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真珠湾80年 歴史の教訓化、対照的な日米 ノンフィクション作家・保阪正康

1941年12月7日(日本時間8日)、真珠湾で日本軍の攻撃を受け、黒煙を上げて沈む米戦艦ネバダ

 真珠湾奇襲攻撃から80年である。何もこと改まる必要もないのだが、10年ごとの節目が好きなこの社会では、改めて検証する機だとの認識はある。そこで真珠湾攻撃に触れて対米戦争を論じた書から、どのようなものが挙げられるかを考えてみた。

 私の見るところ、取り上げない方がいいと思われるグループの本があるやに思う。(1)史実の捉え方が曖昧(あいまい)な書(2)(民主党出身の当時の大統領ルーズベルトを批判する意図で書かれた)アメリカの共和党系ジャーナリストの書(3)軍人の評伝(4)真珠湾攻撃に参加した軍人の書(5)歴史修正主義か謀略に加担した書。この種の書は今回除外している。特に(2)と(5)の書が最近目立つ。

なぜ冒険主義に

 私が今回取り上げる3冊はいずれも近刊とは言い難い。意外な感を持たれる向きも多いと思う。しかし、なぜ日本はあのような冒険主義に走ったのか、そこに至る政治・軍事指導者の判断、その判断に基づいて攻撃に関わった軍人らの動きを、いま一度虚心に見つめたいと、五味川純平と吉村昭の書を選んだ。

 そして奇襲攻撃を受けたアメリカでは、この軍事行動をどのように受け止めているか、その後の歴史の中でどのように教訓化しているのか、を見るためにローゼンバーグの『アメリカは忘れない 記憶のなかのパールハーバー』を選んだ。

 五味川の『御前会議』は、日本の軍事行動がどのようにして決められていくか、を克明に伝えている。日本は中国への軍事行動が当初の予定どおりにいかず、次第に泥沼に入り込んだ状態になる。それが蔣介石政府に対するアメリカやイギリスの支援の故だ、と判断して戦争政策に傾いていく。その間にヨーロッパではナチスドイツが軍事的支配を強める。そういう折の日本の軍事への傾斜が、この書によって理解できる。大本営政府連絡会議、御前会議などでどのような意見が出されて戦争が決まったか、がわかる。意外なのは、軍事の側が何一つ政治の側に情報を出していないことである。真珠湾攻撃は、軍事の、それも一部しか知らないのだ。

 吉村の『大本営が震えた日』は「事実に小(こ)ざかしい解釈を加えない」(本書の解説)点に特徴があるのだが、真珠湾攻撃やマレー作戦に参加する日本の軍人や外交官の動きが語られている。吉村は「(この戦争は)庶民の知らぬうちにひそかに企画され、そして発生したのだ」と書いて、筆を止めている。濃淡はあれ、戦争体験世代の五味川と吉村の怨念を汲(く)み取る歴史感覚が次代の者には問われている。

奇襲恐れる心理

 アメリカの軍事史専門家は、今なお真珠湾攻撃を調査、研究している。無通告の奇襲攻撃の怖さは永遠のテーマだというのだ。同時に、アメリカ社会には無警告、無通告の攻撃を恐れる潜在心理が1941年12月以降に歴史的教訓として生まれた。

 ローゼンバーグの書は、「リメンバー・パールハーバー」という語がその後のアメリカ社会にどう影響を与えたか、9・11までの歴史も見ながら、アメリカ人の意識の中にどう定着してきたか、を明かしている。真珠湾から80年、この語がアメリカの歴史を動かす軸になっていることに私たちは愕然(がくぜん)とする。

 こうした書は日本人によっても編まれている。日米の共同研究をまとめた細谷千博・入江昭・大芝亮編『記憶としてのパールハーバー』(ミネルヴァ書房・5500円)などだ。

 今回取り上げない五つのグループの本のうち、(3)(4)はしばしば史実のとらえ方が独善的であることは指摘しておきたい。総じて攻撃した側の関連書が活劇化し、昭和の「忠臣蔵」のような傾向が感じられるものもあるが、攻撃された側は深刻な歴史と見ているのと対照的である。=朝日新聞2021年12月4日掲載