ありえない男 ♯3
クローデットは誰より愛を欲する女だ。そんな彼女が誰より彼を必要としても彼はもうそこにはいない。
彼女のためにもほかの誰のためにも彼はもういない。だから自分の愛した人たちが今後どうなるのか、彼には見当もつかない。
その答は彼が見つめている壁にも書かれていない。どうしてこんなところに来る破目になってしまったのか。その答もまた。
いや、そんなのはたわごとだ。少なくとも自分には正直にならなければ。彼は時間以外には何もない眼のまえを見ながらそう思う。
少なくとも、少なくとも、自分には真実を話さなければ。
どうしてこんなところに来ることになってしまったのか。それは自分でもよくわかっている。
一歩一歩、クソ一歩クソ一歩ずつやってきたのだ。
終わりは始まりを知っていても、その逆もまた真というわけにはいかない。
まだ子供の頃には尼さんたちが教えてくれたものだ。神さまは――神さまだけが――わたしたちが生まれるまえから、わたしたちが生きる日々のこともわたしたちが死ぬ日のことも、わたしたちが何者になるのかもご存知なのだと。
マローンは思う――そういうことなら、そのことを教えてくれていてもよかったのに。ひとことでも、何かアドヴァイスをして、おれに注意してくれてもよかったのに。おい、そこのヌケ作、おまえは左に曲がっちまったんだよ、右に曲がらなきゃいけないのに、とでもなんとでも。
しかし、ひとこともなかった。
神の大ファンになるには、彼はこれまであれこれ見すぎてきた。だから今思う。それはお相子で、神もおれの大ファンではないのだろう、と。神には訊きたいことが山ほどあるが、神がひとりでいる部屋を襲っても、神は口を閉ざすだろう。そして、弁護士が来るのを待って、自分の子供に自分のかわりをさせるだろう。
警察に身を置いているあいだに、マローンは自らの信念などすべてなくしてしまっていた。そして、そのときが来たときには――悪魔の眼をのぞき込むようになってしまったときには――彼と殺人者とのあいだにはもう何も残っていなかった。銃の引き金を引くときの十ポンドの力しか。
十ポンドの重力しか。
引き金を引いたのは確かにマローンかもしれない。が、彼を引きずり降ろしたのはたぶん重力だったのだろう――警察に十八年身を置いたことから生じる情け容赦のない不寛容な重力だったのだろう。
彼をこの場に引きずり降ろしたのは。
もちろん、マローンもこんな場所で終わるために警察官になったわけではなかった。こんな場所で終わることを考えながら、警察学校卒業の日に――人生で一番幸せだった日に――帽子を放り投げ、誓いを立てたわけではなかった。
彼もまた人を導く星をひたと見すえ、地に足をしかと着けて歩きだしたのだ。しかし、人が歩む人生にはありがちなことながら、極北をめざして歩きはじめても、歩く方角はときにぶれる。それが一年ほどのあいだのことなら、たぶん問題はないだろう。五年でも支障はないかもしれない。ただ、月日が経てば経つほど、最初にめざそうとしたところからずれてしまうというのはよくあることだ。そうなると、気づいたときには離れすぎてしまい、最初の目的地がもはやどこにも見えなくなる。
だからと言って、出発点には戻れない。
時間と重力がそれを許さない。
それができるなら――とマローンは思う――多くを差し出してもいい。
いや、すべてを差し出しても。
なぜなら、パーク・ロウのこのような連邦の拘置所でキャリアを終えるなど考えもしなかったからだ。実際、誰も考えもしなかっただろう、神以外は誰も。しかし、神は彼に何も言ってくれなかった。
そして今、彼はここにいる。
銃もなく、バッジもなく、彼が誰であり、何者であるかを語ってくれるものもなく、彼は今ここにいる。
汚れたお巡りとして。