この衝突はいつ終わる?
世界で起きているさまざまな紛争問題。ふだんから多くの情報に触れてきた図書委員の面々は、政治情勢に関する著作も多い池上彰さんに直接疑問をぶつけたいと熱望していた。その思いに応えるため同校を訪れた池上さんは、生徒たちにこう呼びかけた。
「事前の質問が多かったイスラエルとイスラム組織ハマスの衝突について、今日は話そうと思います。さぁ、みんなの質問にどんどん答えていこう」
さっそく、次々と手が挙がる。「この衝突はいつ終わるのですか?」「イスラエルとハマス、仲介できる国はあるのですか?」
「しばらくは終わりそうにありません」と池上さん。「イスラエルはハマスを『殲滅(せんめつ)する』、つまりハマスの戦闘員2万5千人を皆殺しにするまで戦争は続ける、と言っているのです」
しかし、パレスチナ自治区ガザに住む多くの一般人までもが標的となり、すでに1万人以上が犠牲になっているのが現状だ。「アメリカの働きかけで5日間停戦することになりました。が、イスラエル側は人質の解放や物資の搬入は認めたものの、それ以上のことはしない、と。非常に残念なことですが、少なくとも年内に終わることはないだろう」
池上さんは生徒たちに「いま世界で起きている戦争やさまざまな問題を理解するためには、その背景となる歴史を学ぶことが大事なんだ」と話し、イスラエルとパレスチナ自治区がある地域の歴史について、解説を進めていく。
この問題を根深くしているのが、宗教の歴史だ。「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も、唯一絶対の神がこの世を創ったという『一神教』を信仰している。つまり三つの宗教の神様はみんな同じ」と池上さん。いずれも聖地はエルサレム。イスラエルもパレスチナも自国の首都だと主張している。最初にユダヤ教が生まれ、ユダヤ教徒だったイエスがユダヤ教の改革を進めようとし、結果、当時パレスチナ地方を支配していたローマ帝国によってイエスは処刑された。しかしその後、イエスを救世主とする信者が増えキリスト教徒となり、やがてローマ帝国はキリスト教を国教とすることになる。
「ユダヤ人たちはローマ帝国の圧政に耐えかね、反乱を起こした。この『ユダヤ戦争』に敗北し、ユダヤ人は住む場所を奪われ世界のあちこちに追い払われた。それが『ディアスポラ(離散)』です」
ユダヤ人は故国を失っただけでなく、移り住んだ先で激しい差別を受けることになる。キリスト教社会となったヨーロッパにおいては「イエス・キリストを死刑に追いやった」と、中世以降、迫害され続けた。そして第2次世界大戦下、ヒトラー率いるナチスドイツによって600万人ものユダヤ人が大虐殺された「ホロコースト」へとつながっていく。
『アンネの日記』が語りかけるものとは
世界中の人たちがこの悲劇を知るきっかけとなったのが、『アンネの日記』。池上さんが「読んだ人は?」とたずねると、挙がった手はパラパラ。「僕は大学生のときに読んだ。ナチスに追われオランダの屋根裏部屋で暮らしていたアンネが、やはり逃げてきたペーターという少年に淡い恋心を抱く。当時、悲しい初恋の物語として受け止めました」と、自身の青春時代を振り返る。しかしジャーナリストとなって世界を取材し、宗教の歴史を学んだ上で改めて読むと、全く違う光景が見えたという。
「かわいそうな少女のお話だと思っていたら、実はアンネの中にユダヤ人としての自覚が生まれ、戦争が終わったらユダヤ人として生きていくんだという決断の書だったんだ、と。本はいつ読むかによって感じ方、見え方が変わる、ということなんだね」
アンネをはじめ多くのユダヤ人が犠牲となり、第2次世界大戦は終わった。長い間の差別や迫害、そして大量虐殺という悲劇を経験したユダヤ人は「自分たちの国を故国があった場所に作りたい」と強く望むように。世界、特にヨーロッパでは「見て見ぬふりをしてきた」という贖罪(しょくざい)の思いもあり、ユダヤ人への同情が広がった。そして1948年、国連が決議し、かつてユダヤ人の王国があったパレスチナに新しい国「イスラエル」が誕生した。
しかし、周りのアラブ諸国は自分たちが長年暮らしてきた場所にユダヤ人の国ができることに強く反発。第1次中東戦争が勃発し、パレスチナに住むアラブ系住民は住む場所を追われ、ヨルダン川西岸地区やガザ地区、ヨルダンやシリアなどの周辺諸国に逃れ「パレスチナ難民」となった。こうして現在に至るまで、この地域ではさまざまな軍事的な衝突が繰り返されてきた。
事前に生徒から寄せられた「なぜアメリカはイスラエルの味方をするんですか?」という質問に触れ、池上さんは解説を続ける。
