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戦後81年の夏に 時代ごとに歴史を捉え直す 益田肇

長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」=2023年

 この夏、「無言館」を訪れた。展示されるのは、戦没画学生の遺作など約200点。いわゆる戦争画は一枚もない。描かれるのは、妻や恋人、祖母や妹、あるいは一家だんらんの光景など。田園風景や東京の街角も描かれるが、人影がない。ただただ静かだ。出征を前にどうしてそんな絵を描いたのだろう。どういった人たちだったのだろう。そう思わずにはいられない。

観る側の責任

 窪島誠一郎『無言館 戦没画学生たちの青春』(河出文庫・1045円)は、遺族を訪ね歩いた際のエピソードや想(おも)いを紹介している。例えば、同書の表紙となった作品。出兵先の満州で戦病死した画学生・太田章さんが、出征前に当時18歳の妹を描いたものだ。今度の絵は自分の最後の作品になるかもしれない。そうした覚悟で描かれたという絵には、微(かす)かな緊張感すら漂う。

 このように「パーソナル」に徹するがゆえだろう。同館ほど喪(うしな)われた人を思わせる場所はなかなかない。その一方、シンガポールで日本史を教える身としては、画学生の犠牲や無念を受け止めたうえで、そもそもなぜ戦争になったのか、各地で何が起きていたのか、戦争自体も直視してほしいという気持ちもある。

 ただそれは同館の仕事というより、観(み)る側の責任だろう。そもそも同館設立を支えたのは、同書によれば戦中戦後世代に共有された「申し訳ない」という後ろめたさと経済発展に浮かれる日本社会への危機感。ゆえに、そうした感覚を共有しにくい今日、戦没画学生の絵と向き合うのは意外に難しい。では戦後81年のいま、私たちはどのように過去と向き合えばいいのだろう。

「修正」の意味

 一つのヒントとなるのが、小森真樹『歴史修正ミュージアム』(太田出版・3300円)。ミュージアム研究者の著者が、欧米各地を訪ね歩いて書き上げた。著者はまず「歴史の修正」という行為と過去の出来事を否定する「歴史修正主義」を峻別(しゅんべつ)。「修正」という行為自体は本来的には「真に誠実な歴史実践」であり、「『歴史を修正する』とは、過去を好き勝手に書き換えることではない。……語り直す権利を再分配することだ」と宣言する。例えば、2021年にリニューアルしたフィラデルフィア美術館。それまで白人、男性、健常者中心だった展示を改め、先住民、黒人奴隷、女性などにも焦点を当てた。こうした紹介を通して同書は唱える。今日のミュージアムは、「文化の保存や展示」だけでなく「歴史の修正」の場ではないか、と。

 そうした試みは、欧米に限られない。例えば今年3月、33年ぶりに近代展示を刷新した国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)。同館編『REKIHAKU 特集・近代展示をひらく』(文学通信・1200円)によれば、その目玉は、「戦争」の問題に正面から向き合ったこと。大正期の社会変化など、戦争の「前史」を重視し、個人の経験を通して歴史を問い直す、という姿勢を取った。ちなみに、シンガポール陥落時に降伏文書調印の場となった旧フォード工場戦争博物館も、17年に大幅刷新。ここでも、日記やオーラルヒストリーなど個人証言が、以前より強調された。

 歴史学はどうだろう。池上俊一『歴史学の作法』(東京大学出版会・3190円)は、歴史学の手法と対象がいかに多様化、拡大してきたかを紹介する。著者が強調するのは「生きた人間」の姿を描く社会史と心性史。ゆえにかつてはエリート中心だった政治外交史についても、女性や農民、労働者などを含めた「新しい政治史」を呼びかけた。歴史学も自らを更新し続けている。

 この夏、そうした成長し続けるミュージアムを訪ねてみたり、本を手に取ってみてはどうだろうか。時代が変わるごとに、歴史を捉え直していくのは、つまるところその時代に生きる私たちの権利であり、責務でもあるのだから。=朝日新聞2026年8月8日掲載