群馬に住んでいた高校生の頃、東京といえば吉祥寺だった。きょうだいが武蔵境の学校に進学したのを機に、上京しては2人で吉祥寺に出向いてショッピングをしたり、ケーキを食べたりしていた。当時の私の憧れといえばParcoと多奈加亭で、足を踏み入れるたびにドキドキしたものだ。
今でも吉祥寺を歩くと当時の記憶がよみがえる。こだわりの雑貨店やカフェが並ぶ中道通りは本当に、今も昔も人が多いな。それでも三鷹方向に7分程度歩くと、少し空気が落ち着いてくる。
街々書林は、そんな一角にあった。
ドアを開けるとカウンターにいた店主の小柳淳さんが、「こんにちは」と声をかけてくれた。小柳さんはレジに本を抱えていくお客さん1人1人に、「この本は」と話題を切り出していく。私と同様、初めて来たと思しき人とも話題が弾んでいる。
小柳さんから棚に目を移すと、国内から世界のあちこちをテーマにした本が並んでいる。入口から見て左側の棚中央には、香港の路面電車(トラム)路線の立体模型図と、行先案内用シートが飾られている。そう、街々書林は旅にまつわる本を扱う、書店&ギャラリーなのだ。
第二の人生ではなく現在進行形の日々
東京都田無市出身の小柳さんにとって、吉祥寺は中学生の頃から「自転車で訪ねる」身近な存在だった。「子供の頃は臆病だった」と振り返る小柳さんだが、中学生になる頃には友達と夜行列車で長野に行くなど、旅行好きの片鱗がうかがえるようになっていた。
「高校生の時ですが、友人と3人で東京から鹿児島まで、普通の急行列車で28時間かけて向かったこともあります。別府経由で行きましたが、ちょうど大分県に差し掛かるタイミングで空が白んできて。それを見て皆でワッと盛り上がったのを覚えています。さすがに帰りは寝台特急に乗りましたが」
東京都立大学に進学した小柳さんは、同人誌を発行する友人に囲まれ、自身も旅について寄稿することで、文章を書く楽しさを実感するようになった。卒業後は鉄道や乗り物に関係する仕事がしたいと考え、某鉄道会社に就職。順調にステップアップし、グループ企業の旅行会社やホテルの代表取締役も経験した。そのホテルのラウンジは取材で時々お世話になっているので、もしかしたらすれ違っていたかもしれない。しかし小柳さんは、当時の話をすることをあまり好まない。
「だって、現在形で生きていきたいじゃないですか」
確かに過去の話ばかりするおじさんほど、手に負えないものはない。会社員時代にも執筆を続けていた小柳さんは、1997年に『香港のりもの紀行』を出版し、現在までに9冊の本を手掛けている。書店主と同時に、旅行作家でもあるのだ。
そんな小柳さんが、街々書林を始めたのは2023年6月。現在67歳だが定年後の第二の人生というわけではなく、50代を迎えた頃から漠然と、書店を始めたいと思うようになった。町から本屋が消え、旅や人文書を扱う書店もどんどん閉店に追い込まれるのを目にして、「だったら自分でやってみよう」と決意した。
しかしコロナ禍になり、鉄道や旅行業界が打撃を受けるなか「このタイミングで会社から逃げるのはどうなのか」と思いとどまり、ピークが過ぎた2022年4月に63歳で退職した。
「ちょうど『旅のことばを読む』(書肆梓)という本の校正をしていたタイミングだったので、とにかく忙しかった時期でした。会社員時代から本屋巡りをしていたのですが、かつて東京都港区南青山にBOOK246という本屋がありました。旅をテーマにしていて、スタッフの方がどの本についても質問に答えてくださる姿に感銘を受けたし、大いに影響されました。まだ会社に所属していた2020年から和氣正幸さんのBOOKSHOP TRAVELLERで『ひと箱店主』を始め、今も続けています」
サラリーマン&役員時代の経験は多岐にわたるが、書店員経験はなし。和氣さんに相談しながら自身でも学びを進めていた2023年2月、吉祥寺を歩いていたら現在の場所が貸店舗となっていた。すぐに担当する不動産店を探した。内装を依頼する工務店や取次探しなど、還暦を過ぎて味わう初めて尽くしだったが、6月からスタートすると決めて、約3カ月でオープンにこぎつけた。
「とくに大変だったのが、取次ルートを探すことでした。内装は前職時代に車両デザインでお世話になった建築家が引き受けてくださって。見事に思い描いていたイメージ通りになりました」
自信を持って勧めるために
オープン当初は約1500冊の在庫だったが、現在は約2100冊と増えている。ほぼ新刊で、新古本や古本の割合は小柳さんの著書など1%程度になっている。
「一番大変なのは選書です。すべてに目を通すのは不可能ですが、どんな本を置くかはすべて自分にかかっているので、極力内容については把握するようにしています。インターネットや書評を読んだり、時間があるときに書店巡りをしたりして、その本や著者についての質問に答えられるように、日々努力しています」
紀行や旅の本ばかりではないし、旅行ガイドは在庫のほんの一部に過ぎない。「旅への興味と敬意」をコンセプトに、広めのセレクトになっている。最近は中央アジアとコーカサス、インドをテーマにした本が熾烈な棚スペース争いをしていると語ったが、そんななかでも台湾と、友人に誘われて1983年に初めて行き、以来80回は足を運んだという香港に関する本が目立つ位置に置かれている。
世界を見る際、つい国という概念で考えてしまいがちだけど、香港や台湾のように、それではくくりきれない場所がある。どちらも中国語を話すと言われているけれど、香港は広東語で台湾は台湾華語だし、台湾には少数民族が複数存在している。世界には「国」という大きな主語では描けない、人々のまなざしや価値観が無数に存在していることを、棚を眺めながら小柳さんと話していて、改めて気づかされた。
12時34分開店の理由は
約18坪のスペースのうち奥側の約5坪はギャラリーになっていて、この日は展示初日だったらしく、にぎやかな声が響いていた。ギャラリースペースを作ったのは、何か理由があったのだろうか?
