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小泉吉宏「大摑源氏物語 まろ、ん?」 「原作」にはない独特の味わい

 「源氏物語は長くて読めません」「人間関係が難しいです」などと学生に泣きつかれるたびに、きまってこの本を差し出した。みな律義に返してくれたから、まだ手もとにある。刊行の二カ月後、二〇〇二年四月のもので、第五刷とある。

 見開き二頁(ページ)八コマの漫画で各巻のあらすじを示し、読解に必要な風俗などの豆知識を補足する。夕顔からの「心あてに」の歌、若紫を見出(みいだ)だした光源氏の「手に摘みて」の歌、末摘花の驚くべき容貌(ようぼう)の描写など、随所に和歌や古文も差しはさまれる。時に贈答歌の形で載せては、クライマックスの昂揚(こうよう)を掬(すく)い取る。昨今巷(ちまた)にあふれる概説書や図解本の、堂々たる元祖ダイジェスト本である。

 男性の顔が栗や豆なのでエンドウ豆の系統図よろしく、親子や兄弟などの血筋が一目でわかる仕掛けが嬉(うれ)しい。もちろん栗だからマロン、そこに自分を意味する「まろ」を掛けるから、ことに最初の方は「まろ」の一人称語りに見える。一九九〇年代刊行の橋本治『窯変 源氏物語』の、光源氏の一人称語りの流れを受けたものか。光源氏の「癖」や出家願望を解説するなど、源氏研究の本格的な成果も取り込む。あくまで光源氏の物語として描く姿勢は、女の物語として源氏物語を再生させた『あさきゆめみし』とは対極的である。

 「まろ」は物語が進展するにつれ他の人物たちに紛れて、次第に三人称的な固有名に見えてくる。この語りの抑揚は、光源氏の主人公性が変質していく原作の物語を、思わぬ方法で再現していて実に見事だ。

 栗にされて美貌(びぼう)を失った男主人公は、人間の顔をした女たちよりもはるかに情感豊かに生き生きしている。逢瀬(おうせ)の後に「しちゃった」と言う「まろ」の表情には、原作の物語にない独特の味わいがあって、私の一番のお気に入りである。

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 幻冬舎・1760円。02年2月刊。41刷20万部。「かわいくて手に取りやすいのに、内容は本格的。そのギャップが良いのかな」と担当者。著者は90年代にヒットした漫画『ブッタとシッタカブッタ』の作者でもある。