アテネの空港からケファロニア島へ飛んだ。島の空港から東海岸の港へ。
「へえー、この舟に乗るの?」
一行五人。エンジンはついているけれど、ボートみたいな小型船。三十分ほど海を滑ってイタキ島の西海岸に着いたが、ここでまた、
「へえー、ここでいいの?」
港とは言えない。簡素な船着き場である。迎える人とてなく、同行の現地人ガイドが土手を登り、そこに公衆電話があるらしい。やがて車がやって来て私のイタキ島の旅が始まった。
イタキ島……ギリシア神話を知る人なら、きっと記憶があるだろう。トロイア戦争の英雄オデュッセウス(ユリシーズとも)の故郷である。はるか海を隔てた戦いに参加し、木馬の計略で勝利をもたらし、その帰路には巨人の島に漂着したり、小島の王女ナウシカに愛されたり、ようやく二十年ぶりに故国に帰ってみれば、ここでも一騒動、ならず者と化した男たちがたむろし、オデュッセウスが死んだものと考えて、残された妻に求婚している。それらに制裁を加えて復権……。伝説の遺跡を訪ねるのが私の旅の目的だった。
イタキ島の東海岸には、それなりの港町があって、ここのホテルに滞在したのだが、夜には、
「どこか、この島らしい、うまいレストラン、ないかな」
と尋ねれば、
「この道を少し行くと、ありますよ」。
海ぞいの道を歩くと、周囲はどんどん暗くなり、寂しくなり、
――本当にこんなところにレストランなんか、あるのかな――
疑い始めたころにようやく見つかった。こんなことも旅の楽しみの一つである。
公道を挟んで片側に調理場があり(こちらにも客席があるのだが)海ぞいのスペースに主な客席がある。客たちは調理場へ行って食材を選び、店はそれを調理し、店員が車がしばしば疾駆する道を横切って運んで来てくれる。
きすのような魚をそのまま油であげた一品がものすごくうまかった。新鮮であることは疑いない。食べながら足元の海を見ると、小魚が集まり、パンくずを落とすと争って食べる。
ギリシアの料理は(私見を述べれば)見ためはあまり美しくない。うまそうでもない。しかし、食べると、うまい。とりわけ田舎に入ると、そうだ。サラダなんかただ野菜を切っただけ。それがみずみずしく、滅法(めっぽう)うまいのだ。
黒い空と海に星だけが輝いていた。私は三千年も昔の英雄を偲(しの)んで素朴な美味を満喫した。=朝日新聞2019年8月3日掲載