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令和の時代の〈村ホラー〉を楽しむ3冊 横溝正史的世界を鮮やかに転換

大正、昭和、現代と舞台を変え、ジャンルを超えた

『鬼神の檻』(ハヤカワ文庫)は、一昨年『そして、よみがえる世界。』でデビューした西式豊の第2作。SFミステリであった前作からは一転、新作では不気味な村ホラーに挑戦している。

 舞台は秋田県の中央にある御荷守(おにもり)村。貴神様という謎の神を祀るこの村では50年に一度、有力者の娘が神に嫁ぐという儀式が執り行われていた。大正12年、他の候補者たちがスペイン風邪で急逝したことにより、貴神の花嫁に選ばれた北白真棹(まさお)は、神社の座敷牢に閉じこめられてしまう。彼女に想いを寄せる軍人の助けによってなんとか脱出できた真棹だったが、まるで化け物のような貴神が村人たちを血祭りにあげながら、背後から追ってくる……。

 物語は3部構成で、絵に描いたような村ホラーが展開する大正編、村の有力者の娘たちがバラバラ殺人の被害者となる昭和戦後編、そして一連の事件の真相が明かされる現代編と、3つの時代が描かれる。時の流れとともに村の貴神信仰は形を変えていくが、その根底にある人間の暗い欲望だけは変わらない。真新しいビルが建ち並ぶ都会であっても、一皮むけば大正時代の因習村とそれほど違いはないのではないか。そんな批評的なまなざしを備えることで、書き尽くされた村ホラーに新たな一石を投じた野心作だ。伝奇ホラーから横溝正史風の本格ミステリ、そしてまた別のジャンルへと脱皮してゆく、構成の斬新さも大きな読みどころである。

ホラーとミステリが融合した秀作

 阿泉来堂『僕は■■が書けない 朽無村の怪談会』(PHP文芸文庫)の舞台、朽無(くちなし)村には奇妙な言い伝えがある。「通夜の晩に怪談会をすると死者の魂が甦る」というのだ。スランプに陥ったホラー作家の「僕」は担当編集者に連れられ、オカルトに傾倒していた村の名士・古柳哲郎の通夜に参加する。

 故人の遺志で開かれた怪談会では、3人の語り手がそれぞれ朽無村にまつわる怪談を語っていく。廃校に現れた水死人の霊、開かずの間での惨劇、山に棲むあやかしの少女。語り手が体験したという怪談はどれも緊迫感に満ちており、恐怖度も満点。ここだけ取り出しても村ホラーとして立派に成立するものだ。

 この作品が面白いのは、怪談会の立会人に心霊現象をまったく信じない自称・ミステリ脳の作家を配したところだろう。ホラーよりむしろミステリが好きな「僕」は、普通なら見過ごしてしまいそうな矛盾を突き、怪談に隠されている真実を暴き出す。おどろおどろしい怪談が、論理のメスによって鮮やかに解体されるくだりには思わず唸る。

 では死者が甦るという、村の言い伝え自体もでたらめなのだろうか? そもそも故人はなぜこんな怪談会を催したのか? その答えは驚愕の最終章を読んでのお楽しみだが、オカルトが好きな人も失望させられることはないと保証しておこう。恐怖とどんでん返しとユーモアという阿泉来堂の持ち味がうまくブレンドされた、ホラーミステリの秀作だ。

令和のホラーブームを対談で一望

 怪しい村を扱ったホラーは近年特に人気が高く、小説でもマンガでも次々に新作が生まれている。この現象を考えるうえで有益なのが、吉田悠軌編著『ジャパン・ホラーの現在地』(集英社)だ。怪談作家でオカルト研究家の吉田悠軌が、各界で活躍するクリエイターと現代のホラーを特徴づけるテーマについて語りあった対談集。この中の「汲めども尽きぬ『民俗ホラー』という土壌」の章が、本稿で取り上げた村ホラーと深く関連する。

 吉田と対談相手の作家・澤村伊智、國學院大教授・飯倉義之がそれぞれ述べているように、民俗ホラーのルーツは実はそこまで古いものではない。1970年代の横溝正史ブームに端を発し、90年代の国産ホラー小説、ゼロ年代のネット怪談などによって徐々にイメージが形づくられてきたものだ。その根底には失われた風景へのロマンがあるが、一方で地方を分かりやすいイメージに当てはめ、消費するという弊害も起こっている。こうした歴史的経緯や指摘があることは、村ホラーの愛好家も知っておいて損はないだろう。

 本書には他にもモキュメンタリーや実話怪談などのテーマが取り上げられており、豊饒のホラーシーンを俯瞰できる一冊となっている。そもそもこうしたマニアックな対談集が刊行されること自体、昨今のホラーの盛り上がりを証明するものだろう。