馬の物語 極まる神々しい生き物への憧憬 九段理江
すべての生物は、それぞれに備わった感覚器官や身体構造や能力に応じて、独自の世界を知覚し、その世界のなかで生きている。生物学者・ユクスキュルは、こうした主体ごとに立ち上がる固有の世界を「環世界」と名づけた。私は35年前にXX染色体を持つヒトとして誕生して以来ヒトの環世界にのみ生き、そこから出ることなく死んでいく運命にあるようである。しかし、もし何らかの奇跡によって別の環世界を体験できるならば何としても馬がいい。
いつの日か馬に生まれ変わったときの予習としてまず目を通しておきたいのが、ジャネット・L・ジョーンズ著『馬のこころ 脳科学者が解説するコミュニケーションガイド』(尼丁千津子訳、パンローリング・3080円)。脳科学者で馬オタクである著者が、人と馬を脳科学的に解剖・比較しながら馬の心身に迫っていく。日本語には「馬が合う」という表現がある。相性が合う、しっくりくる、意気投合する、などの意味で用いられるが、それは本来的には人と馬の「脳が合う」ことだったのかもしれないと新鮮な気付きを得る、知的刺激に溢(あふ)れる一冊。
馬に転生する準備が整ったあとは、人生ならぬ馬生を追体験するのもいい。動物文学の古典として名高いアンナ・シューウェル著『黒馬物語』(三辺律子訳、光文社古典新訳文庫・1430円)は、「ブラックビューティ」と名付けられた黒馬「ぼく」の視点から馬の一生が語られる、『吾輩は猫である』の馬バージョン的な作品。19世紀後半の英国社会を舞台に、人間の手によって売り買いが繰り返され、「ぼく」を取り巻く人間たちに翻弄(ほんろう)され、時には軍馬として戦争にも徴用される馬たち。人間による馬への厳しい仕打ちの場面は心臓が痛むほどだが、馬の心情をとことん突き詰めようとした、作者の執念すら感じる想像力が随所に光る。
人間にかかわると何だかろくなことがない?と悟り始めたら、馬だけのユートピアへ。岡田敦著『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』(星野智之構成、インプレス・2970円)は、北海道・根室、落石(おちいし)岬の沖合にある馬だけが暮らす無人島を、多数の写真と文章、元島民へのインタビューなどで綴(つづ)るノンフィクション。本来は上陸が禁止されている島だが、写真家である著者が許可を得て残した貴重な記録だ。かつて昆布漁の労役のため運び込まれた馬たちは、深い霧と豊かな草花の覆うユルリ島に取り残され、「馬が生きるための理想の環境をそのまま封じ込めたような世界」でひっそりと生きている。代替わりを重ねて増えていった馬の管理が負担となり、馬を飼う経済合理性も失う中で、生き物の生と死という倫理的な問題に向き合う。「消えゆくものたち」の美しく静謐(せいひつ)な姿が、墓碑銘(エピタフ)に見立てた本に保存された。
コーマック・マッカーシー著『すべての美しい馬』(黒原敏行訳、ハヤカワepi文庫・1166円)は、成熟した思考を持つ少年とその友人が、馬とともにメキシコを目指す西部劇的な小説で、マット・デイモン主演で映画化もされた。著者の小説はいつも、世界の始まりから終わりまでをも透視するような凄(すご)みがあり、馬だろうが人間だろうが自然だろうが分け隔てない文体に貫かれたストイックさに陶然としてしまう。鼻息ひとつでさえ言葉を尽くして描きだされる細部から、その神々しい生き物への憧憬(しょうけい)はいよいよ極まるのだった。「若駒がもがきながら立ち上がる前にジョン・グレイディが首の上にまたがり頭を引きつけて骨張った長い顔を自分の胸に押しつけると鼻腔の暗い井戸のなかから熱い甘い息があふれ出してきて別世界からの便りのように顔や首にかかった」=朝日新聞2026年1月10日掲載