズ・キャラクターを擁した作品の印象が強い作者だが、本作ではそうした要素を一切封印している。デフォルメされたキャラクターという飛び道具に頼ることなく、復讐と贖罪の物語をミステリーの技巧で書くということだけで勝負しているのである。キャラクターで売れた。だが、それがすべてではない。そういった作者の声が聞こえてくるようだ。本作で新川は感情を抑制していく途を選んだ。抑えに抑えたものが臨界点を超えて噴出してくる瞬間がある。それに賭けたのだろう。私の場合、感情の爆発が突然来て、しばらく胸が轟(とどろ)き続けた。すごい。今まで知らなかった新川帆立の誕生である。