戦後80年、経済 バブル崩壊後の改革こそ検証を 諸富徹
日経平均株価はバブル期以来の最高値を更新し続けている。投資家は、所得・資産を大きく増やしているはずだ。他方、インフレで実質賃金が低下する庶民の生活は苦しくなっている。減税要求は強まり、選挙における政党の消長を左右するまでになった。
これが、戦後80年を経た日本経済の風景だ。「両極分解」ともいえる状況を、どう理解すればよいのか。その起源はどこにあるのか。
少なくとも高度成長期は、こうではなかったはずだ。エズラ・F・ヴォーゲルによる『新版 ジャパン アズ ナンバーワン』(広中和歌子、木本彰子訳、CEメディアハウス・2860円)は、日本の経済的成功の秘密を探った大ベストセラーである。
本書によれば日本企業は、長期的利益を重視する点に特徴があった。それが可能だった第1の要因は、短期利益を追求する株主でなく、メインバンク制の下で、銀行が息長く企業の成長を支えた点にある。
第2の要因は終身雇用制の下で、若手社員を育成して能力を引き上げ、年功序列で昇進・昇給させたため、社員に帰属意識が芽生え、忠誠心を獲得できた点にある。幹部と一般社員の待遇格差は海外企業に比べて小さく、組織的な一体感を醸成し、厚みのある中間層の形成に役立った。
これを一変させたのが、1990年のバブル崩壊だ。宮崎義一『複合不況』(中公新書・品切れ、電子版あり)は、その本質を摘出した名著である。それまでの不況は、モノの市場で需給バランスが崩れることで起きていた。だがこの不況は、資産(土地・不動産)市場で起きた金融ショック(資産価格の急落)が実体経済に波及し、不況が引き起こされる新しい現象だと指摘した。
本書の真骨頂は、90年代初頭における日米同時の複合不況の背景に、80年代以降に始まった国際的な資本移動や金融の自由化があることを見抜いた点だ。マネーの力が解き放たれ、資産価格の変動が我々の生活を翻弄(ほんろう)するようになった。本書はそうした資本主義の構造変化を抉(えぐ)り出した。
バブル崩壊後の日本は、巨額の不良債権処理と低成長にあえぐ。世界を制覇した製造業は競争力を失い、中国、韓国、台湾の企業に敗れた。
高度成長を可能にしたシステムに自信を失ったばかりか、それこそが成長の桎梏(しっこく)だと認識した日本は、二つの大きな改革を行った。一つは「コーポレートガバナンス(企業統治)」改革であり、経営者の使命を「株主価値の最大化」に据えた。もう一つは、製造業への派遣労働の解禁だ。これによって非正規雇用が大幅に拡大、現在では約4割にまで高まった。
前者によって経営者は、株主への配当支払いを高め、株価の維持に汲々(きゅうきゅう)とするようになった。ヴォーゲルが称賛した日本企業の「長期的利益の視点」は弱められた。たしかに後者によって日本企業は、人件費を抑制して利益を確保することが容易になった。だが賃金は上がらなくなり、インフレで実質賃金はむしろ低下、我々は貧困化した。河野龍太郎『日本経済の死角』(ちくま新書・1034円)は、これを「収奪的システム」として厳しく指弾する。
その行き着いた先が格差の拡大であり、橋本健二のいう『新しい階級社会』(講談社現代新書・1320円)だ。彼は、2022年の3大都市圏調査に基づいて、「アンダークラス」の実態を明らかにした。パート主婦以外の非正規雇用労働者で、平均個人年収は216万円。男性の未婚率は4分の3に達し、少子化を招いている。「厚みのある中間層」は、解体の危機だ。
バブル崩壊よりも、それを契機として実行された改革こそが現在、日本企業の競争力低下、格差拡大、少子化など、我々が直面する諸問題の原因となっているのではないか。「失われた30年」をそうした視点で検証し、次の展望を描く必要がある。=朝日新聞2025年10月11日掲載