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本・ひとしずく(愛知) 40歳を過ぎ、本屋未経験で借りた古民家。本がくれる人生のうるおいをあなたにも

 前回登場したTOUTEN BOOKSTORE でのイベントの打ち合わせをしていた際、企画者のタケちゃんが営む養蜂場が、どこにあるのかよく知らないことに気が付いた。一緒に参加した友人・結ちゃんに尋ねると、「水谷養蜂は瀬戸にある」という。

 ふと「瀬戸は~日暮れて~」と口に出すと、結ちゃんは私の顔をまじまじと見ながらつぶやいた。

 「その瀬戸って、瀬戸内のことなんだけど」

 なんと! 今まで「瀬戸の花嫁」がどこを舞台にしていたのかを、私は知らなかったのだ。ああ、なんて無知な……。結ちゃんと別れた足で栄町駅を目指し、名鉄瀬戸線に乗り30分少々。尾張瀬戸駅に向かった。瀬戸といえば、招き猫の生産地だったような?

 改札を抜けると突然、「すいません! 〇〇テレビですけど、藤井聡太さんについて何か一言」と、街頭取材に声をかけられた。えっ、招き猫じゃなくて6冠?(この当時、渡辺明名人との対局のまっただ中だった)

 駅前にあるコミュニティセンターはどこを見ても6冠推しで、ようやく彼の出身地だということにも気が付いた。ああ、さらなる無知の知。

一説によると左手をあげているのは商売繁盛などの良縁を、右手をあげているのは財宝を呼び込むらしい。これは左手。

 しかしほんの5分も歩くと、そこはやはり「瀬戸物」という言葉があるように陶磁器を扱う店が並んでいる。末広商店街というアーケード街まで来ると、道のあちこちに招き猫が現れた。

 やっぱり招き猫の里だったか。さらに歩いていくと、古民家が目に入った。入口のガラス戸には、傘をさした女の子のイラストと「ひとしずく」とある。「本・ひとしずく」という本屋だった。

比喩ではなく本当にガラっとする引き戸は、赤いのれんがアクセントに。

 引き戸をガラッと開けると、店主の田中綾さんが迎えてくれた。風情のある建物ですねと声をかけると、

 「ここ3、4年は空き物件だったそうですが、元々は90歳を過ぎた女性が住んでいた建物で、築100年以上経っているそうです」

 と教えてくれた。

店主の田中綾さん。

自分の店を持ちたいと模索の日々

 田中さんは瀬戸市のお隣、尾張旭市の出身。結婚してから8年間大阪に住んでいたが、約10年前に尾張旭市に戻ってきた。

 「元々、本やインテリア雑誌が好きで、『カーサ ブルータス』や『商店建築』『I'm home.』をよく読んでいました。それで新入社員で入った会社を辞め 『この先何がやりたいのだろう?』と考えた時に、インテリア関係の仕事がしたいと思って。専門学校でインテリアコーディネーターの資格を取って、卒業と同時に結婚してカーテンメーカーに就職しました。コーディネーターをしていたのですが、出産を機に仕事を辞め、家族で地元に戻りました」

 インテリアコーディネーターとしてまた働きたくて、地元のハウスメーカーに面接に行ったものの、土日祝出勤、残業は深夜までが当たり前の世界だった。子どもが乳幼児と幼稚園児だったので、「外で働くのはまだ難しい」と感じ、就職を諦めた。自宅でできる仕事にしようと思い、服や帽子の手作りを始めたという。

 「親子がおそろいで被れる帽子などを作ってイベントなどで販売していたのですが、ハンドメイドなので原価がかかる分、単価も高くなってしまって。オーダーを受けてしまうと納期に追われるし、手間がかかる割には利益を生まないと痛感しました」

 気付くと40歳になっていた田中さんは、「子育てをしていたら、寿命の半分くらいまできてしまった。子育てが終わってしまったら私に何が残るのか」と、自分に愕然とした。社会とつながりは持ちたいけれど、やりたくないことはしたくない。では、やりたいことはなんだろう? 思案した結果、「自分の店を持つ」という結論に至った。

 そこで手始めに、当時地元にオープン予定だったチェーン系雑貨店の、スタッフに応募することにした。店作りのノウハウを学べると思ったからだ。しかし商品管理などはすべて本社が決め、店舗スタッフは商品をディスプレイするのみ。本社の決定には従わざるを得ず、学べることはほとんどない。

 「あ、これは無理だなって思ってしまったんです」

車が1台通れる程度の道沿いにあって、どこか離島の本屋っぽいたたずまいにも見える。

本屋イベントで、本屋を始める決意

 ちょうどその頃、江國香織や吉本ばなな、ミヒャエル・エンデの『モモ』などを再読していた。時間が経ってみると、以前読んだ時とは違う気持ちを抱くようになっていた。本ってやっぱり、面白い。

 書店員経験はないけれど、本屋をやってみようかな。そう思った矢先の2018年11月、『これからの本屋読本』(NHK出版)を刊行した内沼晋太郎さんのイベントが、名古屋で開催されることを知った。そこで内沼さんと、名古屋の老舗書店・ちくさ正文館本店の古田一晴店長と、ON READINGの黒田義隆オーナーの話を聞くうちに、「自宅を改装したり、cafeなどでの間借り本屋みたいな小さなスペースにしたりすれば、リスクなく自分でもできる」という確信を得た。

