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温又柔「空港時光」書評 日本と台湾、人の数だけ存在する

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年09月08日
空港時光 著者:温又柔 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説の通販

ISBN: 9784309026954
発売⽇: 2018/06/25
サイズ: 20cm/176p

空港時光 [著]温又柔

 日本とは何か。温又柔は問いかける。たとえば短編小説「百点満点」で終戦の日に台湾では昭和が終わる。もしそこが日本でなければ、そもそも昭和という年号は存在しない。だがそこが日本なら、その後もずっと続いていたはずだ。
 あるいは母親の言葉だ。台湾では学校に行かなくていいという娘の言葉に彼女は反論する。「因為我們去台湾的時候、都是なつやすみかふゆやすみ。リ・マレ・タイワン・ドウアーハン、台湾の学校に行かなくちゃダメ。不可能毎天去デパートかレストラン!」。中国語と台湾語と日本語が混ざった台詞はまるで詩だ。だがもし日本の読者が訳なしに理解できるなら、これもまた日本語ではないか。
 日本と外国、日本語と外国語。僕らの頭の中にはこうした二分法が居座っていて同時に両方であるものについて考えられない。だから日本には、台湾は親日だと言う人と、かつて日本に植民地にされた台湾の怒りを指摘する人の2種類しかいない。しかし温は言う。彼らは対立しているようで、台湾を単純な存在として見ている点では同じだ。
 そこで温が強調するのは複雑さだ。エッセーで自分語りをし、同時に小説で、世代や性別、国籍の違う様々な人々の主観に入っていく。いつどこでどんな教育を受けたか、その後どこに移動したかで日本や日本語との距離感は違う。そしてどの人の経験もすべて真実なのだ。言い換えれば、人の数だけ日本は存在する、ということになる。
 エッセー「音の彼方へ」で台湾に住む祖母は、幼いころ教育された日本語で、日本育ちの孫娘の温に嬉しそうに語りかける。歴史を学んだ孫娘のほうは複雑な気持ちでいるのに。こうした一見、政治的に正しくない場面にふいに現れた祖母の優しさを捉えるとき、温は正面から文学に向き合っている。もし日本や日本語について考えることが日本文学の役割ならば、温はその中心にいる。
    ◇
 おん・ゆうじゅう 1980年、台北市生まれ。3歳で東京に移住。作家。『真ん中の子どもたち』が芥川賞候補作。本書は10の短編小説とエッセーを収録。