謎の文学コンプレックス
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
あまり子どもの頃から本をすごく読んでいたというタイプではなかったのですが、でも、母親がよく地域の公民館の図書室みたいなところに連れていってくれて、紙芝居を借りて読んでもらったことは憶えています。
――お母さんが紙芝居をしてくれたんですか。
そうです。長方形の箱に入ったものを1枚ずつめくっていってくれて。「桃太郎」的なものなど、昔話の定番が多かったと思います。
――今思うと、腕白な子でしたか、それともおうちの中で遊ぶのが好きな子でしたか。
基本的にはインドアですね。腕白さはゼロって感じで(笑)。家ではテレビを見るか、あと、家族がクロスワードパズルみたいなのをよくやっていたので、自分もやりました。あ、でもインドアと言いつつ、マンション住まいだったので、同じマンションの子とは近所で遊ぶことが結構ありました。友達を作るのが得意なほうではなかったのですが、マンションだと同じ年代の子が自然にまわりにいるので、マンションに助けられました(笑)。
――生まれは東京ですよね。
生まれてから2、3歳まで東京の浅草の、花やしきの近くで育ったらしいんですけれど、最初の記憶が埼玉に引っ越してきた日の記憶なので育ったのは埼玉という意識ですね。なので「東京生まれ詐欺」ですね(笑)。
――そうだったんですね(笑)。小学生の頃に読んだ本で憶えているものは。
小学生の時はさくらももこさんのエッセイが一番印象に残っていて、あとは、自分でもなぜなのか分からないんですけれど、子どもが病気で亡くなっちゃうとか、事故で亡くなっちゃうみたいなノンフィクションを探して読んでいたんですよね。
――探すというのは、どのように。
小学生の頃はずっと図書室に行っていたんですね。そこでタイトルに「白血病と戦った何々君の記録」みたいなものを見つけては読んでショックを受けていました。暗いなって思うんですけれど(笑)。
――なんでしょう、死に対して興味があったのでしょうか。
たぶん、あったと思います、今考えると。あとは、小学生か中学生だったかで、『路傍の石』や夏目漱石や太宰治にチャレンジして「本当に無理」って思って。小中学生時代はそんな感じです。『一握の砂』とか、格好いいタイトルの本に憧れては、「ちょっと意味が分からない」と言って挫折。だから、中学生や高校生の時に太宰に衝撃を受けたとか、三島由紀夫や寺山修司を読んで人生変わったと言うような方を見ると、「すごい」って憧れます。僕もそういう衝撃を受けてみたかったっていう。だから、幼少の頃から謎の文学コンプレックスみたいなものがありました。
――ご兄弟はいますか。文化的な影響は受けたのかなと思って。
6歳上の兄がいます。歳が離れているので、仲がいいとかそういうのではなく、もう本当に「いる」という感じでした。ただ、兄は漫画をたくさん所有していたので、思春期は兄から物語を教わった部分が大きかったと思います。最初はさくらももこさんとか「週刊少年ジャンプ」。「ジャンプ」は最盛期だったので毎週買って読んでいました、というか、買いに行かされて、でも先に読むと怒られました(笑)。『幽☆遊☆白書』や『ドラゴンボール』、『スラムダンク』あたりが好きでした。いまだに『幽☆遊☆白書』の富樫義博さんはすごく好きです。兄が年を取るにつれて、男子向けの恋愛漫画みたいなものが出現しはじめて、それを小学生で読むという状況で。
――男子向けの恋愛漫画......。『BOYS BE...』みたいな作品ですか?
