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「富士山」を本でひもとく 全方位から円錐形の美の奇跡 エッセイスト・宮田珠己

白く冠雪した富士山=2019年11月29日撮影、静岡県富士市から

 富士山は一筋縄ではいかない山だ。

 一度だけ登ったことがある。もう40年ほど前、高校生のときだった。5合目から登りはじめたら、普通の山とあまりに違っていてたじろいだ。森を抜けたり湖を眺めたり沢のせせらぎとともに歩いたりするのが山登りだと思っていたら、そんなものは何もなく、ひたすら坂だったのだ。考えてみれば、円錐(えんすい)形の独立峰で森林限界を超えているのだから当然である。

 奇妙なもので、下から見えるてっぺんらしきところは全然てっぺんじゃなく、たどりついてみると7合目だったりした。あらためて見上げて、てっぺんはあそこか、と思ってたどりつくと8合目。なんだまだあるんだ、じゃあ、あれがてっぺん?と登りついたら9合目で、ではあれが最後か、ついに本当の頂上だと思った場所に9・5合目の標識を見つけたときは、何の詐欺かと思ったのである。

他の山が遠慮?

 このように登るのは大変だが、眺める富士山は美しい。

 東京方面から中央自動車道を河口湖方面へ折れた後、前方に見えてくる、この世のスケールを無視したような巨大な姿は異様ですらある。この異様さこそが、人がそこに超自然的な力を見てしまう要因なのではないかと考えたりする。

 そして何より特徴的なのは、きれいな円錐形であることだ。葛飾北斎はいろいろな土地で富士を描いたが、大久保純一『千変万化に描く 北斎の冨嶽三十六景』をめくってみると、どんな方角から描かれた画もほぼ同じ形である。見事なまでの回転対称。おかげで高校生の私は帰り道を90度間違え、違う方角へ下りてしまって大変な目に遭った。どっち側も似たような景色というのも考えものである。

 実は私には前から不思議に思っていたことがある。富士山は東西南北どの側も山に囲まれているのに、なぜそれらとまったく重なっていないのだろう。地形図があれば見てほしい。富士山が他の山に邪魔されず丸く裾野を広げているのがわかるはずだ。まさか周囲の山々が遠慮したわけではあるまい。どうしてこんなうまい具合に広大な土地が占有できたか。

幸運重なる時代

 その答えが、山崎晴雄『富士山はどうしてそこにあるのか』にある。フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈みこむ境界が富士山の下を通っていて、通常ならそうした場所は海溝やトラフ(舟状海盆)のように地形が凹(へこ)むのだけども、その二つのプレートの下にさらに東から太平洋プレートが沈みこんでいるせいで、奥羽山脈から那須、赤城山、伊豆半島、伊豆諸島へと続く火山列が押し上げられ、その凹と凸がちょうど交差する位置に富士山はあるのだ。特異な立地だったのである。

 本によれば、2900年前まで富士山は複数の峰を持つツインピークスだったという。ずっと円錐形だったわけではなく、当然この先も噴火や浸食により山の形が変わる可能性がある。つまりわれわれは歴史上ちょうどいいタイミングで富士山を見ているわけだ。立地といい時代といい、すごい幸運が重なっての、われらが富士山であった。

 ちなみに田代博『「富士見」の謎』によると、「桶屋(おけや)富士」の名で親しまれる北斎の「尾州(びしゅう)不二見原」に描かれた山は、実は富士山ではなかったそうだ。南アルプスの聖岳を誤認したらしい。日本人は昔からきれいな円錐形の山を見ると富士山と思いがちなのかもしれない。

 あれ、ひょっとして富士山では? 富士山といっても過言ではない。たとえそうじゃなくても富士山とみなす、なんて。とにかく富士山であってほしいのだ。みなさん、初夢で見たその山は本当に富士山でしたか?=朝日新聞2020年1月11日掲載