「つれづれ草」「帝国の地図」書評 弱さこそ恵みとなる詩の原理
ISBN: 9784801003682
発売⽇: 2019/12/25
サイズ: 20cm/290p
ISBN: 9784801003699
発売⽇: 2019/12/25
サイズ: 20cm/182p
つれづれ草/帝国の地図 つれづれ草Ⅱ [著]ジェラール・マセ
声には力がある。第一次大戦で聴力を失った祖父の従軍記を、青年になった著者は書き付けようとする。だが途中で止(や)めてしまう。なぜか。「声の抑揚、言葉の区切りかた、口調、それらが誠実さを示すアクセント」が失われてしまうからだ。
言葉における意味でないものを聞き取る力。ブラックアフリカの人々は、そうした力に長(た)けている。夢の中に現れる象徴を読み解き、冥界から吹き付ける霊気を感じとる。そしてもう一つの場所が日本だ。絵画や書道といった芸術は生活と結びついて、すべてを繊細なものとしている。
あるいは動物たちはどうだろう。かつてラ・フォンテーヌは、動物たちには謎めいた知性があると説いた。確かに、僕らをじっと見つめる猫の瞳の向こうには底知れぬ闇がある。そして小さな蟻(あり)は「牛よりも活動的なだけでなく、牛よりもずっと創意に富んでいる」。
現代文明は論理や効率を重視する。だからこそ著者は逆に、自由な連想や横滑りを称揚する。そもそも僕らの思考や会話は、そんなふうに進むのではないか。無数の断片によって書かれた本書の軽みを味わいながら、読者の心はマセの思考と気持ちよく絡み合う。
なにしろ近代の権化たるデカルトすら、マセによればこうなる。午前中は寝床から出ずに瞑想に耽る。昼間はだらだら過ごして、研究は何カ月も進まない。かつて『方法序説』を読んだとき、僕が最も好きだったのもこのくだりだった。
マセが説いているのは、詩の原理の重要性だろう。そこでは弱さこそが恵みである。なにしろ人付き合いが下手で、何年も部屋から出てこなかったプルーストは、自分の恐怖心を才能に変えて『失われた時を求めて』を書き上げたのだから。
本書では、偉人も文豪も蟻も同じ価値を持つ。そしてマセの優しい視線の中で、魅力的な存在として浮かび上がってくる。だから本書を読んだあと、世界が少しだけ違って見える。
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Gerard Mace 1946年、パリ生まれ。詩人、写真家。『最後のエジプト人』『記憶は闇の中での狩りを好む』など。