「フロアのすべてに本を置こうと在庫数を増やすことで、セレクトの質が下がる可能性が生まれるのを避けたかったからです。だから本以外のものを置くスペースにしようと思ったのですが、この周辺はカフェの名店も多いので、飲食以外にしようと。ギャラリーなら本との親和性も高いし、作品を見に来た方が本をついでに買ってくださったり、その逆もあったりするので助かっています」
小柳さんは今も年2回は海外に行き、国内は3カ月おきペースで巡っている。お話を聞いた10日後に2泊3日での奈良行きが決まっていたが、日曜夜に出発して火曜日に戻れば、月・火の定休日を利用して無理なく旅行ができると笑った。
ところでお約束の質問ではあるが、なぜ街々書林という店名になったのだろう?
「街歩きが好きだから『街々』と、昔からある書林という言葉の組み合わせにしました。英文や中文にした時に、変換しやすい名前にしたいと思ったのですが、それは難しかったですね。画数? とくに見ていません(笑)」
オープン日は6月7日、開店時刻は12時34分というところに、こちらはなんとも時刻表っぽい印象を受ける。
「12時34分というのは、好きな列車の時間なのかとお客様に聞かれたことがあるのですが、たんにゴロが良くて。あと基本的に1人で店を切り盛りしているので、あまり早く店を開けることができなくて。でも仕事の昼休憩中に来てくださる方もいるので、13時では遅いかなと。そこで12時30分はどうかと思ったのですが、どうせなら1234にしようと思ったんです」
オープンして6月で3年を迎えるが「あっという間だった」と振り返る。同時に、「本屋を始めてよかった」とも感じているそうだ。
「会社をリタイアして毎日が日曜日状態だとだらけるし、そもそも定年という考え自体が戦後に生まれたもので、農家の方や商店主は命が尽きるまで続ける人も多いですよね。最近はヨーロッパやアジアなどからのインバウンドの方も訪れるようになりました。ただ日本の個別の土地についての良書がまだまだ少ないので、何を薦めるのかが課題ですね」
英語で質問する海外客に小柳さんが英語で返すと、探し物は見つからなかったようだが、笑顔で店を後にしていた。
私が双子のライオン堂に出会って赤坂へのトラウマが克服できたように、街と人の記憶はセットになって紐づけられる。旅をテーマにした本屋は、旅人にとっては数ある店のひとつではなく、出会いの思い出を刻む場所でもあるようだ。去っていく背中を見ていて、そんな確信を得た。
小柳さんが選ぶ、その場所に住む人の営みがわかる本
●『フォルモサ南方奇譚』倉本知明(春秋社)
台湾南部をバイクでめぐり、台湾原住民の伝承をもとに風土と暮らしを訪ねる。多数の部族に分かれた原住民に加えて、大陸からの華人移民、遠方からのオランダ、日本勢などが入り混じり、話が展開する。土地に根付く精霊を感じるような気分になる、旅先を愛でるような作品。
●『明日も、森のどこかに』上田大作(閑人堂)
北海道中央部から道東にかけての地域を、年間の多くの月日をひとり森の中で過ごす写真家によるエッセイ。フクロウ、鹿、熊、キツネ、キツツキ、マスなどの生き物を追って、森や渓流を歩く。自然の中での日々が静かな心落ち着く文章で淡々と記される。
●『芭蕉 おくのほそ道 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄』松尾芭蕉(岩波書店)
江戸時代に東北から北陸を歩いた紀行。簡潔な文章と俳句が織りなす、旅心誘う傑作。歴史の中で作られてきた名所「歌枕」も訪ね、旅先で出会う人々との身近な交流も書き留められている。長くない作品なので、いちど全文を読むことをお勧めしたい。併収されている注釈書『奥細道菅菰抄』も興味深く、江戸文化の爛熟を感じる。