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「第一次世界大戦記」 脚色を排し書き綴る強烈な現実 朝日新聞書評から

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2025年02月01日
第一次世界大戦記: ポワリュの戦争日誌 著者:モーリス・ジュヌヴォワ 出版社:国書刊行会 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784336076557
発売⽇: 2024/09/22
サイズ: 3.9×21cm/692p

「第一次世界大戦記」 [著]モーリス・ジュヌヴォワ

 凄(すさ)まじい本が眠っていたものだ。戦争の専門家でないわたしが本書を手にしたのは、第1次世界大戦という未知の戦争体験が、美術の世界でも決定的な引き金となり「無意味」を標榜(ひょうぼう)するダダイズムやシュールレアリスム(超現実主義)といった前衛的表現が登場するきっかけになったとされてきたからだ。それまでの美術(絵画、彫刻)では想像もつかなかった前衛美術の手法は、やがて今日の現代美術、いわゆる「アート」を生み出した。それなら第1次世界大戦が今日のアートの隠れた生みの親と言っても過言ではない。
 ところが第2次世界大戦と比べて第1次世界大戦は内実がよくわからない。決定的なのは、読書の機会がなかったことだ。第1次世界大戦の戦場について、ありのままの現実を知ろうとしても、エルンスト・ユンガー『鋼鉄の嵐の中で』(それさえ和訳本は絶版となって久しい)くらいしか見当たらない。これでは「アート」がなんなのかわからずにいるに等しい。
 そんな不満を吹き飛ばす本がついに訳された。ついに、と言うのは、著者ジュヌヴォワの名が、彼が世に出るきっかけとなった本作はもちろん、母国フランスで58冊もの著作を遺(のこ)し、アカデミー・フランセーズ院長まで務めた国民的な作家であるにもかかわらず、日本ではまったくと言ってよいほど知られていないからだ。
 訳者によると、本書が不当な扱いを受けた原因の一端は、作品の長大さにあったのではないかという。わたし自身、本書の通読に膨大な時間を要した。本は分厚く、活字は小さく、本文は2段組みで、それでも4年間に及ぶ戦争のうち初期の8カ月に過ぎず、文学といっても「戦争日誌」(1914年8月25日から15年4月24、25日まで)で、戦闘のある時もない時も「作り話めいた脚色や、事後に想像力を奔放に働かせることを一切自らに禁じた」「極めて特殊で、極めて強烈、極めて支配的な(戦争という)現実」が、ひたすら淡々と書き綴(つづ)られていく。
 だが、これこそわたしが求めていたものだった。本書を読んで初めて、第1次世界大戦がいったいどのようなものであったのかについて、わずかでも触れることができた気がする。それは知識でも歴史でもなく「すべてが空虚だ」「もう何も、何もない」「すべてが無意味で、存在しない。世界は虚無だ」という「超現実(シュールリアル)」だった。だが「それでも、それは本当なのだ。それでも、それは実際にあったことだ」――序文でそう、著者は結ぶ。
    ◇
Maurice Genevoix(1890~1980) フランス中部ドゥシーズ出身。パリ高等師範学校の学生だった1914年に第1次世界大戦が勃発し、入隊。翌年、戦場で重傷を負う。除隊後、多くの著作を残した。