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二葉亭四迷「浮雲」 言文一致の新しさと苦悩

ふたばてい・しめい(1864~1909)。作家。

平田オリザが読む

 北村透谷が文学に対する煩悶(はんもん)の末に自死する以前に、透谷とは別の角度から新しい文学を模索し挫折した男がいた。二葉亭四迷である。もちろんこの名は筆名で「(こんな自分は)くたばって仕舞え」という自虐から来ている。この名の由来があらわす通り、彼はとてもナイーブで自分に対して厳しい男だった。

 代表作にしてデビュー作の『浮雲』。主人公内海文三は自意識ばかりが高く要領の悪い男で、そのために官吏の職を失い、慕っていた女性も友人に取られそうになる。

 この『浮雲』は、言文一致で書かれた日本で最初の近代文学ということになっている。試みに抜き書きをしてみると、その文体は以下のような感じだ。

 〈文三には昨日お勢が「貴君(あなた)もお出(いで)なさるか」ト尋ねた時、行かぬと答えたら、「ヘーそうですか」ト平気で澄まして落着払ッていたのが面白からぬ。文三の心持では、成ろう事なら、行けと勧めて貰(もら)いたかッた。それでも尚(な)お強情を張ッて行かなければ、「貴君と御一所でなきゃア私も罷(よ)しましょう」とか何とか言て貰いたかッた……〉

 たしかにこれなら声に出して読んで、それを聞いているだけでも解(わか)る。

 もう一点、『浮雲』が画期的だったのは、勧善懲悪ではなく、筋と言えるほどのものも(それまでの戯作〈げさく〉に比べると)明確にはなく、ひたすら主人公の内面の葛藤が描かれていくところにあった。文学を志す多くの若者は『浮雲』の登場に衝撃を受けた。いよいよ新しい時代が来ると人々は期待した。しかし当の二葉亭四迷だけは、まったくこの作品に満足できず、いきなり筆を折ってしまう。

 四迷は新しい文体を得たが、それで何を書けばいいのかが解らなかった。彼はロシア語に堪能で、当時、西洋近代文学の頂点を極めつつあったロシア文学に精通していた。それとの対比から、己の力のなさを自覚していたのだろう。四迷が再び小説を書くのは、この二十年後になる。=朝日新聞2019年8月3日掲載