私の知るかぎり、本書は初めての「言語学者ではない人が書いた、本格的な言語学ノンフィクション」だ。何よりもまず、言語学という分野で非研究者がこういう本を出すことが、とんでもない離れ業であることを強調しておきたい。
なぜかというと、一口に言語学といっても、統語論、意味論、語用論を含め多くの下位分野があり、また各分野の中でも理論が乱立し、それぞれの専門性がきわめて高いからだ。言語学者であっても、なじみのない分野や理論のことは自信を持って語れない。
研究者にとってすらハードルの高い仕事を、研究者ではない人がやってのけるのは並大抵の苦労ではなかったはずだ。だがその甲斐(かい)あってか本書には、研究者が書く本にはない味わいがある。
まず感銘を受けたのは、著者が読者と一緒にこの広大な分野を横断する上で「会話の0・2秒」という、日常的かつ意外性のある謎を提示したこと。研究者の関心がしばしば専門外の人々のそれから乖離(かいり)してしまうことを考えると、これは著者ならではの英断だったと思う。
具体例やエピソードも豊富で、読者の頭が疲れそうなタイミングでテンポ良く話題を切り替える話術はさすが。個人的に面白かったのは、とくに難解な部分に触れるときに、著者が「なんで頭のいい研究者たちが寄ってたかって、誰でも理解でき、使いこなせている現象についてこんなに小難しい議論をしているのか?」という目線で楽しもう、と提案している部分。こんな提案、研究者からはたぶん出てこない。
言語学を面白がりながらも、言語学に対して誠実であろうとする思いが至る所に感じられる。著者は間違いなく、「言語学を愛し、言語学に愛された男」と言えるのではないだろうか。
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新潮社・1760円。25年8月刊。5刷5万3千部。著者は出版社の編集者で、YouTubeとポッドキャストの番組「ゆる言語学ラジオ」の話し手として人気。「本書の面白さが、SNSを中心に口コミで広がっていきました」と担当者。=朝日新聞2026年1月24日掲載