まさにそういうものです。『BOYS BE...』とかになると子ども心にも、「なんかご都合主義だな......」とか思えてたんですけれど、それに近い漫画で安原いちるさんの『ANGEL♡BEAT(エンゼル・ビート)』という漫画がありまして、これは男の子も女の子も可愛く活き活きと描かれていてすごく好き。今でも安原さんは『ばりすき』という博多弁ラブコメマンガを描かれていて、好きで読んでいます。
――作文や読書感想文は好きでしたか。
結構好きでした。子どもの頃から人の顔色をうかがいがちで、「何を書けば大人は喜ぶのか」というのが分かっていたんです。だから割とスラスラと書けたんですよね。いやらしい子どもでした(笑)。自分は中学校受験をして全部落ちたんですけれど、国語は得意でした。ああいう中学受験の国語とかって、解き方の傾向を塾で教わりますし。
本が読み進められない悩み
――中学時代で印象的だった本はありますか。
中学生時代も図書室は好きで、いわゆる少年少女小説みたいなものを少しだけ読みました。斉藤洋さんという児童文学の作家の『サマー・オブ・パールズ』という本は、いまだに好きで読んでいるんです。ひと夏の恋愛みたいな話なんですけれど、主人公の男の子がお兄ちゃんから株式投資のイロハみたいなものを教わって、疑似的に株式投資ごっこをするなかで、恋愛要素も絡んできて、そこがめちゃめちゃ面白いなと思っているんです。オススメですね。
あとは、荻原規子さんかな。『レッドデータガール』などの著作があってすごく読者の多い方ですが、『これは王国のかぎ』っていう本は、女の子が『アラビアンナイト』の世界にトリップして王子らしき人と出会って冒険する話で、これも図書室で見つけてすごく好きでした。
それと、その頃『バトル・ロワイアル』はすごく流行ったんで読んでいました。そういう、学校で回し読みされるような小説は読んでいたんですが、いわゆる文学青年みたいな感じではなかったです。
――では、また小説家になりたいとか、そういう気持ちはまったく...。
本の佇まいが好きだったのと、あと、物語が好きだったので、結構漠然と「自分は何かを書くんじゃないか」という思いはその頃からあったと思います。とにかく、物心ついた時から物語に対してよく分からない執着がありました。いまだにその執着が何なのかって分からないんですけれど。わりと人見知りだったし喘息とかアトピーがあったりして身体弱め、みたいなタイプで内向的だったので、他人のことが知りたいという気持ちがすごくあって、それを物語の形で知るのが好きだったんだと思います。そういう思いがあったのに全然読書が進まないので、まあ、もどかしいというか。はい。
――ああ、本は好きだけれど、どんどん読み進められるタイプではなかった、と。
そうですね。本当に何を読んでいいか分からなかったし、国語の教科書に出てくるようなものは難しくて。でも国語便覧とかは好きで眺めているとか、そういう感じでした。
――青い鳥文庫みたいなレーベルと出会えていればまた違ったのかも。
根本的に集中力が欠けていたんだと思います。いわゆる『ズッコケ三人組』みたいな子ども向けシリーズもいっぱいありましたが、そういうのも読んでは途中で止め、読んでは途中で止め。この連載で作家のみなさんが子どもの頃に読んでいるような児童文学系のものとか、冒険小説とかも一応手を出しているけれども、挫折につぐ挫折だったと思います。......「読書道」の話なのに大丈夫かな。
――そこからよく芥川賞作家に...。読書以外で、何か集中できること、好きだったことはありましたか。
そうですね、小中学生の頃はRPGゲームをすごくしていましたね。中学受験をしたので受験の時期はゲームを禁止されて勉強をしたり、中学校時代はバレーボール部だったのでバレーボールをして、あと、ピアノを習っていたので、すごく上手いわけじゃなかったけれど、惰性のような感じで弾いていました。中学時代はJPOPが好きでオリコンを追いかけてカラオケに行ったり、そういうふつうの中学生だったと思います。
――漠然と「何かを書くんじゃないか」という思いはあったということで、実際に物語を空想してみるとか、書いてみるということはしましたか。
中学生の時に友達とノート交換みたいなことをしていたんです。その時に漫画の真似みたいな話を書いたのが最初でした。自分ではそれがすごくオリジナリティがあると思ってたんですけれど、子どもなので、今考えると完全に漫画を小説にしたみたいなものでした。要するに、ジャンプ系とか、恋愛漫画みたいなものの要素を少しずつ混ぜ合わせたような......すごく恥ずかしいんですけれど。漫画が好きだったから絵も描いていて......すごい恥ずかしいです(笑)。
――そのノートがいまだに友達の手元にあったりする可能性はありますか?
実は僕の家にあります。超やばいです。何年か前に引っ越しした時に見返したんです。友達の書いた部分も残っているんですけれど、友達に比べても自分はすごく幼なくて、早熟なタイプとは程遠いなと思いました。だからこれは、誰にも見られないうちに......(笑)。自分が意識あるうちに燃やしちゃったほうがいいですよね。
――ますます見たくなります(笑)。その後、作家になりたいと自覚的になっていったわけでしょうか。
そうですね。高校時代はもう、なれたら小説家になりたいって気持ちがありましたね。そういえば、小学校高学年くらいからテレビドラマが隆盛していて結構好きだったので、母親に風呂あがりか何かの時に「俺は俳優になりたい」と言ったのを憶えているんですけれど、今考えるととんでもない。思い上がりも甚だしいと思います。その後にドラマを作る人になりたいと思って「脚本家になりたい」と思ったんですけれど、脚本家のなり方が分からなくて、どうすればいいんだろうと悩んだ思い出があります。それこそ小学生の時に図書室で、『脚本家になるには』みたいな本を読んだりして、自分で録画したドラマをシナリオ化してみようと思ってコマ送りで見たりしたんですけれど、不可能でした(笑)。で、高校生くらいからもう、そういうのは無理だし、やはり小説家になりたいという気持ちになったと思います。
――ドラマが隆盛していたということですが、どのあたりのドラマでしょう?
