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英ブッカー賞 したたかに権威と注目高める 東京大学准教授・藤井光

2022年の国際ブッカー賞を受け、スピーチするインドの作家ギータンジャリ・シュリー=5月26日、ロンドン、AP

 ブッカー賞はしたたかだ。この賞の現在までの道のりを確かめるたびに、その思いを新たにする。
 イギリスとアイルランドで出版されている英語小説を対象として、一九六九年に創設された同賞は、初期からイギリス連邦の諸地域の作家を受賞者に選んできた。優れた小説を分け隔てなく評価するというだけでなく、かつての植民地を手放した後も陰に陽に関係を維持してきたイギリスの精髄の現れだと言えるかもしれない。

 その流れは八〇年代以降も続く。歴代受賞作のなかでもとりわけ評価の高いサルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』(八一年受賞)は、インド独立の瞬間に誕生したサリーム・シナイが、三十年ほどの人生を振り返って物語を進めていく。インドの独立、宗教や言語グループ間の対立、印パ戦争、バングラデシュ独立戦争といった激動の数々をサリームはすべて体験し目撃しながら、縦横無尽かつ猥雑(わいざつ)な自らの語りによってその現代史を飲み込もうとする。歴史と物語のどちらに軍配が上がるのか、ラシュディの壮大な賭けの魅力は未(いま)だ色褪(あ)せていない。

旧植民地の文学

 それとは異なるスタイルで現代インドに迫るのが、アラヴィンド・アディガのデビュー作『グローバリズム出づる処の殺人者より』(二〇〇八年受賞、鈴木恵訳、文芸春秋・品切れ)である。殺人犯の男バルラム・ハルワイが、自らの犯行に至るまでの経緯を手紙に綴(つづ)るこの小説は、ラシュディとは逆に無駄を削(そ)ぎ落とした語りを特徴とする。農村に生まれ、富裕層の運転手となったバルラムが目撃する、〈闇〉と〈光〉と形容される二一世紀インドの圧倒的な格差は、そこで暮らす者が精神に抱えた矛盾を容赦なくさらけ出す。

 南アフリカからの代表的な受賞作は、やはりJ・M・クッツェーの『マイケル・K』(一九八三年受賞)だろう。南アフリカで発生する内戦という設定を用い、混乱する社会のなかで病身の母とケープタウンを離れる若者マイケル・Kの旅路が描かれる。各地に収容所が作られ、戦時下の規則や法が人々を暴力的に絡め取るなかで、主人公は大地との新たな関係を見出(みいだ)していく。極限状況にあって生命や人の尊厳を問うクッツェーの真骨頂だと言っていい。

 一九七〇年代終盤の北アイルランド紛争を舞台とするアンナ・バーンズによる『ミルクマン』は、二〇一八年の受賞作となった。固有名を一切伏せた小説は、寓話(ぐうわ)的な物語として構築されている。十年以上続く紛争の現実を、読書によってやり過ごそうとする若い女性の物語は、暴力に浸された社会の不条理をダークなユーモアによってえぐり出す。

先進的イメージ

 さまざまな地域出身の作家の、しばしばデビュー作に賞を与えることで、ブッカー賞は先進的なイメージを作り上げてきた。それは同時に、各地にいる優れた作家の登場に「お墨付き」を与えるのは旧宗主国なのだという自己顕示でもある。

 ともあれ、開かれた賞であろうとする努力から、国際ブッカー賞が〇五年に創設される。当初は生涯功労賞だった同賞は、一六年からは翻訳小説を一作選出し、作家と翻訳者に等しく賞金が贈られるという形式に変わり、翻訳文学の重要性を大きく打ち出した。それにより、さらに国際色を強めた対外アピールに成功し、ノーベル賞に次ぐ注目度と権威を手に入れつつあると言っていい。

 もっとも、小説は単なる操り人形ではない。歴代の受賞作には、賞の世界戦略という打算を霞(かす)ませてしまうほどの魅力を持つ小説が並ぶ。戦略と物語、そのどちらに軍配が上がるのか、それも毎年のブッカー賞の見どころである。=朝日新聞2022年6月18日掲載