実石沙枝子「マッドのイカれた青春」 視点を変えた語りを重ね、じわじわと胸をうつ(第31回)
最初にぐさり、それからじわじわ、という構成が最大の美点だと思うのである。
実石沙枝子『マッドのイカれた青春』(祥伝社)は、読んでいるうちにどんどん好感度が増す小説だ。
5章とエピローグにあたる短い1章から成る作品である。それぞれの章で視点人物は異なる。第1章「季子(きこ)の奇行の理由を聞こう」は、自宅から遠く離れたイチコーと呼ばれる高校に合格した馬淵季子が、最初の登校をする場面から始まる。季子に対して男子生徒から奇異の目が向けられる。「おい見てみろよ」「うわーすげえブスじゃん」というひそひそ話を伴う、暴力的な視線が。だが季子はひるまない。不躾な生徒たちに対して彼女は呼びかける。「サタンの囁きに耳を貸すのはやめたほうがいいわ」「占ってあげる」と。
季子に占い能力などもちろんない。風貌のため中学でいじめに遭っていた彼女は、高校入学にあたり作戦を練っていた。圧倒的な変人になって、他人を寄せつけないこと。それによって誰にも傷つけられない3年間を送ろうという戦略だったのだ。
所属することになった1年B組では、意外な出会いがあった。「等身大リカちゃん人形」というべき、見たこともないような絶世の美少女がいたのである。彼女は出席番号で指定されたらしく、季子のひとつ前の席に座った。「天使とかの加護を片っ端から受けているとしか思えない」完璧な美貌の主に微笑みかけられ、季子は警戒する。圧倒的な美貌によってこれからの学校生活を支配する存在だと感じたからだ。だが案に相違して彼女はあっけらかんとした態度で距離を詰めてきたのである。
美貌の主は言う。
「あたしは槇島朱里(まきしま・あかり)ダイアナ。今までずっとマッドって呼ばれてきた。でもまあ、好きなように呼んで」
MADは名前の頭文字から来ている。槇島が姓で、朱里ダイアナが名である。イギリス人の母と日本人の父の間に生まれ、両親が共に命名案を譲らなかったために長い名前になったらしい。季子とマッドは意気投合し、親友と言っていい間柄になる。
「季子の奇行の理由を聞こう」はふたりと他の同級生との闘いを描いた話だ。ふたりがクラスの中で押しつけられる立場は異なるが、容貌で他人を判断する人々の残酷さが根底にある点は共通している。季子はマッドに呼びかける。「わたしたちきっと、イカれてなくちゃやっていけない」「一緒に生き抜きましょう」と。ふたりが手を結ぶ場面でこの話は終わる。
「季子の奇行の理由を聞こう」は、それ自体がルッキズムの問題を描いたものとして完結しており、短篇としても十分に高水準である。見た目ですべてを判断され、自分の意志と無関係に何かとして分類されること、まるでモノのように扱われることに対しての異議を唱える物語である。読み味は軽いが、ぐさりと胸に突き刺さるものがある。完璧である。
完璧だからこそ、「季子の奇行の理由を聞こう」を読み終えて逆に不安になった。作者はこの先のページで、いったい何をするのだろう。極端な言い方をすれば、ルッキズムを描いた小説として見た場合、『マッドのイカれた青春』で書かれるべき主題はすべて第1章に詰め込まれているのである。言い方を変えれば、まったく無駄がなく、その主題に徹した物語ということでもある。この直截さが何章も続いたら、あまりに正しくて読む側は息が詰まるのではないか。そんな失礼なことも思った。
第2章「きみは幹生の大正解」を読んで、そういうことか、と腑に落ちた。作者は私が思っていたよりもずっと用意周到だったのである。
第2章の語り手である幹生は、イチコーでマッドと同じ学年に属する少年だ。もちろんマッドのような特異な美貌に恵まれているわけでもなく、クラスでは自分から一歩引いたような位置にいる。2学期の終業式で校長講話を聞き流しながら幹生が自分の「目がふたつ、鼻と口はひとつずつ」「きっとありふれている、自分の顔」について考える場面からこの話は始まる。