いちばん最初の記憶が、観月ありささんといしだ壱成さんが出ていて、ふたりが入れ替わる「放課後」っていうドラマ。それもたぶん、家で母や兄が見ていた影響です。祖母がその時家にいたんですけれど、「火曜サスペンス劇場」や「渡る世間は鬼ばかり」みたいなものがすごく好きで、つねにそういうドラマが家の中で流れていたなというのを、今思い出しました。
本が読めるようになった本
――さて、高校時代はどのような本を読まれていたのですか。
高校時代は結構ブックオフとかに行っていたんです。それで山田詠美さんの『放課後の音符(キイノート)』を読んだ時に、「これなら読める」って。頭の中がそれでいっぱいになるぐらいの衝撃を受けて、それをきっかけに本が読めるようになったと言ってもいいくらいです。母親に山田詠美さんという人の本が面白かったという話をしたら、母親が会社の人から江國香織さんの文庫本をどっさり借りてきたんです。でもその時は読まなかったんですね。置いておいて。そうしたら、『冷静と情熱のあいだ』がむちゃくちゃ流行ったんです。
――江國香織さんと辻仁成さんが、一組の男女の女性側、男性側それぞれの視点から書いた恋愛小説ですね。
その江國さんのバージョンを高校の授業中とかに読んでいて(笑)。読んだ時はあまり何も思わなかったんです。でも、後で思い返した時に、あれめちゃめちゃ面白かったなって思ったんですよ。結構、いまだに本を読んでいる最中はよく分からなくて、後から思い返して「あれすごく面白かった」と気づくことがあります。その体験から、置きっぱなしになっていた江國さんの文庫とかを読んで、そのあたりから太宰治とか三島由紀夫が読めるようになってきたんですよね。わりと小説とか、文学的なものの原体験になっていると思います。
――『冷静と情熱のあいだ』以降に読んだ江國さん作品で面白かったものは。
いまだに読み返すんですけれど、『ホリー・ガーデン』が好きです。果歩と静枝という二人のねじれた友情と、二人の恋人たちとか、前の恋人への歪んだ執着とか。最初に読んだ時はたぶん、自分の知らない世界の話だからあんまりよく分かってなかったんだと思うんですけれど、分かってないなりに面白かったのがすごいなと。
あとがきで、江國さん自身が余分なものが好きでそういうものばっかりを書いたみたいなこと仰っていて、そうした余分な部分の繋がりがひとつの大きな小説になっていくところが面白かったです。30回以上読んでると思います。
――ちなみに山田詠美さんは『放課後の音符(キイノート)』以降、作家読みはされたのですか。
あ、読んでました。新刊が出たら読むという感じでしたね。自分がなかなか文学に入れなかったのはたぶん、本の中に違う風景があることを文字で認識するのがすごく苦手で、それに手間取っていたんだと思うんです。山田さんの『放課後の音符(キイノート)』や『僕は勉強ができない』とかは、自分と同じくらいの世代の心情をベースに、見知った風景のなか展開されている世界だったので、それでとても読みやすかったというのがありますね。
短篇集の『姫君』もすごく好きです。登場人物が格好いいんです。山田詠美さんや江國香織さんは基本的に能動的な哲学を持ったフロンティア・スピリットあふれている人たちを描いていて、特にこれは表題作の姫子や、「MENU」という短篇に顕著だったと思います。でも「姫君」に関しては、男性の摩周は受動的な哲学の持ち主で、それに衝撃を受けた思い出があります。姫子みたいな、姫的な奔放な女性と恋愛する男の人という感じで、言ってしまえばSとMみたいな関係なんですけれど、ある時その哲学というのが反転する瞬間がある。それって20歳足らずの自分からすると、めちゃめちゃドキドキしたんです。それと、『姫君』は、『闇金ウシジマくん』を描かれた真鍋昌平さんの表紙も格好よくて。あ、それと、高校時代は母の影響でエンターテインメント小説を結構読んでいたんですよ。母親がハードボイルドが好きで。
――へええ。どの作家さんたちでしょうか。
