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独裁体制を招く民主主義「人々の恐怖と欲望、真剣に考えよう」大佛次郎論壇賞・藤原翔太さん寄稿

 2024年12月3日夜、韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領は戒厳令を宣布し、国会に軍隊を派遣した。いわゆるクーデターである。春の総選挙で進歩系野党が勝利し、政権は行き詰まりの状態に陥っていた。尹大統領は、この政治的混乱の背後には野党を支援する北朝鮮の関与があるとして、議会から「反国家勢力」を排除しようとしたとされている。

 権力者によるクーデターは歴史上珍しいものではない。例えばフランスでは、1851年12月2日に大統領ルイ=ナポレオン・ボナパルトがクーデターを敢行し、皇帝ナポレオン3世として即位したことは有名である。当時、マルクスはルポルタージュを執筆し、ナポレオン3世の伯父であるナポレオン・ボナパルトのクーデター「ブリュメール18日」を引き合いに出して、ルイ=ナポレオンのクーデターを痛烈に批判した。「一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として」という名文句を耳にしたことがある人も多いだろう。

 本書「ブリュメール18日」が取り上げたのは「悲劇」の方である。一般にブリュメール18日といえば、カリスマ将軍ナポレオンが軍隊を率いて政権を転覆させ、権力の座に就いた事件として理解されている。しかし、事実は全く異なっている。

 クーデターの1カ月前まで、ナポレオンはエジプトにいた。彼がフランスを離れている間、本国は深刻な危機に直面していた。とくに国内では、議会選挙で急進左派のネオ・ジャコバン派が台頭し、過半数を握る勢いであった。この事態を前に、穏健派はかつてのロベスピエールらによる恐怖政治の再来を危惧した。革命後に獲得した社会的地位と財産を失うことを恐れた穏健派のブルジョアたちは、改憲派のシィエス(シェイエス)の下に結集し、クーデターを画策した。

 計画がほぼ固まった頃に帰国したのがナポレオンである。シィエスら改憲派グループはカリスマ将軍を担ぎ上げ、「共和国を救う」という名目の下でクーデターを決行した。なお、当時シィエスは政府を構成する総裁の1人であったから、このクーデターもまた、議会の「陰謀」に対処しようとした権力者主導の事件と解釈できるかもしれない。そしてそれを可能にしたのは、ナポレオンの野心ではなく、自らの利害を守ろうとした革命家たちの欲望であったのだ。

 本書で私は、これまでナポレオンの視点からのみ語られてきたブリュメール18日を、あえてナポレオンに言及せずに、改憲派の革命家たちが自らの利益を守るために彼を担ぎ上げた事件として捉え直した。カリスマ的リーダーを押し上げたふつうの人々の利害や想(おも)いに焦点を当て、独裁体制を招く民主主義のパラドックスとその悲哀を明らかにする狙いがあった。

 現代社会では、日本に限らず、実行力のあるリーダーが求められているようだ。問題は、実行力さえあれば、他者の尊厳を顧みず、攻撃性や排他性を隠そうともしないリーダーの人格を容認してしまう人が増えていることである。リーダーの言動ばかりに注目が集まりがちだが、より重要なのは、そのようなリーダーを求める人々が抱えている恐怖と欲望の正体を真剣に考え、理解することである。さもなければ、歴史は繰り返される。何度も悲劇として。

 最後に一点。本書は、権威主義体制下において、多くの有権者が投票できる仕組みが整えられたこと、しかもそれが我々に馴染(なじ)み深い制度であったことを明らかにした。政治活動は統制されたが、投票は奨励された。この事実は、現代を生きる我々有権者に深い反省を促す。民主主義は投票すれば終わりではない。投票後も政治の行方を注視し、責任ある市民として、何らかの形で政治に関わり続けること。それこそが民主主義の本質であることを、決して忘れてはならない。=朝日新聞2025年01月29日掲載

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 ふじはら・しょうた 1986年生まれ。島根県出身。トゥールーズ・ジャン・ジョレス大博士課程修了。博士(歴史学)。広島大大学院人間社会科学研究科准教授。専門は近代フランス史。著書に「ナポレオン時代の国家と社会 辺境からのまなざし」。