 田中さんは雑貨店を辞め、出版社の営業代行に転職を決めた。と、そんな話をしていると、外からやにわに「雪やこんこ」のメロディが軽やかに流れてきた。

 「灯油買ってくるので、ちょっと待っててください」

 ポリ容器をつかんで、田中さんが店外に駆けていく。後からついていくと、灯油を巡回販売しているというタンクローリーが停まっていた。えっ家の前まで来てくれるなんて便利すぎい。地元の店によるサービスなのかと思ったら全国展開で、八王子や平塚にも出没するらしい。うちの実家近くにも来てくれないかな……。

入口すぐの場所には、古民家を解体する業者から手に入れたちゃぶ台が。

古民家と古来から存在する本は相性がいい

 戻ってきた田中さんと、ふたたび向き合って座る。

 田中さんは思いを形にするために、瀬戸市が運営する創業支援セミナー「せと・しごと塾」に通い始めた。起業に向けての実務を学ぶ中で、地域に詳しい市役所職員から、現物件の大家を紹介された。

 「もう一目ぼれでした。本は昔からあるものなので、古民家とは相性がいいなと思いましたし。広さが25平方メートルもあるので、『小さくやろう』っていうのはどこに行ったって感じでしたけど(笑)」

 2020年中にオープンしようと決め、準備にかかろうと思った矢先、コロナ禍に見舞われた。本屋にも営業自粛の波が押し寄せ、計画は保留になった。

 「暇だし、服を作ってた頃の布があったので、自粛期間中はマスクを作って販売していました。口コミで注文が来るようになったのですが、やっぱり、ハンドメイドはしんどかったですね(苦笑)」

 しかし2020年10月、「借りたいって人がいるので紹介してもいい?」と言われたことで、再スタートを切ることに。岡崎市内の建築スタジオに設計について相談すると、愛知工業大学リノベ部とのつながりが生まれた。

 「課題がてら、学生さんたちが図面を作ってくれた上に掃除まで手伝ってくれたんです。当初は予定していなかったのですが、ちょうど手数料オフキャンペーンをしていたので、クラウドファンディングも始めました」

25㎡もの広さを存分に活用し、場所によって雰囲気を変えている。

 約1カ月で目標を上回る金額が集まり、2021年5月にオープンすることができた。最初は古本7、新刊3の割合で置こうと思っていたが、毎日のように気になる本が新しく出版されていく。一方の古本は値段を決めたりクリーニングしたりと、結構手間がかかる。気が付くと割合が逆転していたと、田中さんは笑った。

興味がある本を並べ、内容を踏まえておススメ

 現在は絵本や詩集、戦争がテーマの本や、フェミニズム関連の新刊が並んでいる。田中さんが読みたい、知りたいと思ったものが、品揃えの中心だ。Instagramでも本を紹介しているが、掲載前に内容を極力チェックしているそうだ。たとえば、宮沢賢治の『春と修羅』。文字だけならネットで無料で読める。けれど田中さんおススメのナナロク社版は、写真家の斎藤陽道さんが詩の世界を写真で翻案する「写訳」本になっていて、開いてみて初めてその世界に触れられるという。そんな話を聞いていると、どの本も手に取って見たくなってしまう。

 「読まないで紹介するのは、無責任かなって思ったんです」

 Instagramに載っている本は、どれも田中さんの思いがしっかりと伝わる文が添えられている。初めて来るお客さんの中には、「インスタを見ました」と言う人もかなりいると語った。

 しかし店名の「ひとしずく」って、何を意味しているんだろう?

 「うちに来ることで、本に限らずなにかしらの潤いをひとしずく持って帰って欲しい、というのがお店の名前の由来です。傘をさしているイラストは、夫が描いたものなんですよね」

 なるほど。確かに本には即効性はないかもしれないけれど、「雨だれ石を穿つ」と言うように長い人生において、じわじわ効いてくるものも多い。

店の奥、冷蔵庫の周りには料理関係の本が。

 ふと店の奥を見ると、開いたままの冷蔵庫があった。これもディスプレイとして使われているもので、中には私が、10年以上前に編集をしていた雑誌が置かれていた。他の古書店から仕入れたものを、読んで面白かったからと飾ってくれていたのだ。

 その時はただ目の前の仕事を精一杯こなしていただけなのに、誰かに届いていたとは。思わず、うるっと来てしまいそうになった。どうやら田中さんとの出会いによって、私の心にもしずくがひと注ぎされたことがわかった。

店の2階は「ふたしずく」という、イベントができるスペースになっている。

(文・写真:朴順梨)

田中さんが選ぶ、紙でこそ読んで欲しい3冊

●『写訳 春と修羅』宮澤賢治、斎藤陽道(ナナロク社)

 どうやったら本屋ができるか悩んでいた時に伺った、恵那の庭文庫さん。店主さんがすすめてくれた本がこの本でした。青色の表紙に白い文字の箔押し、コデックス装というきれいに開く装丁で、背表紙は青い糸で綴じられています。「紙の本」の魅力を認識したきっかけの本です。

『BIRD』中西なちお(書肆サイコロ)

 トラネコボンボン主宰の料理人、中西なちおさんが描いたたくさんの青い鳥が一冊の美しい本になっています。布上製本の函入りで、小口はカワセミ色。それぞれの青い鳥に添えられた言葉は、詩でエッセイで、童話のよう。ここでないどこかへ一瞬で連れて行ってくれる、そんな本です。

『100年後 あなたも わたしも いない日に』文:土門蘭 絵:寺田マユミ(文鳥社)

 〝トリミング〟をテーマにした短歌とイラストの本です。函の小窓から切り取られる表紙、こちらの頁とあちらの頁で世界を変える切り取られた紙面やイラストに合わせて活字が自由に遊ぶ紙面、月の満ち欠け。紙面の遊び心とは裏腹に、しっとりとした余韻が残る一冊です。

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