大沢在昌さん、桐野夏生さん、東野圭吾さん、宮部みゆきさんとか、ミステリー系の小説は読んでいました。とくに印象に残っていたのは大沢在昌さんの『心では重すぎる』っていう本で、これは最近突然読み返したくなって、再読したんですよ。むちゃくちゃ良かったですね。桐野夏生さんも『柔らかな頬』や『OUT』などを読み返してます。だから、エンターテインメント小説を読みながら、山田詠美さんと出会って、少しずつ日本文学的なものが読めるようになっていったという感じです。
――読めなかった太宰や三島が読めるようになったのは、トレーニングというかウォーミングアップができたから、という感覚なんでしょうかね。本好きな人でも、いきなりなんでもすらすら読めたわけではなくて、ある程度慣れが必要だったりするものですよね。
そうですね。自分はとくに慣れとか訓練みたいな助走期間が必要でした。慣れてしまってからはもう、本を読むことが当たり前になったんですけれど、そこに行くまでの苦しみがありました。読む順番も大事だなと思います。昔読んで駄目だったものでも、その後もう一回手に取ってみたら面白く読めたものが、自分の場合は多いので。
――太宰、三島はどの作品が好きですか。
太宰は結果的に「津軽」とかがすごく好きです。紀行的なものとか、どちらかというと体調が良さそうなものが好きです。太宰のその時々の情緒的な波ってまるごと結構好きなんですけれど、僕は、比較的元気そうな太宰治がわりと好きです。三島由紀夫も当時すごく好きで、内容はまったく憶えていないんですけれど繰り返し読んでいるんですよね。このへんになると時系列があやふやなんですけれど、いわゆる現代作家のものもわりと読めるようになってきて。当時から活躍していた村上春樹さんも読みましたし、人気の方の作品は結構。保坂和志さんとか町田康さんを読んで、インターネットなどを見ていると、いろんな好きな作家たちの系譜として古井由吉さんや小島信夫さんなどがいるのが分かってきて、それでふたりの小説を読んだりもして。大江健三郎さんも。その後で夏目漱石も読めるようになって、今すごく好きだと思う日本の近代小説の人というと夏目漱石なんです。
――それがいくつくらいの頃ですか。
高校を卒業して、20代、フリーターから会社員になったくらいですね。高校時代でもフリーター時代でも、本を読んでいる友達が全然いなくて、世の中のいわゆる読書家って知らなかったんですけれど、会社に入社した時に友達の本棚にブコウスキーとかフアン・ルルフォとか、海外文学がいっぱい刺さっているのを見て、「本当に本を読んでいる人が世の中にいるんだ!」って。その友達にブコウスキーとルルフォを借りて、海外小説も少しずつ読めるようになっていきました。最初、23歳くらいではまだ小学生時代の文学コンプレックスと近い感じで海外小説コンプレックスがあって、「こんな難しいの、どうせ誰も読んでないだろう。嘘だろう」とか思っていたんですが、友達が読んでいたから「やっぱり読めるものなんだ」と思えた部分が大きかった。その友達と出会わなかったら、危なかったです。
――読んでみたら面白かったんですか。
その時は背伸びしようとしたと思うんですけれど、読み始めたらすごく面白くて好きになりました。僕は大学に行かなかったんで、文学教育みたいなものとか、読書体験の共有をまったくしてこなかったんで、すごくカルチャーショックでした。
小説の投稿を始める
――大学に行かなかったというのは、選択として、何か決断みたいなものがあったのですか。
すごく漫然と生きていたので、高校時代にもう勉強したくないと思ってしまって(笑)。小学生時代に中学受験をして落ちて、小学校のときの塾の勉強で高校受験くらいまでは貯金があったというか、それで高校まで行けたものの、高校で全然勉強しなくて。なんにもやる気を出さないままなんとなく生きていたという感じですね。「大学に行ったほうがいい」という気持ちすら持っていなかった。「世間の人はわりと大学に行くもんだ」というぐらいの認識はあったんですけど、なにか自分なりの意志とか拘りがあって大学に行かなかったわけではなく、そこはかとない絶望だけで毎日をやり過ごしていました。でもバイトは楽しかったです。休憩室で本を読んでいると、みんな優しかったけど、自分も本を読んでいるという人はまわりにいなかった。
――心では「いつか作家になる」と思いながら?
