誰もが皆、記憶の底に隠し持っているはずの、最も強い光と影の部分。人格が形成されるうえでいちばん大切な、そんな記憶の光と影が、もしも誰かによって書き換え、改ざんされてしまったら――。僕が何度も読み返した、皆さんにもじっくり読んでほしい、SFかサイキックか超能力か? 漫画をご紹介します。三宅乱丈さんの『pet』(小学館、リマスター版KADOKAWA)。ともすればさらに厳しい「巣ごもり生活」を強いられそうな今、「人の心とは何か」を問いかける物語に触れてもらえたらと思います。
きっかけは、石原さとみさん
この本に出合ったのは、2010年。ドラマ「霊能力者 小田霧響子の嘘」で共演した石原さとみさんに紹介してもらって、その唯一無二の世界観にたちまち虜(とりこ)になりました。作者の三宅さんは、話題作『ぶっせん』『イムリ』を送り出してきた、他の追随を許さない素晴らしい漫画家です。
『pet』の主人公・ヒロキは、「イメージ」という特殊能力を使って、人の記憶を「会社」のために変えることを仕事としています。「会社」というのは、中国マフィアによって営まれる、謎の組織。「会社」は、ヒロキのような、人間の記憶を操作できる能力者たちを束ねています。
この物語では、人間の記憶のなかには「ヤマ」と呼ばれる場所と、「タニ」と呼ばれる場所がある、と定義づけています。「ヤマ」は、その人のことを支える大切な記憶がつくった場所。「タニ」は、その人のことを痛め続ける、いわばトラウマの記憶がつくった場所。あらゆる記憶のなかでも、この2つだけに名前が付けられています。「この2つの場所のどちらを失っても、人間は生きていけない」。物語は、こうした前提で始まります。
主人公・ヒロキと、彼が慕ってやまない相棒・司(つかさ)は、「会社」に属し、ターゲットとなった人間の記憶を改変したり、破壊したりして、ターゲットを廃人に追い込みます。ただ、「会社」の、人を殺(あや)めることも辞さない非情な方針に、ヒロキはしだいに疑問を持つようになっていき――。物語はそこから転がり始めます。「会社」は能力者たちを「ペット」と蔑んで呼んでいます。同じ能力を持つ悟(さとる)、かつて司と悟を育て、「会社」から逃亡している林(はやし)などが絡んでいき、ほつれたり、結束したりを繰り返しながら、運命に翻弄されていく彼らの姿が描かれます。
人を信じ切るより強いものはない
「記憶を操る」――。そんな超能力をベースにしたSF作品ではあるのですが、人の心の深い奥底の襞(ひだ)を丹念に描いた、稀有(けう)な作品です。今回読み返してみて、なんと美しい物語なのかと改めて思いました。たとえ、どんな道具や能力を持っていたとしても、人を信じ切ること、愛することより強いものはない。そんなメッセージが強く伝わってくるのです。
主人公・ヒロキは、とにかくひたむきです。まだ幼く、ピュア。それに対して司は冷静で、どこか謎めいて描かれます。ただ、ヒロキの清新な感情は、もともと司自身も持っていたもの。司は、つらい現実に対峙し、清濁を併せのむべく、何とかもがいている。その姿が、じつに悲しいのです。
僕たちは、誰しもが、トラウマや、頼りにしている大事な思い出の記憶を、心の奥底に持って生きています。心の中のことは、目には見えません。でも、彼らには、それが見える。見えるようになってしまったがゆえの不幸……。それにしても、凄(すご)みを感じるのは、嗅覚や聴覚、触覚といった、言葉にできない感覚は時に鮮烈に記憶に残りますが、その記憶を、圧倒的なタッチでビジュアライズしていく三宅さんの画力です。そして想像力を働かせることがいかに大切かを教えてくれるのです。
たとえば実生活を送っていて、「この人って、何でこうなったんだろう……?」と疑問に思ってしまうような人に出会うことがありますよね。そんな時、「ひょっとしたら、過去に、こんな極端な考えに至ってしまうような『タニ』があったのかも知れない」などと思いを馳せてみるのです。
無残な潰し合いの背景にあるもの
現代社会は、「いかに美しく、SNSに『映(ば)える』記憶として残していくか」ばかりを重視する潮流があるように思います。見てわかりやすいもの、理解しやすい事柄。そればかりを優先して採り入れていく潮流は、いっぽうで、他者、とりわけ考えの異なる人たちへの想像力をどんどん欠如させていく面もあると思います。とりわけ今年はコロナ禍とオリンピックで、人々の思考の分断が、かつてないほどに深まってしまいました。
この物語には、誰一人として完全な悪者が登場しません。皆が自分なりの正義を持っている。それなのに、無残な潰し合いが起こります。きっと、物語も、そして実社会も、分断された両者のうちどちらか一方だけに問題があるのではなく、両者が互いを思う想像力が圧倒的に欠如している。それゆえ、いっそう分断が進むのです。「pet」の世界はまるで2021年の日本です。10年ぶりに再読してみて、警鐘を鳴らされているように感じました。
その軋轢を『pet』はじつに丁寧に描いていて、なにも特殊能力を持ったからといって、人間の諍(いさか)いが解決するわけではないことを痛感します。だからこそ、想像力を働かせたい。殺し合いとまではいかずとも、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という存在のことを、「その人にも、愛する親や子がいるんだ」とひと呼吸置いて受け止めたい。刺々しい気持ちも少しは和らぎ、呼吸が整いそうな気がします。
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三宅さんの『イムリ』も、未読でしたらぜひ手に取ってみてください。やはり「分断」を描いていて、特殊能力を持つ者たちと、征服者たちの物語。自分が犠牲になることで守れるものがあるなら、進んで犠牲になる――。そんな展開が、『pet』に登場する、ある人物と被るのです。人間の「業の深さ」を、SFという地平に乗せて描く、悲しみ、美しさ。かくも深く描いていく三宅さんを、僕はこれからも追い続けます。(構成・加賀直樹)