1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. つげ義春の世界 徹底した生活者の切実な感覚 南信長

つげ義春の世界 徹底した生活者の切実な感覚 南信長

フランスで開催された第47回アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞した=2020年2月、写真:Abaca/アフロ

 日本のマンガ史上、最も多くパロディ化されたシーンは何かといえば、作:高森朝雄・画:ちばてつや『あしたのジョー』の“まっ白に燃えつきた”シーンでおそらく間違いない。何しろ筆者が現在把握しているだけで60もの事例がある。それだけ広く知られた名場面であり、マンガの基礎教養と言ってもいい。

 しかし、特定のシーンに限定せず、いろんな作品のいろんな要素がパロディ化されているということでは、つげ義春が筆頭ではないか。なかでも「ねじ式」は、キャラクター、ポーズ、セリフ、背景まで、さまざまな形でパロディ化され、何なら作品丸ごとのパロディすらある。発表当時の評判はあまり芳しくなかったらしいが、多くの漫画家に影響を与えた歴史的名作であることは論を俟(ま)たない。

 作品集は複数の版元から何度も刊行されているので既読の人も多いだろう。が、『つげ義春 夢と旅の世界』(つげ義春・山下裕二・戌井昭人・東村アキコ、新潮社・2200円)はひと味違う。「ねじ式」の原画を、ホワイトや切り貼りの修正跡もそのままに全編掲載。「紅い花」「ゲンセンカン主人」も同様に収録されており、生々しい筆致が見られるのは貴重である。

 美術史家・山下裕二による「初めての人のためのつげ義春Q&A」は入門編としてわかりやすい。「奇跡の2年」と呼ばれる1967~68年の作品が時系列に沿って紹介されているのもうれしい。影響を受けた漫画家の一人として登場する東村アキコは、旅先でも“つげ義春ごっこ”に興じるという。つげ作品への偏愛を熱く語りつつ、「ほんやら洞のべんさん」の雪の描写など、技術的なすごさも指摘する。つげ義春の魅力がギュッと凝縮された一冊だ。

仙人とは違う顔

 本人の言葉から作品や人物を読み解くなら『つげ義春が語る マンガと貧乏』(筑摩書房・2530円)が好適。72年から2009年の間に雑誌等に掲載されたインタビューと対談をまとめたもので、生い立ちからマンガ体験、漫画家デビュー、貸本マンガから「ガロ」の時代を経て、休筆後の生活までが、意外なほど赤裸々に語られる。

 竹中直人監督・主演で映画化もされた「無能の人」のイメージから世捨て人や仙人のように思われがちだが、同書の発言から浮かび上がるつげ義春像は、徹底した生活者であり合理主義者だ。小学校卒業後すぐに工場で働かねばならなかった家庭事情もあり、マンガについて「最初から金にならなくてはやる気にならなかったですね」「収入にならないと工場にもどらなくちゃならないので、がんばっちゃったんですね(笑)」「自分の場合はすぐに生活のことを考えてしまうんです」と、表現よりお金や生活の話が先に立つ。87年発表の「別離」以降休筆状態であることに関しても「生活が出来れば、無理して描くこともないって気持ちになるのは、案外普通っていうか……」と言う。

 もちろん韜晦(とうかい)の部分もあるだろうし、創作哲学的なことも種々語ってはいる。が、そうした生活者としての切実な感覚が一連の私小説的作品のリアルな手触りにつながっていることもまた事実だろう。

伴走者の熱い愛

 そんな作家の良き理解者であり伴走者であった編集者・高野慎三が、つげ作品の聖地を巡礼するのが『つげ義春を旅する』(ちくま文庫・1045円)だ。「二岐(ふたまた)渓谷」「もっきり屋の少女」などの作品を紹介しつつ、舞台となった場所を訪ね歩く。とんでもない秘境にまで足を運び、作品の描写と実際の風景を照らし合わせて感慨にふける著者の“つげ愛”は暑苦しいほど。旅エッセイというより、つげ作品研究として圧巻だ。

 突然の訃報(ふほう)から4カ月。新作への期待は叶(かな)わぬままとなったが、残された作品は読めば読むほど味が出る。=朝日新聞2026年7月11日掲載