なれるのかなあ、なれたらいいなって思いながら。子どもの頃から常に、根底的なところでやる気がないというか、自分はどうせ世の中に馴染めないだろうみたいな決めつけがあって、「どうせ無理だし」みたいな気持ちで、その時その時でその場しのぎで生きていたというのが20代前半ですね。
――就職したのはいくつだったのですか。
21歳です。その時も世の中の人がこれくらいの年齢で会社に入るから自分も入ったほうがいいかもしれないと思ってなんとなく入ったんです。まだ恵まれた時代だったと思います。その後の就職活動が激化して、苦労している人たちの話を聞くと、そんなに若くして自我みたいなものを求められるなんて辛いと思いました。この時代で就職活動をしている人たちは本当にすごいと思っています。
――その時に就職した会社に今もお勤めなんですか。
いえ、その会社は倒産しまして、転職して今の会社です。無事転職できてラッキーでした。
――20代はどのように過ごされたのでしょう。読書生活だけでなく、小説の執筆についても。
それまでも書いてはいたんですが、20代前半の頃に、自分が書くものがお話主体のものから、いわゆる文学志向になったと気づいた瞬間がありました。いまだにその小説のことは憶えているんですけれど、そこから文芸誌の存在も知っていたので、応募してみようかなという気持ちが始まりました。
――「あ、変わったな」と思う瞬間があったのですか。
一番あったのは、それまでは読んできた本とか物語とか、それまでにもあったストーリーとかに則ったものをただ書いているだけみたいな認識があって、「自分なりのもの」なんか別にないと分かっていたんです。でも、その小説を書いた時に、自分から何か、まだこの世界に無いものをちょっとだけ見つけなければいけないんだみたいな認識があったんです。なるべく新しい認識とか、新しい価値観への志向性みたいなものを考えられるようになったのが大きかった。その作品は自費出版系の出版社の賞に応募して、まあ、途中まで残ったんですが、普通に落選しました。それが21歳とかでした。文芸誌などに応募するまではその後3年くらいありました。24、5歳の頃はもう応募していたと思います。文芸誌だと「文藝」が作家特集をやっていたりしたし、綿矢りささんや羽田圭介さんといった自分と同年代の人が受賞されていたので、なんとなく文藝賞に応募しようかなという感じで。他の文芸誌に馴染みを持つまではもうちょっと時間がかかります。文學界新人賞だけは読んだりしていたんですが、「文學界」には僕が幼少期に挫折していた『路傍の石』や『一握の砂』みたいなイメージを勝手に持っていて。文藝賞は同世代の人のほかに、やっぱり山田詠美さんがお獲りになったんで、現代小説的なイメージを持っていました。
――それで、主に文藝賞に応募を。
最初のうちは年1回文藝賞とかに応募して。小さな賞は別なんですけれど、27歳で突然最終候補に残るまでは、全部一次落ちだったんです。32歳で『青が破れる』で文藝賞を獲るまでに、文藝賞で最終選考に残ったり、いくつかは途中まで残ったり...ちょっとエンタメの賞で最終選考に残ったりとかしましたが、大体は一次選考で落ちています。
デビューする2年前くらいに、インターネットで「小説を書いています」という人と少し出会うようになって、お互いに書いたものを読んで感想を述べあったりした時に、すごく学びがありました。その流れで同じように小説を書いてたり、ロシア文学を研究している人とも出会って助言をもらったりして、それはすごく助けになりました。
――今おっしゃった、エンタメの賞に応募したというのが、すごく意外です。
それ、今まで言ったことがなかったんですけれど。『青が破れる』で文藝賞を頂く直前です。ペンネームは変えて出しています。ずっと選考途中で落ちていたんで、「自分はもう文学では駄目なんだ」と思って、ちょっとエンターテインメント性みたいなものを意識して応募してみたんです。推してくれた選考委員もいらっしゃったんですけれど、最終的には「エンターテインメントとしてダメ」ということだったそうです。
――ああ、作品はいいけれど賞の方向性に合わないということで落ちることはありますよね。
その時は「ああ、自分は文学でもエンタメでも駄目なんだー」と思いました。「どっちも駄目だけど、小説家になれなくても小説を書いていこう」という気持ちで小説を書いていて、でもその後に文藝賞を頂いたことを考えると、「まあ結果的によかった!」みたいな、全部諦めて絶望したときになんとかなるという、皮肉な感じになってしまったなと複雑な思いがあります。
小説の中に別世界を見つけた本
――その頃読んでいた本というのは。
