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【谷原店長のオススメ】くらもちふさこ「おばけたんご」 思春期の微妙な心のありよう、映像的に描く

谷原章介さん=松嶋愛撮影

 「谷原書店」に古今の名作漫画をご紹介する「谷原書店・漫画部」がオープンしました。初回は僕が最も好きな作家、くらもちふさこさんの『おばけたんご』を紹介したいと思います。

 くらもちふさこさんは、他のどんな漫画家とも異なり、「くらもちふさこ」という独自のジャンルを築いてきた作家だと僕は思っています。『おしゃべり階段』、『Kiss+πr2』、『海の天辺』、『A-Girl』、『アンコールが3回』、『天然コケッコー』……、好きな作品はいくらでも挙げられるのですが、とりわけ『おばけたんご』は映像的な美しさとストーリーが際立ち、忘れられない情景の多い素敵な作品です。

 7歳の主人公・憧子(あこ)ちゃんには、親が決めた婚約者・端午(たんご)くんという存在がいました。「憧子は、大きくなったら端午君のお嫁さんになるのよ」。おばばの言葉に、「およめさんになれば、おっきくなってもずうっと、たんごとムシとりや、たんけんごっこができるゾ」と反応する無垢な憧子ちゃんです。ところが、ある夏の日、自動車同士の交通事故が起き、端午くんはこの世を去ってしまいます。その事故の相手の車に乗っていて、生死をさまよった末に蘇った少年・陸朗(りくろう)くんは、両親を失ってしまいました。陸朗くんは、亡くなった端午くんの家の強い要望で養子として引き取られ、憧子ちゃんの新たな婚約者になるのです。

 中学、高校生と成長していくにつれ、眩しい存在になっていく陸朗くん。周囲から愛され、誰に対しても優しく誠実な陸朗くんに対し、「自分は釣り合っていない」と感じる憧子ちゃんは、しだいに引け目を感じていきます。そして――。

 この物語では後半になって、独特な展開を見せていきます。それは、あの時の交通事故で端午くんが命を失うことなく、そして陸朗くんと距離ができている憧子ちゃんの物語です。これは一体、何を意味するのでしょう。パラレルワールドなのでしょうか。それとも、憧子ちゃんが見た白昼夢なのでしょうか。僕自身は、「白昼夢かな」と思って読みました。つまり、「今、自分がどれだけ幸せな状況にあるのか」を、白昼夢を見ることによって憧子ちゃんは改めて見つめ直したのでしょう。そんな思春期特有の、微妙な心のありようのなかで、逃げることをせずに、陸朗くんを好きな自分ときちんと向き合っていく。それを決心する展開なのではないか。そう解釈しています。

 人生は誰しも、数えきれないほど様々な選択の末に今の自分があります。「あの時、あの選択をしなかったら、今、どうなっているのか」。僕ら誰もがそんなことを考える瞬間があると思います。この物語で憧子ちゃんは、陸朗くんと婚約者であることは喜ばしいけれども、重荷にも感じています。思春期の複雑な葛藤のなかを生きています。自分で自分を苦しめる状況から卒業し、大人になることを宣言する物語なのでは、と思います。過去にした選択が今をつくる。その選択の果てに、今、ここにいる自分を肯定することの大事さを説いているのだと思います。

 憧子ちゃんは、皆が振り返るような美しさを持っているわけでもなく、勉強が特にできるわけでもありません。かといって、劣っている存在でもない。そんな平凡な憧子ちゃんが、平凡であるがゆえの悩みを抱えている。そういうキャラクターは、くらもちさんの作品に多い気がします。

 くらもちさんの作品は、なかなか映像化されません。ファンとしては、映像作品も観てみたい。けれども同時に、映像化されたら、この独特の世界観が壊れてしまう可能性もある。くらもちさんの物語はどれも、彼女の画でなければ成立しない、そんな独特の「画角」があります。特に『おばけたんご』では、起きている物事すべてを表現していません。「余白の美」とでも言うのでしょうか、「描かない」ことによって、むしろ読む人の想像を膨らませ、より作品の深みを増していく。想像の中に物語がどんどん膨らんでいく意味でも、とても映像的な作品だと思います。

 思春期になって、自分で自分がコントロールできない精神状態と向き合って、それでも一歩足を踏み出していく。そんな憧子ちゃんの心を見事に描き切った成長物語です。

あわせて読みたい

 くらもちさんの作品は、どれもご紹介したいものばかりです。『海の天辺』は、教師に恋心を抱く女子中学生の物語。『アンコールが3回』では、トップアイドルとマネジャーの恋を通じ、芸能界を生き抜く辛さ、美学を描いています。『天然コケッコー』は絶対読むべきです。山あいの村に住む主人公・そよと、都会から転校してきた大沢くんを軸に、登場するキャラクター全員のことをきっと好きになるはずです。

「谷原書店・漫画部」では今後、現在進行形、リアルタイムで読んでいる漫画作品を紹介することもあるかも知れませんが、漫画を語るうえでの「原点」として欠かせない少年・少女、青年漫画の名作を、皆さんにご紹介し、読んでほしいと考えています。時間が経つにつれ、言葉遣いが古くなって読みづらくなる小説があるのと同様に、漫画でも、発表当時の世界観や流行の設定が、しだいに読みづらくなっていくこともあると思います。手塚治虫作品が誰しも認める名作でありながら、必ずしも万人に「読みやすい」わけではないように。この「漫画部」では、漫画の技術的な美点というよりは、物語の中身の面白いものを紹介していこうと思います。漫画との向き合い方って、その漫画作品によって異なります。今回ご紹介した、くらもちふさこさんは、とても映像的で、人間をきちんと描き切る素晴らしい作家だと思います。(構成・加賀直樹)