

「パンクロックの女王」として知られる米国の歌手で詩人のパティ・スミスさん(78)が広島を訪問し、被爆者の小倉桂子さん(87)と対話した。父は日本軍と戦った兵士だったというスミスさんは、被爆者に何を語ったのか。
スミスさんは1946年、シカゴの労働者階級に生まれた。ボブ・ディランにあこがれ、工場で働きながら詩を書いた。71年に詩人としてデビュー。アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズらビート詩人・作家と交流し、影響を受けた。75年に初のアルバム「ホーセス」(Horses)でニューヨークパンクを代表する存在に。2016年にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した際、代わりに授賞式に出たことでも知られる。
今回、詩の朗読公演のため来日中だった4月28日に広島市を訪問。友人を介して知り合った小倉さんと平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑に献花し、深々と頭を下げた。その後、小倉さんが代表を務める通訳ボランティア団体「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」などが主催する対話イベントに臨んだ。

会場となった平和記念資料館の地下ホールで、スミスさんは父の思い出に触れた。第2次世界大戦中、米兵としてフィリピン、ニューギニアで日本兵と戦った父は広島と長崎への原爆投下を知って涙が止まらず、生涯、日本への贖罪(しょくざい)の気持ちを持ち続けた。まだ幼かったスミスさんに、何度もそう話して聞かせたという。
「私は今日、父に代わって許しを請うためにこの地へ来た」とスミスさん。「広島、長崎で起きたことについてまだ十分に涙が流されていないことは知っているけれど、私の家では多くの涙が流された。本当にごめんなさい。(原爆投下は)私の身に起きたことではないけれど、私の一部になっているできごとです」
核兵器について「私の国では核兵器は(防衛手段の)可能性として語られる。だが、核は破滅以外何ももたらさない」と強調。「語り続けなければならない。死者を忘れてはならない」と話した。
また、代表曲「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」(People Have the Power)の歌詞を暗唱。「人々にはその力がある」と抑揚を変えながら繰り返し訴えた。「私たちは連帯しなければならない。心折れるようなできごとばかりの世界だけれど、あきらめてはいけない」と語りかけた。
8歳で被爆した小倉さんは世界に向けて英語で被爆証言を続ける。この日も原爆による爆風で地面にたたき付けられ意識を失ったこと、毎日死者が出たことを伝え、最後に思いの丈を語った。
「私たちはたった一滴の水。でもしずくが集まれば大きな海になる。海は大陸同士を、そして世界をつなぐのです」(興野優平)=朝日新聞2025年05月21日掲載