読書に関しては、いわゆる有名なものは読んでいましたが、自分の中で大きかったのはヴァージニア・ウルフの『灯台へ』です。これもすごく衝撃的でした。鴻巣友季子さんが新訳された時に読んだので、だいぶ遅いんですが。これは人物と風景というのがある程度等価というか、フラットに描かれているところが衝撃的だったんです。人物の内面と時間と風景が多重に擦れ合って、この世界と等価にあるべき世界が本の中につまっている感じ。小説の中に出てくる風景ってものの凄さとか尊さみたいなものを学んだ感じがしますね。小説の中に別の世界があるんだってことの大事さを知ったのは、本当にこの小説の存在が大きかったと思います。
――ああ、昔は知らない風景が描かれているのが苦手だったのに。
そうですね、むしろそのことに救われることになりました。それと、すごく好きだなと思ったのは、トーマス・マンの『魔の山』です。あとは、ラテンアメリカの作家たちを読みました。まあ、ルルフォを早めに読んでいたので、基本的に全部面白くて好きなんですけれど、「好き」って感情になるのはルルフォです。ウルフでいう風景みたいなものに相当する土の感じ、地面がいろんなものに繋がっていて、その時間というのが人の一生や寿命の長さにとどまらず伸びていく感覚というのが、文章にそのまま埋め込まれているのがすごく好きです。日本文学では源氏物語と上田秋成に特別な思いを抱きました。あと、ソローキンも好きです。全作品好きなんですけれど、でも『青い脂』とか。
――ふふふ(笑)。いろいろ物議をかもした本ですね。
ヤバイ発想系の作家さんっていらっしゃるじゃないですか(笑)。ソローキンも扱われている内容が下品であったり猟奇的であったりするんですけれど、一方ですごく上品だなって思うようなところとか、整っているなっていうところがあったりして、そういうランダム性がすごく好きなんですよね。ソローキンに関しては読めちゃうなっていう部分があります。それと、今思うと好きだなと思うのが、ゼーバルト。『アウステルリッツ』とか『移民たち』とか。ゼーバルトが好きな作家がローベルト・ヴァルザーで、それは全部は読まずに後にとってあるんですよ。
――もったいないからですか?
はい。鳥影社から作品集が出ているんですけれど、数冊読んであまりに素敵だったので、もう少し落ち着いたら読みたい、みたいな気持ちになって。あとは、30代近くになってからは、ピアニストが書いた本というのに執着が出てきたので、読むようにしています。
――ピアニストの著作って、そんなにたくさんあるのですか?
結構あります。海外では半生をつづったものなんかが多いですね。思い出深いのは、エレーヌ・グリモーというフランスのピアニストがいるんですけれど、その方が『野生のしらべ』という自伝的な本を出していて。素晴らしいピアニストなんですけれど、同時に狼の生態を研究しながら養育活動をしているんですね。その狼との出会いとかもすごくエキセントリックで。ピアニストってだいたい奇妙なので、他の方もそれに相当するような驚くべきエピソードをたいてい持っていてどの本も面白い。とにかく、考えていることや習慣がすごく面白いですね。ピアニストに対する憧れというか、敬服する気持ちがあるし、自分が小説に向かう気持ちっていうのは、なんとなくピアニストがピアノを練習しているみたいな気持ちかなと勝手にシンパシーを感じるんですよ。だから音楽に関する本は積極的に読むようになりました。
――国内外問わず。
問わず。中村紘子さんの本も面白かったりし、なんといっても青柳いづみこさんがとにかく素晴らしいですね。青柳さんの本が、ピアニストの本に興味を持ち始めた原体験かもしれないです。
最近、白水社から『指揮者は何を考えているか』という本が翻訳で出て、今途中まで読んでいるんですけれど、すごく面白いです。ピアニストは結構本を読んで分かったことがあるけれど結局分からなくて、指揮者はもっと分からない。技術が職人的に継承されている感じが面白いんですね。弟子から弟子へ、秘伝のナントカという感じがあるらしいんです。その本によると、自分用のスコアにいろいろ書きこんで、それを弟子に教えている。秘伝の書ですよ(笑)。著者のジョン・マウチェリも有名なマエストロだと思いますけど、書くのも結構勇気が要ったようですね。
――身体感覚とか、思考の流れとかに惹かれるところがあるのかもしれませんね。デビュー作の『青が破れる』や芥川賞受賞作の『1R1分34秒』はボクサーの話ですし。
最近、身体性についてすごく言われるようになったので、逆に「身体性ってなんなのかな」と、考えるようになりました(笑)。『1R~』の時に、確かに身体の動きは細かく書いたなとは思うんですけれど、「徹底して書く」みたいな意識というよりは、普通に書いたので。
――実際にボクシングをされていた、ということでも話題になりましたよね。
高校生の時にちょっと空手をやって、24歳くらいの時にムエタイをやって、その後にわりと長くボクシングをやっていたという感じです。で、デビューしたくらいの時に、フィジカル的に厳しいなと思って止めました。今はダンスをちょっとだけやっています。
