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「セツと八雲」書評 泣きながら創作、これ自体怪談

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2025年10月18日
セツと八雲 著者:小泉 凡 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784022953377
発売⽇: 2025/09/12
サイズ: 17.2×1.1cm/218p

「セツと八雲」[著]小泉凡

 いつものように書斎の廊下を散歩していた八雲が、小一時間程して妻のセツの側(そば)で寂しそうな顔をして、小声で「ママさん、先日の病気また帰りました」と一言語って室内をしばらく歩いていましたが、そっと静かに横になったかと思うと八雲は「もうこの世の人ではありませんでした」。幼年期からの「お化け好き」の八雲は、ついに死によって「夢魔の感触」の住人になったのです。
 あっけない八雲の死ですがわずか13年の結婚生活です。セツが23歳の時、妾(めかけ)の覚悟で八雲のそばで働くことになるまでのいきさつについてはよくわかりません。
 2人とも最初の結婚につまずいています。八雲にとってセツの第一印象はよくありません。きゃしゃな人が来ると思っていたら手足がたくましく、物怖(ものお)じしない。八雲の抱く日本女性の好みとはかなり違った印象を抱いたようです。
 一方セツの八雲観は、感覚がひときわ敏感な人、思い込んだら一歩も譲らない頑固者です。私が支えてあげないとと、18歳年下のセツですが、母親のようなまなざしを向けていました。
 八雲は何ごとも日本風を好み、神社には興味津々。日本人の心根には祖先崇拝があるという観念は、八雲の日本人の精神論の軸となっていました。
 八雲が松江に来てまもなく、セツが語り伝えた怪談にとりつかれます。セツは幼い頃から物語の世界にひたっていたので、八雲はセツの語りに埋没していきます。
 セツの語りは凄(すご)みを感じさせ、声色や表情まで演じて、八雲の再話文学の核の創造に一役買います。
 セツを語り部とし、二人は泣きながら話し、泣いて聴いて、書いて泣く。八雲はセツに物を聞くとき「幽霊に触れられる恐怖」を覚え、顔色も変わり目が鋭くなる、これ自体が怪談です。でも本書は語り下ろしのせいか、起伏の変化に乏しく、ややときめきに欠けます。
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こいずみ・ぼん 1961年東京生まれ。87年から曽祖父・小泉八雲ゆかりの松江市で暮らす。小泉八雲記念館館長。