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作家の「蛮勇」  小説家・磯﨑憲一郎

横尾忠則 暗夜光路 赤い闇から 2001年 東京都現代美術館蔵

制御不能な言葉と生きる

 『大江健三郎全小説』(講談社)の刊行開始を記念して行われた、「同時代の大江健三郎」(群像八月号)と題された筒井康隆との対談の中で、蓮實重彦は、読んでいるこちらがたじろぐような率直さで、「大江さんが作家として一番偉いと思っている」と言い放った後で、その理由を「世界に対して、あるいは言葉に対してどのような姿勢をとるかということを本能的に心得ている」「彼ほど言葉を自分の思い通りにしようと必死に操作しながら、しかしそれが思い通りに行かないことへの当然のいら立ちと脅(おび)えのようなものを生の刺激として書いた人はいない」と説明している。
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 優れた小説家とは、一般に、素朴に信じ込まれているような、言葉を意のままに操り、その言葉によって世界の一部を鮮やかに切り取る能力を備えた人々ではない。幾ら言葉を積み重ねたところで自らが描こうとする対象にはとうてい追いつかず、書き進めば進むほど、今度は言葉の方が勝手に一人歩きを始めて収拾がつかなくなる、そうなると分かっていながらそれでも言葉を携えて原稿に立ち向かっていく、蛮勇とも思える営為を続ける人々なのだ。その意味では寧(むし)ろ、そうした言葉の限界と制御不能さを知る者こそが、真に優れた作品を書き上げる資格を得るのかもしれない。
 朝吹真理子『TIMELESS』(新潮社)の主人公の女性「うみ」は、恋愛感情を持たぬまま「交配する」という約束だけを交わして、高校時代の同級生「アミ」と結婚する、アミには別に年長の恋人がいるのだが、自らが被爆三世である事を恋人には話せずにいる。友人の披露宴からの帰途、うみとアミは「時間が横たわったまま堰(せ)き止められている」かのような、廃屋ばかりが続く夜の谷に迷い込む、そこでは金色の目をした猫又(ねこまた)が電線を伝い、四百年前に荼毘(だび)に付された江姫の死臭を消すための、大量の香木を焚(た)いた煙までもが漂っている、互いの発する香りだけを頼りにかろうじて存在を確認し合っていた二人もやがて「くらいもの」となり、「隣にいるひとが誰なのかわからなくなる」。まるで海と陸とに引き裂かれた一卵性双生児のように似ていながら、奇妙な距離を取り続けるこの男女の関係は、作中に差し挟まれる科学や歴史の知識が、知識の羅列では解明できない部分を残すのと同様、言葉では説明し切れないものなのかもしれない。しかし作者は敢(あ)えて、言葉の届かない部分をこそ言葉によって表現するという力業(ちからわざ)を試みているようにも思う。
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 青山七恵の短篇(たんぺん)集『ブルーハワイ』(河出書房新社)の表題作は、東京での教員生活に挫折し、故郷のマスコット人形工場で働く主人公「優子」が、たまたま訪れた夏祭りの会場で、かつての教え子だという少女「ミナイ」から呼び止められる、その直後何の気なしに引いた福引きで特賞のハワイ旅行を当ててしまう場面から始まる。翌週、ミナイは優子の職場に突然現れる、そして優子にしつこく付き纏(まと)い、学校でいじめに遭っていたミナイを慰めてくれた事や、「自分を大事にしてもらうために、大声をあげたり、ほかのひとにかみついたりするのは、できればやりたくないよね」と共感し合った事を伝えるのだが、優子はそれでもまだ、ミナイが自分の教え子であったという確信を持てない。それにしてもこの、捏造(ねつぞう)されたようにさえ見える一方的な記憶は明らかに不自然だ。ミナイという少女はいったい何者なのか? 主人公を貶(おとし)める罠(わな)がどこかに隠されているのではないか? そんな不吉な予感が高まっていく終盤、ほとんど唐突に主人公が吐露する、「この少女を(中略)大切にいつまでもいつまでも、自分ひとりだけのものにしておきたい」という「うすぐらい欲望」に仰天させられるのだが、この部分は作者が書いたというよりも、小説自身の発した叫びのように思えてならない。小説の言葉の恐ろしさを垣間見る気がする。=朝日新聞2018年7月25日掲載