――それがまた小説と結びつく可能性はありますかね。
あるような気がします。本の話で言うと、舞踏家の本もちょっと読んでいるんです。本当にちょっとなんですけれど、土方巽さん、笠井叡さん、大野一雄さんといった有名どころですよね。三上賀代さんの『増補改訂 器としての身體:土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ』では土方巽自身が舞踏について取り組む生の思考のような部分が載っていて、刺激的でした。勝手な感覚なのですが、ピアニストの本にすこし似ていて言葉の出どころそのものが分からないのが面白いですね。
お風呂でスマホで執筆
――デビューを果たしてから、変わったと思うことはありますか。
編集者さんが担当についてくれるので、小説に関してやりとりをしていくなかで、書くペースが上がりました。自分は小説を書いているほうがある意味自然というか、体調が良かったり、元気だったり、日常のペースを作りやすいので、書いていない時はすごく不安になります。
――基本スマホでお書きになっていますよね。それは投稿生活の頃からですか。
小説をガラケーやiPhoneで書いている人がいらっしゃるのは知っていたんです。ある日突然、自分は固定観念でパソコンで書いているだけで、スマホだけでもいけるんじゃないかってなんとなく思ったんです。『青が破れる』の1年前に投稿した作品から、スマホで書いていたおぼえがあります。『しき』と『愛が嫌い』の標題作はパソコンで書きましたが、それ以外の小説はスマホで書いています。スマホで書いた時は、それをWordにコピペして、これを読みながらスマホで直して、Wordに張り付けて編集者に送るという。
――お風呂で執筆するともおうかがいしましたが...。
お風呂で書き始めたのは、たしか、2作目からだと思います。発表した時は「水面」っていうタイトルで、本にする時に『ぼくはきっとやさしい』ってタイトルになったんですけれど。
――あ、今年単行本になったものですね。あれが初お風呂執筆ですか。
お風呂でたまたま中沢新一さんの本を読んでいたんですよ。その時に突然「あ、今小説が書けるかも」って状況になったんです。でもお風呂から出るのが面倒くさかったので、そのままお風呂にスマホを持ち込んで書いたのが始まりです。「あれ、意外といいぞ」と思って。
――ところで、スマホで書くと何が違いますか。
あんまりしゃちほこばらないのが一番いいですね。パソコンで書くと、すごく画面が大きいので、前に書いた分がチラチラッと目に入って「大丈夫だったかな」と気になってきちゃったりして。でも『しき』を書いている時はパソコンがいいなと思ったんですよね。あれは自分が使える三人称的な方法をしっかり作ろうと思って書いたので。パソコンは三人称的な認識で書いて、スマホは一人称っぽい認識で書いています。自分がそれまでに書いた小説を見直さないで書いている。
小説は体調がいい時に書くようにしているんですけれど、体調がいいかどうかをどう判断するかというと、自分がそれまでに書いてきた小説を一気に思い出せるかどうか。逆に言うと、普段は思い出せないんです。自分がそれまでに書いてきたものってぼんやりしているんですけれど、調子がいい時は思い出せる。思い出せるということは、同時に、次に何を書くかを思いついている時なんです。順番が前後することもあって、次に書くことが思いついたから前のパートを思い出すということもあって、その瞬間が大事です。思い出し系の作業は、スマホで書くほうが向いているなというのもあります。でも『しき』は、登場人物たちの明確な1年間というのがあって、この時にこういうことが起きてこういう流れになるというのがある程度わかっていたんですよね。それはパソコンで書くのが楽しかったです。
――ちなみに、パソコンで書く時もお風呂ですか。いろいろ心配ですが。
わりとそうです。でも平日だけです、今は(笑)。最近「壊れたかな」と思って買い替えたんですけれど、もうめちゃめちゃ動作が重くなって配線とかも見えちゃってたので、濡れ系のトラブルで壊れたのではないと思います。たぶん。
――新刊の『愛が嫌い』には3作収録されていますよね。
「愛が嫌い」はパソコンで、「しずけさ」と「生きるからだ」はスマホで書いてます。自分の中では「愛が嫌い」という小説は特殊な立ち位置だと思っています。他の小説は視点が比較的語り手に寄り添ったところがあり、それが恣意的でないようになるべく気をつけて書いています。具体的にいうと何人かの登場人物のなかで語り手に寄りそった分の「引かれた分」というか、「足りない文章」であるよう意識しています。その不足分を読者が勝手に補ってくれるだろうという期待を込めて。「愛が嫌い」は同じ「ひろ」という名前の音を持つ大人と子どもが出てくるので、その中間の語りのイメージがあって、割と「足りてる」という感じの文章になっていると思います。ふたりのあいだの視点で世界を見ているイメージです。もともとすごく「足りてる」文章に苦手意識があったんで、なんでこういう文章を書いているのかって考えて、書く前に考えていたことではなくて、後付けです。後半に主人公の名前が子どもとおんなじだっていうふうに書いた時に、自分でも「そういうことだったんだ」と思っちゃいました。
