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白と青の世界 湊かなえ

 暑い日が続くようになりましたが、実はこの春、雪山デビューしました。
 登山は好きだけど、自分の技術力や安全面を考慮すると、夏山だけで十分だなと、あきらめる以前に、別世界のことのように捉えていたのに、縁あってお誘いをいただいたのです。一日13~15時間机の前に座りっぱなしという、怒濤(どとう)の執筆作業の谷間に当たる日で、煮詰まった頭をクリアにしたいという思いもあり、参加させてもらうことにしました。
 雪山用の登山靴、ピッケル、アイゼンなどを購入し、3月の末、長野県の茅野市に向かいます。
 目指すは、八ケ岳の硫黄岳。
 約20年前の夏に訪れた際は、コマクサの大群落に感激したけれど、今度はどんな景色が待っているのか。駅で山小屋の送迎車に乗せてもらうと、麓(ふもと)の町では桜が満開の時期を迎えていました。それが徐々に雪景色へと変わっていくのだから、季節を逆行しているようで、これだけでも贅沢(ぜいたく)な気分になりました。
 温泉のある山小屋に一泊し、翌朝、登山靴にアイゼンを装着して、いよいよ出発です。まずは森の中を。雪をザクザクと踏みしめながらの歩行は、想像より足に負担がなく、雪にほとんど縁のない瀬戸内育ちの私にとっては、ただただ楽しいものでした。しかし、斜面は徐々に険しくなっていきます。森林限界を超えて尾根に出る頃には、もうヘトヘトになっていました。それでも、雪の白と空の青だけの世界が視界いっぱいに広がると、元気がわいてきます。自分は今、稜線(りょうせん)と空の境目にいる。もっと高いところまで登れば、空に手が届くのではないか。幸い風はそれほど強くなく、ピッケルの使い方を教えてもらいながら、無事、広い山頂に立つことができました。
 空には雲一つなく、雪の大パノラマが360度広がる中での感想は、「ああ、足を踏み入れてしまったな」です。夏山とは違う山の輝きや息遣いを知ってしまった以上、これが最初で最後というわけにはいかなくなってしまいました。=朝日新聞2018年6月4日掲載