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パン屋の本屋(東京) ベーカリー、カフェと一緒に地域の人たちに必要とされる店へ

 通知表によく「落ち着きがない」と書かれてきた。今でも落ち着きのない方だと自覚しているが、そんな私が学生時代に憧れたのは、決まって物静かな友人だった。彼女たちは情緒が安定していて誰に対しても優しく、総じて傍らに本を抱えていた。しかもその多くが詩集だったり私の知らない本だったりするので、さらに憧れ度が増したものだった。

 もうずっと会っていないけど、皆元気にしてるかなあ。

 そんなことを考えながら1人、山手線の日暮里駅から歩きはじめた。パン屋の本屋というパン屋&本屋に行きたかったからだ。以前からずっと気になっていたのだけど、絵本専門店だと思っていたのでなかなか寄る機会がなかった。しかしウクライナ情勢や不作の影響などで小麦の値段があがると聞き、猛烈にパンが食べたくなったのだ。パンと本、好きな2つが同時に買えるなんて天国か。

約4000冊在庫のうち絵本は半数程度に

スーパーの隣にある三角屋根とウッドデッキの建物が、ひぐらしガーデンだ。

 その「天国」は日暮里駅からゆっくり歩いて10分ほどの、住宅街にあった。正確にはひぐらしガーデンというスペースにパン屋の「ひぐらしベーカリー」と、書店の「パン屋の本屋」が棟続きに並んでいる。正面入口すぐにベーカリーとカフェスペースがあり、中庭で繋がった奥にパン屋の本屋がある。

 本屋に入ってみると確かに絵本が目に付くものの、小説などもかなりのボリュームで並んでいる。「いつオープンしたんですか」とレジカウンターに立っている、店長の近藤裕子さんに声をかけてみる。すると2016年12月にオープンしたと教えてくれた。近藤さんによればひぐらしガーデンのある場所には、1917年から続くフェルト生地の工場があった。会社を引き継いだ4代目が、工場を畳んでパン屋と本屋を作ることを決めたという。

 「パンは人々の生活に必要だし、本屋は本を買わなくても立ち寄ることができますよね 。地域の人たちが普段必要としているものは何かと考えた時に、それはパンと本だとひらめいたそうです。店に来る子どもたちがよく「えほんやさん」と言うのですが、約4000冊の在庫のうち、絵本は半数程度になっています」

パン屋の本屋は、正面入口からは見えない奥側にある。

3時間でバトンタッチして、2代目店長に

 東京都の西部地域で生まれ育った近藤さんは、父親が連れていってくれる立川のオリオン書房が大好きな空間だった。「手に取った本を、『なんでこんな本選んだの?』と言わずに、無条件で買ってくれた父には今でも感謝しています」と振り返る近藤さんは、大学時代の4年間、地元の書店でアルバイトをしていた。当時なりたかったのは、本を作る編集者だった。

 「大学を卒業して編集の仕事に就いたのですが、あちこち出向くよりも、一か所に腰を落ち着けて相手と向き合う方が、性に合っている気がして。地元の本屋に戻って、そこで10年間書店員を続けました」

 その店はいわゆる「町の書店」で、ネット21に加盟していた。ネット21とは本屋のボランタリーチェーンで、以前訪ねた今野書店の今野英治さんや往来堂書店の笈入建志さんが役員をつとめている。店長会議に参加し、他店の店長たちと交流するなかで、近藤さんは自分なりの売り場作りを試行錯誤し続けた。しかし2015年に店が縮小することが決まり、近藤さんは図書館に転職する。書店も図書館も本と向き合う場所だが、図書館は「いかに利用者が本をたやすく見つけられるか」が何よりも求められる。店頭での試行錯誤とは違う世界に触れるうちに、やはり本屋に戻りたいと思うようになった。

「家ではごはん派だけど、パンも大好き」という店長の近藤裕子さん。

 「そんな時に、パン屋の本屋が書店員を探していると聞いたんです。2017年の終わり頃だったと思います。初代店長は『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(河出書房新社)を書いた花田菜々子さんだったのですが、3時間で引き継ぎをして、すぐに店頭に立つことになりました」

書棚の案内パンはベーカリーの食パンをかたどり、食品サンプル会社が手掛けたオリジナル。もちろん食べられない。

訪れる人すべてを歓迎する品揃え

 「ちょっと軽井沢や青山にあるっぽい」雰囲気に気おくれしてしまい、未だに毎朝たじろいでいるそうだ。確かにひぐらしベーカリーに目を向けると、「朝だから寝ぐせついたまま来ちゃいました」といったお客さんはおらず、誰もがピシッとしているように見える。でもじっくりとパンを眺めていくと、ハムカツサンドやコッペパンなど、普段使いのパンが並んでいる。絵本のキャラクターをモチーフにしたクリームパンもあって、訪れる人すべてを歓迎していることがよくわかる。