読書メーターに読了本を記録
――町屋さんって、読んだ本のことも、ご自身の小説のことも、すごく鋭い視点で、分析的に分かりやすく語ってくださいますよね。町屋さんの偏愛本の書評集とか読んでみたいと思ったのですが、読書記録とかつけていますか。
いえいえそんなそんな。読書メーターで、何を読んだかは記録しています。忘れちゃうんで。でも感想は記していないです。昔は書いていたんですけれど、読み返すとすごく、調子に乗ってるなって思って(笑)。
ただ、20代後半から詩が好きになってきて、よく詩の雑誌の投稿欄を見ているんですけれど、作品と一緒に「なぜそれが選ばれたのか」っていう選者の言葉が少しついているんです。僕が詩歌を好きになれたのは、そういう批評が一緒についていたからという部分が大きいので、何においても、自分が好きになったものはなぜ好きになったのかを、できるだけ言語化するように努めて生きています。
――素晴らしい。
これ、性格ですね。自分の好き嫌いをそのままにしておけないんですよ。厳密にはぜんぶファンタジーなんです。好き嫌いの感情に相当する言語はないかもしれない。でも、ファンタジーだからこそ、敢えて言語化してみて共有したいしされたいという、謎の執着に、自分ではウンザリ感もあります。
――書評とか批評とか選評を読むのは好きですか。
他の人の感想を見るのはすごく好きです。他の人はどう思ったんだろうというのは、なんか、気になります。あまり、自分の「好き」とか「嫌い」って気持ちを信用していないんですね、たぶん。不安があるので、後付けでいろいろ考えてしまうんです。
――必ず読むものはありますか。文芸誌の合評とか、新聞の書評とか、芥川賞の選評とか...。
基本的に目を通します。文芸誌では、今まで読んでいなかった人の作品を優先的に読みます。文芸誌で得られる受動的な読書が結構好きなので。それで、読んだら大体合評と月評は見ますね。取り上げられているものは。
――デビュー後に、読むものって変わったりしましたか。
デビュー後もしばらくは好きなものだけ読んでいました。最近はわりと、トークとかをさせていただくことがあって、それで相手の方の本をまとめて読むことが多いです。岸政彦さんの本がすごく面白かったですね。それまでは岸さんの小説しか知らなかったので、社会学の本も読んだら、新たに広がった世界があってありがたかったです。
それと、デビューしてからやっぱり短歌が勢いがあるなと思って、読んでみてよかったです。大森静佳さんとか、すごく素敵。あとは井上法子さんとか、服部真里子さんとか。
――ここ最近で、面白いと思ったものは。
海外小説では、パク・ミンギュさんの『ピンポン』がめっちゃ面白いと思いました。あとは、パトリック・モディアノの『エトワール広場/夜のロンド』。(スマホを見ながら)それこそ読書メーターをつけているので、遡って思い出せます(笑)。あ、松原俊太郎さんの、岸田國士戯曲賞を受賞した戯曲『山山』もすごく衝撃を受けましたね。それと、批評研究では、オクタビオ・パスが好きです。小説ではすごく好きだったのがルイ・ルネ・デ・フォレの『おしゃべり/子供部屋』という本。すごく良かったです。そんなに長くない小説がいくつか入っていますね。音楽を題材にした小説をいろいろ読んでいたときにたまたま出会って、衝撃を受けました。さきほど言ったヴァルザーは、デビューしてから編集者に薦められたんです。ゼーバルトが好きだっていうのを河出書房新社の人に言ったら、教えてくれて。「人が好きなもの」が好きなんで、よくインタビューしています。
こうして読書メーターを遡ると、いろいろ思い出しますね(笑)。リャマサーレスの『黄色い雨』が文庫化されて、改めて読んで、一緒に短篇もついていたのでそれも読んだらめちゃめちゃ面白いなって。あと、日本の近代小説はしっかり読めてきてはいないんですけれど、たまたま旅先で徳田秋声の『あらくれ』を読んだらすごくおもしろくてびっくりしました。登場人物がタイトルにある通り本当にあらくれで、周りの人との関係も含めて、「なんで?」って思うことがいっぱいあって、興味を失わず一気に読めて自分でも意外でした。想定をはるかに超えるあらくれでしたね。
――まだまだおうかがいしていたいです(笑)。さて、今年は『1R1分34秒』、『ぼくはきっとやさしい』、『愛が嫌い』と、3冊も刊行されていますが、今後のご予定は。
一昨年、去年とたくさん書いたので、それを形にしてもらっている感じです。あ、10月末には、『ショパンゾンビ・コンテスタント』という本が出ます。