アメリカ独立250年 未完の国家、逆境乗り越えるか 上村剛
250年前の1776年は、画期的な年だ。アダム・スミスの『国富論』が出て、資本主義の未来を構想した。エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』が刊行を開始し、古典古代の智慧(ちえ)を継承した。デイヴィッド・ヒュームが亡くなった。そして7月4日、イギリス帝国の13の植民地が独立を宣言した――。アメリカ合衆国はどう歴史を歩んできたのだろうか。
合衆国という国家の本質を理解するためにまず手に取るべき古典こそ、A・ハミルトン、J・ジェイ、J・マディソンの共著『ザ・フェデラリスト』(斎藤眞・中野勝郎訳、岩波文庫・1276円)である。独立宣言から11年後の1787年、合衆国は連邦憲法を制定した。だが強力な国家をつくり、専制君主のようにうつる大統領案には、反発の声も強かった。内戦すら懸念されるほど、国家の分断は深まった。そこで新憲法の長所を力説したのが、本書だ。一方では三権分立によって専制が防止されると説きつつ、他方では、異なる党派による弊害が制度的に抑えられると論じた。注目すべきは、節度(moderation)の精神が説かれていることである。異なる党派の反論を、愚かだから、お金をもらっているから、個人的な怨(うら)みがあるからといった理由で蔑(さげす)むべきではない。そこには自分たちの主張以上に誠実な見解が含まれているかもしれず、傾聴に値するものがある、とハミルトンは説く。人間は不完全な存在であり、その考案物たる憲法を完成へと導くのは、時間と経験である。そうヒュームを援用して『ザ・フェデラリスト』は幕を閉じる。
それ以降の合衆国は、連邦憲法を柔軟に修正していくかたちで、発展した。理念を現実にうつしかえることで、軋(きし)みが生じる。その緊張と、打開の模索自体がいつしか、アメリカ史に通底する価値になった。ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン『アメリカを作った思想 五〇〇年の歴史』(入江哲朗訳、ちくま学芸文庫・1430円)が強調するのは、合衆国がいつも未完であり、実験的であるという性格である。ダーウィンの進化論が登場すると、信仰との調停を迫られた。プラグマティズム、革新主義、ポストモダニズムの登場と、グローバル化。そのたびに対立と論争が生じ、妥協と前進がはかられた。ならば今回も?と思わされるのが、アメリカ思想史の強さである。
だがそのような「アメリカ」の歴史には、一部の人間しか入っていないのではないか。黒人奴隷がヴァージニアに強制連行されてきた1619年こそ、合衆国の本当の建国の年ではないか。ジャーナリスト、学者、詩人らが共同で厳しく問い質(ただ)した2019年の「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」は、大きな論争を巻き起こし、トランプ政権の反発も呼んだ。ニコール・ハナ=ジョーンズ編著『1619年プロジェクト アメリカの黒人差別の歴史』上・下(森本奈理訳、白水社・各4180円)はその後の賛否の反響をも併せて加筆した好著だ。フレデリック・ダグラスが1852年に喝破したように、黒人にとって独立記念日は不正を表す日である。とはいえハナ=ジョーンズは、白人を徒(いたず)らに糾弾したいわけではない。黒人たちこそ、独立宣言の価値、「生命・自由・幸福の追求」の権利を命がけで勝ち取ろうとしてきたのではないか。人種的不正義を乗り越えてこそ、ついにその価値は達成されるのではないか?というのだ。「独立宣言を真っ赤な噓(うそ)にしない」(ダグラス)ように、私たちは歴史と正面からむきあわなくてはならない。
人種的対立は残存しつつ、独立宣言から250年が経過した。ならば今後は――。未完の国家がどう逆境を乗り越えるか、問われている。=朝日新聞2026年6月29日掲載