 パン屋の本屋も料理関連本からオカルト情報誌「ムー」にまつわるものまで、書棚の中身は幅広い。初代店長の頃はサブカル系の本がやや多めだったが、近藤さんはジャンルを固めないものの、町の皆が読みたいと思う本を置くようにしているという。

絵本専門店ではないかという来るまでの思い込みが、見事に崩れ去った。

 「毎週来るお客さんがいらっしゃるので、その人が好きだろうなと思う作家の本を仕入れたりとか、色々考えていると楽しくなるんです」

 パンをテーマにした本が店の中央スペースにドンと置かれているが、これは4月下旬まで「パンのほんフェア」をしているから。5月になったら、また違うフェアが始まる予定なのだそうだ。

フェアに合わせた装飾を、近藤さんがみずから手掛けることも。

絵本にちなんだパンを作るイベントも

 「散歩の達人って置いてある?」

 店に入ってきた年配の女性が、近藤さんに声をかけた。

 「明日新しい号が発売です。取っておきましょうか?」

 「じゃあ取っといて」

 去っていく女性の背中を、近藤さんはじっと見送っている。名前聞かなくていいんですか? そう言うと「よく立ち寄ってくれるお客さんだから、わかっています」という答えが返ってきた。

 「この本ありますか?」

 すぐに別の女性からも、質問が飛んでくる。店頭になかったその本を、彼女は注文して店を後にした。

 「届くまで時間がかかるのに「待ちます」っておっしゃってくださる方が多いので、それが嬉しくて。お客さんが探している本について一緒に色々調べるのが楽しいから、注文を受けるのが大好きなんです」

 そう言って柔らかく笑った近藤さんに、学生時代の友人達の姿がオーバーラップした。彼女たちは私に、落ち着きと安心感をもたらしてくれる存在だった。そうか、このほっとする感じがあるから、たとえ待っても本をお任せしちゃうんだろうな。東京にあるのに、なんだか「離島の本屋」を思い出す距離感。距離感といえばパン屋と本屋も、大人の足で20歩ぐらいの絶妙な離れ具合だ。

 「10メートルぐらい離れているのですが、ベーカリーで絵本にちなんだパンを作って、こちらでは本を紹介するイベントを年に2回開催しています。子どもでも行き来しやすい、丁度いい距離ですよね」

天気の良い日は月に2回のおはなし会を、中庭でおこなうことも。

 かつては衣服や家庭用品などに使われ、暮らしの必需品だったフェルトの工場は姿を変えたけれど、こうして今も人々に「必要」を届けている。でも、パンがあればお腹は満ち足りるけれど、それだけでは人生に彩りが足りなくなる。本は人生を豊かにしてくれるけど、それだけではお腹が空いてしまう。両方があるからこそ、きっと人間は人間らしくいられる。

 だからこそ、あえて言いたいのだ。好きなパンを選んで食べつくし、好きな本を読みつくす日常は、誰もが享受すべきもので、生まれた場所次第で与えられたり奪われたりしてはいけないのだと。世界中の大人も子どもも、皆平等に得られて当たり前のものなのだと。

 次にパン屋の本屋に行く時には、こんな思いを抱えずにいられる世界でありますように。そう願いながら相変わらず落ち着きのない私は、慌ただしく「天国」をあとにした。

パンは定番と期間限定があるが、おかずパンからおやつパンまでいずれもバラエティ豊富。

近藤さんが勧める、読んだらパンが食べたくなる3冊

●『おじいちゃんとパン』たな(パイ インターナショナル)

 ジャム、マシュマロ、あんこときなこ……、甘くふっくらとしたパンが美味しそうな絵本。孫の「ぼく」の成長に合わせて、書体が変わり漢字が増えていくという楽しい発見があります。プレゼントとして選ぶ方も多いです。

●『雪と珊瑚と』梨木 香歩 (KADOKAWA)

 雪と珊瑚は娘と母の名前。一見パンとは関係なさそうなタイトルの小説に、パンがモチーフとなって登場する作品を見つけるのはちょっとした喜びです。パン屋さんをきっかけに、たくましく生きていく姿に勇気づけられます。

●『パンのずかん』大森裕子、井上好文(白泉社)

 まるいパン、はさむパン……。形や製法別にパンを紹介した図鑑。写真のようにリアルに見えますが、色鉛筆で描かれています。大人にもお子さんにも大人気の絵本です。日本生まれのパンがたくさんあることに気づきます。

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