伊沢尚子さんの絵本「バナナのはなし」 食べすぎるほどに観察はおもしろい! 先入観が裏切られる楽しさ、体感して
――物語は、男の子がバナナを冷蔵庫に入れてみたところから始まる。「皮が真っ黒になってしまったのは、なんでなんだろう?」「バナナはどんなふうに実がなるんだろう?」「 食べたときの黒い点々は何?」……。 『バナナのはなし』(福音館書店)は、身近にあるバナナの不思議を、お話にのせて考えていく絵本だ。構成を考えたのは、サイエンスライターの伊沢尚子さん。どんな話に子どもが興味を持つか、もっと調べてみたくなるトピックスは何か、科学を見つめるおもしろさを追究する。自分でも観察し、調べて、実験していくやり方は、子どもと同じだ。
私は植物だけじゃなくて、子どもが好きそうなものはみんな好きなんです。石、骨、虫、花、草……。カビも積極的に育てて、本にしました。子どもがカビを育てる本を作りたいと科学博物館の先生に言ったときは「え、真剣に言ってるの?」と聞かれましたね。研究室では温度も湿度もコントロールできる環境で育てます。家で安全に狙ったカビだけ育てるのが難しいのは当たり前なのですが、やっぱり育てないとカビが悪いものだというだけの一面性しか見えてこないと思うんです。
今回バナナがテーマと決まったときも、いろんな角度から調べていきました。バナナの関連本は経済や社会などの分野のものも読みましたし、専門家に伺うのはもちろん、いくつか学会にも足を運んで、いろんな先生の意見を聞きました。わかりやすい表現をさがすためです。科学は、省略したり易しく言い換えたりしただけで間違いになることもありますからね。なにかおもしろいネタはないかと思ってバナナを切ったり、食べたりもしました。あまりに食べすぎて、本を書き終わる頃にはバナナアレルギーになりました(笑)。
――この絵本の制作は、福音館書店から「バナナの本を書いてみませんか」と声を掛けられたことから始まった。だが、形になるには、なかなか長い道のりだったという。
最初、編集者さんに「バナナのナナ不思議」を考えて送るなどはしましたが、絵本ってどうやって書けばいいかわからなくて、この仕事を請けようか迷っていました。そうしたらいきなり編集者さんから、バナナの苗が送られてきたんですよ。「私も育てますから! 一緒に育てましょう!」と言うんです。頑張ってはみましたが、園芸学部出身なのに見事に枯らしました(笑)。恥ずかしくて申し訳なくて、バナナについて気づいたことをたくさんメモした観察日記みたいなものを作ったんです。編集者さんにお見せしたら「これ、おもしろいじゃないですか、続けましょう!」と、企画は無事続行となりました。
書きたいことはたくさんありました。輪切りのバナナを側面からつまんで潰すときれいに3つに割れるのですが、これは子どものときからなぜだろうと思っていました。調べてみて、その謎が解けたときは嬉しかったな。3つに割れるのは、バナナの実が、縦にあわさった3つの部屋でできているからなんです。これをずっと本に入れたかったんですけれど、話の流れの中に入れるのも、子どもに説明するのも難しかった。編集者さんとのやりとりで無しになっても、どうしても入れたいから、次の案でも形を変えて入れてみたりと試行錯誤しました。
バナナを食べるとき、タネがあるかなんて考える人も、あまりいませんよね。「輪切りにしたときの黒い点がタネです」 へー。「でも芽はでません」 えー!? ……タネなら芽が出るはずという先入観が裏切られると、「じゃあどうやって増えるの?」「なんでタネから芽が出なくなっちゃったの?」という疑問がうかんできます。大人も子どもも自分が既に知っていることを利用して物事を組み立てるでしょう。でも実は違うよっていう、先入観がどんどん裏切られていく楽しさ、快感を体験してほしいです。入口は本当に身近にあって、その身近なことから、科学のぐっと深いところまで連れていってあげたい、と思っています。
――『バナナのはなし』の絵を担当したのは、及川賢治さん。絵本のバナナは写真で見せることも、細密画で本物のように描くこともできるけれど、手描きのこのイラストだからこそ読者に見てほしい流れができると伊沢さんは言う。読み手に没入感を与え好奇心を引き出しながら、科学的に明らかになっていることを見せていけるのが絵本の良さだ。
及川さんと沖縄に行ったときは、ものすごい数のバナナをスケッチしていらっしゃいました。ピカソは写実で有名なわけではありませんが、スケッチは精密です。及川さんも同じで、スケッチはもうピカソ級でした。葉脈の筋の向きも間違いないですし、バナナのおしりにチョロンと出ている花の跡も描いてくれました。これ、どのバナナにも必ずあるんです。バナナが生えている足元には、茶色くて汚い葉っぱも必ずついていて、これがあるから子どもの芽を台風のときなどに守ってくれるという話をしたら、及川さんが「これは描かないといけないですね」と絵に入れてくれました。
観察を続けていくと、バナナってきれいな葉っぱが開いたと思ったら、もう次の日にはボロボロになることがわかります。これには理由があって、台風が来たとき、大きな葉っぱが風を受けると倒れちゃうじゃないですか。葉に隙間があれば、風が通り抜けて倒れないで済むんです。だからボロボロの葉もあえて描く。こういう細かいところは専門家にも感心されました。熱帯植物研究所の方々にも絵を見ていただいたのですが、「この本、すごいちゃんと描いてあるね。子ども向けの絵かと思ったらびっくりした」と言われました。
科学というと教科書的な内容になりがちなので、細密画だと、子どもの心に入りにくいこともあります。絵本っていうのはおもちゃでもあるので、ブロックやゲームと並んで置いてあっても、子どもが自分で手を出すぐらいおもしろいもの、身近なものであってほしいと思っています。
裏表紙に及川さんが描いた、バナナの皮で滑る絵を見たときは、実はちょっとひやっとしました。普通の物語だったらそんなの気にすることないんですけど、科学絵本なので、本当にバナナの皮が滑るのか調べました。だって実際滑ったことないでしょ? 本って世の中に出ちゃったら私の手から離れて一人歩きしていくものですから。もしも皮で滑る話が迷信で、本当は滑らないなら、及川さんに描き直してもらわなければなりませんでした。
――子どもの好奇心を引き出すような科学絵本を作っている伊沢さん。科学への入口は身近なところにあり、どんどん深めることで学ぶことが楽しくなるという。
絵本を読んだ後、こんなおもしろいことが潜んでいるのはバナナだけじゃないと気づいてくれたらいいなと思います。絵本の中でバナナの皮に字を書いていますが、同じことをリンゴでもやってほしい。実はリンゴの皮はうまく跡がつかないんですよ。でも、ナシは書ける。じゃあトマトはどうだろうってね。
そういうのが、科学の始まりです。バナナの絵本は植物学の基礎です。入口は、本当はなんでもいいはずなんですよ。勉強が嫌いになる前にそれに気づけば、小学校の授業は楽しいし、中学、高校、大学と全部勉強がつながっていきます。バナナがリンゴにつながって、野菜につながって、食べるものとつながって、生き物全部がつながっている、そういう感覚が育っていってくれれば嬉しいです。