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パンデミック史に学ぶ 指導力・冷静な批判・情報収集 西村秀一・国立病院機構 仙台医療センター ウイルスセンター長

「東京朝日新聞」1918年10月25日付

 中国・唐代の詩僧、拾得(じっとく)の詩に「井底紅塵(せいていこうじん)生/高山起波浪」(井底に紅塵生じ、高山に波浪起こる)という一節がある。私の頭の中で、これが武漢での新型コロナ病の発生(紅塵)と全人類への拡大(高山波浪)のイメージに重なっている。

 緊急事態宣言が延長されるなか、多くの犠牲者が出た百年前のパンデミック(感染症汎〈はん〉流行)が脚光を浴びている。みな歴史に学び、先の見えない今後を考える手がかりを得たいのだ。そのための4冊を紹介したい。

片田舎から拡大

 『史上最悪のインフルエンザ』は、歴史の碩学(せきがく)による世界的な基本図書だ。米国の片田舎の陸軍基地で起きた感染が世界中に拡(ひろ)がっていく様子が、まるで映像を見るように迫ってくる。背景には第1次世界大戦があった。米国本土の大都市と辺境の地から欧州戦線、さらには太平洋の島々の出来事と話が展開する。兵員輸送船での悲劇は今度のクルーズ船事件に重なる。さまざまな人間模様、隠れた国際政治への影響などがちりばめられているが、単なる悲劇の書ではない。地域人材の指導力の大切さを教え、国家の一大事の際の国民団結と互助精神の発露をアメリカ精神として謳(うた)う。「防疫上の幸運」は「懸命に追い求める者たちの方に転がってくる」と、今後への示唆に富む書である。

政治決断の背景

 『豚インフルエンザ事件と政策決断』は、1976年に米国で起きた出来事の、政治学者らによる調査報告書だ。一兵士が1918年のインフルエンザウイルスと似たウイルスで亡くなった。これから汎流行が起き、大勢の犠牲者が出る――。大統領が決断し、全国民のワクチン接種開始。だが流行は起きなかった。その後様々な問題が噴出し、長く公衆衛生行政が強烈な逆風に晒(さら)されることとなる。この話、ワクチンの話と思うと矮小(わいしょう)化される。「専門家」の意見を大統領が採り入れ、一大政治決断をしてしまった話である。報告は、一部の官僚と専門家の思い込みを、冷静に批判するメカニズムの欠如を指摘する。政治家、専門家、そしてマスコミの関係の在り方、「専門家」の意見の採り入れ方はいかにあるべきか。「有益な質問」「教訓の使いみち」の章が秀逸である。これらの出来事は今、我々が目にしていることと重なる。今の出来事を百年後の人たちに残せるかを、私たちに問う書でもある。

 『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』と『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』(平凡社東洋文庫・3300円)は、どちらも1918年当時の日本を記した基本図書だ。

 前者は文化勲章を受章した歴史人口学者による2006年の書、後者は流行直後に内務省衛生局が編んだ報告書である。前者では、当時の30にものぼる地方紙の記事切り抜きが圧巻で、流行や庶民の様子が府道県単位で、さらには「外地」や軍での流行の様子までもが、膨大な統計資料と独自の解析とともに迫ってくる。著者の専門ではないために起きたウイルス学、医学的記述の誤りには注意が必要だが、それらを差し引いても本書の価値は際立っている。

 後者には当時の行政による調査資料が満載である。だがそこから得るものが「今も昔とほぼ同じ」だけではいけない。先達の見事さを読み取ってほしい。たとえば情報収集。あの時代にあれだけ各国の情報を集めたすごさ、さらには各市町村で駐在が日々「ドブ板流行監視」ともいえる情報収集と報告を行っており、今より遥(はる)かに優れている。富める者や篤志団体が生活困窮者を援助し、婦人団体や学生がマスクづくりで社会貢献する「民度」の高さも読み解ける。これらの書から、百年前と今の人々の営みの類似性と違いを見いだし、今後に活(い)かせたらと思う。=朝日新聞2020年5月9日掲載