「実はアメリカには、イスラエルに住んでいるのとほぼ同じだけのユダヤ系アメリカ人がいて、金融、GoogleやマイクロソフトなどのIT企業、ニューヨーク・タイムズなどメディア、そしてハリウッドをはじめとするエンターテインメントと、さまざまな業界に成功者がたくさんいる。そういう人たちが民主党にも共和党にも莫大(ばくだい)な政治献金をすることで選挙運動が有利に。だから、バイデン大統領はもちろん、トランプ前大統領も『イスラエルを支援する』と表明している」
話はアメリカの選挙制度に。小選挙区制のアメリカでは、下院議員も上院議員も当選するのは選挙区で1人だけ。もしイスラエルに批判的な意見を掲げると、ユダヤ系からの献金が手に入らなくなるだけでなく、その莫大な献金が対立候補に流れ落選してしまう可能性も。また、実に国民の4分の1を「聖書に書かれていることは絶対」というキリスト教福音派と呼ばれる人たちが占めている。このアメリカ最大の宗教勢力がイスラエルを支持すべきだと考えている。「トランプ前大統領は福音派を味方につけたから当選できたと言われており、無視できない存在。イスラエルとハマスの関係が、実はアメリカの政治体制にも大きな影響を及ぼしている」と池上さん。
対してイスラエルは完全比例代表制を導入している。「イスラエルの国民の中には『パレスチナなんて認めない』という強硬派もいれば、『二つの国が平和に共存すればいい』という穏健派もいる。また、実は2割ぐらいアラブ系の国民がいて政治活動をしている人もいる。いろんな立場、考え方の人がいて、結果、イスラエルの中にはたくさんの小さな政党ができ、1党だけでは政権が維持できない。どんな政党と政党が組むかで政権の方針は変わってくる」と池上さん。超強硬派であるネタニヤフ首相は考えを同じくする政党と連携し、極右政権に。結果、ハマスの攻撃に対して激しい報復を展開している」と解説。
「小選挙区制は国民の意思が明確な形で表され、安定した政権になるが、当選に結び付かない『死票』が増える。一方、比例代表制は死票は少なくなり、いろんな考え方を国政に反映できる半面、少数の極端な意見も取り入れざるを得なくなり、政権は非常に不安定に。一長一短があり、日本はある意味妥協して小選挙区比例代表並立制を採用している。こうしてみると、イスラエルとパレスチナの歴史から各国の選挙制度を知り、日本の選挙制度も考えるきっかけにも。自分たちの問題としてとらえることができる、というわけだね」
戦争、始めるのは簡単だけど、終わらせるのは…。
休憩を挟んだ後半では、「戦争を終わらせるにはどうしたらいいのですか?」という質問が飛んだ。池上さんは、ロシアのウクライナ侵攻、朝鮮戦争、さらには太平洋戦争のきっかけとなった日本軍の真珠湾攻撃などを例に、「簡単に勝てると見込んで戦争を始めてしまうが、いつの間にかズルズルと泥沼に。戦争は始めるのは簡単だけど、終わらせるのはとても難しい」とし、「歴史から学ぶべきなのに、必ずしもそれができていない。それが現実なんだ」と語った。
すでに授業でも世界史を勉強した生徒も多く、「スペイン内戦のときのような国際義勇軍は入っているのですか?」「パレスチナ問題は『イギリスの二枚舌外交が原因』と学んだのですが、今イギリスはこの衝突をどう考えている?」といった深い質問も。「ちゃんと勉強してるね!」と池上さんは感心した様子。さらには、「中国が台湾に侵攻したら日本が取るべき外交政策は?」「消費税増税はすべきではないのでは?」「AIはどうあるべき?」といった、世の中で起きているさまざまな問題に関する疑問質問が次々とぶつけられた。池上さんは一つひとつに丁寧に答えた上で、こう続ける。
「イスラエルとハマスの衝突についてのみんなの質問から始まった授業が、宗教の歴史、アメリカの政治体制や選挙制度、日本の安保問題に消費税、さらには生成AIとの向き合い方まで、どんどん広がっていった。つまり、すべてはつながっているということ」
今回の授業の内容は、日本史や世界史、現代社会、公民や公共といった中学や高校での学びが基礎となるが、池上さんは「みんなが疑問に思ったように、どうしたら戦争を終わらせられるのか、戦争をなくすためにどうしたらいいのかといったことを考えるためは、教科書に出ているさまざまな事柄や情報をつなぐことが重要。その役割をしてくれるのが本なんだ。色々な本を読むことで、あの話とこの話がここで結びつくのかと気づき、知識が有機的に広がっていく。それがこれから君たちが社会に出て生きていく上で大きな力になる。だから、たくさんの本を読んでほしい」とエールを送った。
最後に笑顔でひとこと。
「まずは『アンネの日記』を読んでね(笑)」
生徒たちの感想は…
春日井千尋さん(1年)「『どんなできごともつながっている』ということにびっくりし、でもとても納得できました。今のニュースも歴史をたどっていけばつながりが見えてくる。歴史の授業への向き合い方が変わりそうです」
三木悠暉さん(2年)「戦争にはどちらにも『正義』があり、外側から見ている者がどうとらえるべきか、難しいと感じました。これまでニュースには受け身でしたが、もっと能動的に見ていきたい」