幹生は傍観者で、男子が異性の同級生に対して行う失礼な品定めや、誰が早く恋人を作れるか、というような意味のない競争に執着することもない。だからマッドに誘いを断られた男子生徒が「……美人ってやっぱり冷たいんだな」と悪口を叩くのにも共感もしない。その態度が公平だとして信頼してくれる者もいるのだが、実は幹生には他人には明かせないある秘密があった。
その秘密の内容については触れないことにする。実石沙枝子は短篇もいいものが多いのだが、「きみは幹生の大正解」にはミステリーの技法が効果的に用いられており、感心させられた。章の終わりで読者は一抹の寂しさを味わうことになる。ミステリー的な構成はその感情を惹起させるために使われているのである。
一抹の寂しさ。もしかするとそれが各章に共通するものかもしれない。次の「朝日静夢の夜は明けない」もそうした感情を呼び寄せる話である。小学校を卒業した次の日に両親が離婚したため、語り手はアサヒシズムという詩的な響きを持つ名前になった。どの章題も語り手の名前を用いた言葉遊びになっていて、作者はそこに物語の形を暗示する何かを忍ばせている。
中学校がマッドと同じだった静夢は、高校生になった今は彼女とは別の学校にいる。だがときどき、「とびきりきれいで、魅力的な、ずっとその友達の座を狙い続けた女の子のことを」思い出すのである。この章で主として書かれるのは、マッドの中学時代に起きた出来事である。人を寄せつけないほどの美貌を持った少女は、そのために謂れのない誹謗を受け、いじめの対象にもされていた。望まない形であったが、静夢も当事者のひとりになった。
今ではもう手の届かないところに行ってしまったものを思うという話である。友達になりたいと切望していたはずなのに、なぜ静夢とマッドの間には絶望的な距離ができてしまったのか。それについて読者は考えさせられることになるだろう。第1章は外見のために他人から理不尽な暴力を受ける人物の話だったが、この章ではまったく反対の立場にいた人が語り手を務める。こうして物語は多角化し、第1章で語り切ったように見えた主題が、さまざまな立場から再検討されることになる。
静夢が感じる寂しさ、喪失感の正体について考えさせることによって作者は読者を、この話の近くに引き寄せる。心を傷つけられた者ではなく、事態を静観した者、つまりその他大勢のひとりに語り手を設定したことには意味がある。誰もがその立場になりかねないからである。ものとして扱われたひとと、それを許した者の間には分断が生じる。手を重ね合わせることもできないほどの距離を生み出す。その重さについて書かれた「朝日静夢の夜は明けない」を折り返し点として、『マッドのイカれた青春』はさらに語りを重ねていく。じわじわ、じわじわ、と物語が胸に浸み込んでいく。
実石沙枝子のデビュー作は2022年に第16回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞した『きみが忘れた世界のおわり』(応募時の『リメンバー・マイ・エモーション』から改題)で、以来少しずつ違った題材を試しながら書き手としての成長を重ねてきた。第4章「月(ゆえ)に我あり」は物語の主人公になれないが、本を読むことで世界との関わりを保ち続けている人物が語り手となる話だ。実石は2024年に『物語を継ぐ者は』(祥伝社)という長篇を発表している。これは読む側ではなく書く側になった女性の物語だった。小説についての小説ということで、その点では呼応しているようにも見える。このような過去作との接点もあり、現時点における実石のすべてが詰め込まれた力作である。この機会にぜひ知ってもらいたい作家だ。エピローグには本全体と同じく「マッドのイカれた青春」という題名がつけられている。登場人物を軽やかに世界へと解放して幕は下ろされる。彼らに幸あれ、世界にも。