映画「アフター・ザ・クエイク」主演・岡田将生さんインタビュー 風化させないために、役者や作品ができること
――本作は、村上春樹さんの短編小説集から4編を選び、実写映像化した作品ですが、原作を読んだ感想を教えてください。
まず読み物として面白いなと思いました。地球上で起きる天災を風化させてはいけないということや、地震が起きた場所の人たちではなく、違う場所にいる人間たちの物語を描いているからこそより見えてくることがあって、考える瞬間がたくさんありました。ただ、何度本を読んでも分からないことが多すぎて、井上監督ともよく現場でお話していたんです。でも、分からないからこそ面白いし、思考をめぐらす余地があるので、とても大変な作業でしたが、答えは無限にあるから無理に出す必要はないかなという結論に至りました。
それに「これはこうだよね」と作っていたら型にはまるだけで面白みがないので、なるべくフラットな状態で共演者やスタッフのみなさんと思考をめぐらせながら作っていく現場は、とても好きな空間でした。
――村上作品は、映画「ドライブ・マイ・カー」に続き2作目となりますが、思考をめぐらす余地があるという点は、村上作品に共通して感じることなのでしょうか。
そうですね。「ドライブ・マイ・カー」の時も、全てを分かっていないままやっていたこともあったので、そこを俳優としてどう応えていくかが難しいところでした。急に世界が変わる瞬間があるので、その瞬間を見逃さずに自分でどう表現していくかということを考えていました。その経験は自分の俳優人生の中でも忘れられない時間で、たぶん二度とないだろうなとも思いますが、これからもそれを追い求めたいですし、だからこそこの本に参加させていただいたので、もしかしたらまたいつか出会えるのではないかという期待もあります。
――今回演じた小村は、ある日突然妻に家出され、旅先で出会う女性たちに翻弄されながら自分自身と向き合っていく役どころでしたが、岡田さんは「小村」という人物をどのようにとらえていましたか?
映画は原作と時代設定などが変わっているので、基本的には脚本をベースに考えていましたが、小村という人間は割とどこにでもいそうなキャラクターで、自分の意思をあまり持たずに、ただその場に流されていくような人だなと感じることが多かったです。そもそも、彼の意思というものがあの物語の中ではないので、小村が意志を持った時にどういう表情をするんだろうというところを自分のゴールにしていました。
ただ、小村のキャラクターについて僕が思っていることが正しいか分からないので、理解するのに時間がかかり、監督やスタッフのみなさんと話し合いながら作っていく現場は有意義でした。ただ、正解を出さないといけないという心配と不安はどこかあったので、完成した作品を見た時に、以前放送されたドラマ版で描かれているものと、それを凝縮して固めた約2時間の映画では見え方が全然違ったので、僕も映画を見て少し分かった気がします。
――物語の中で「からっぽ」がキーワードになっていますが「からっぽ」さと小村の流されやすさはリンクしていたと思いますか。
そこはまた違う表現だと思って演じていました。映画「ドライブ・マイ・カー」でもそういう言葉があったので、村上春樹さんの作品には割とよく出てくる言葉なのかなと思います。本作で言う「からっぽ」とは「自分の中身とは何だ?」ということだと思うのですが、決して「からっぽ」なことはマイナスではないし、僕も「あなたには何がありますか?」と聞かれたらどう答えていいか分からないので、自分から「からっぽなんだ」と言える勇気がすごいなと思うんです。
それは「ドライブ・マイ・カー」でも共通していて、これから埋められる「何か」があるから「からっぽ」なのかもしれない。なので、その言葉にあまり縛られてもダメだし、すごく多角的にも見える言葉だなと思います。きっと「からっぽ」な人はいないと思うので、意志を持たず、感情に抑揚がない小村だけど、最後に初めて、少しだけ彼の感情が動いているように感じる瞬間はありました。
――岡田さん自身が、最後のシーンで小村の中に「何かが起きた」と感じたのでしょうか?
小説には書かれていないのですが、恐らく何かが起きたんでしょうね。「その先に彼が見つめているものは何なのか?」がこの映画の余白になると思うので、あくまで物語全体の、そして小村の未来に対しての序章である話として楽しんでもらえたらいいなと思います。
――全体を通して印象的に登場する「箱」については様々な考えがあると思いますが、岡田さんはどのようにとらえていますか?
箱のことは聞かないでください(笑)。むしろ、僕も「この箱の中に何が入っているように見えましたか?」とみなさんに聞きたいくらいです。映画の中でも多少提示はしているんですが、多分それは正解ではないんですよね。そもそも、普通に見てもあの箱は怪しいし、それを頼まれたからといって釧路に持って行く小村もすごいなと思います。それに、わざわざ釧路まで箱を届けに来たのに、女性たちから「ラーメンでいいよね」と言われてそれに従い、食べるものも決められない小村って何なんだろう?って現場でも笑っていたんですよ。
僕は本を読んでいて、そんな彼の人間性を魅力的に感じたんですけど、いざやってみると彼の空洞を感じつつも「こういう人ってどこかに存在するよな」と思っていたし、現場でも「箱の中には一体何が入っていたんだ?」「そもそも何も入っていないんじゃないか」と、それぞれ「こうじゃないか、ああじゃないか」と議論する時間は楽しかったですね。「箱」の中のことはその人の価値観によって変わるだろうし、明確に答えを出さなくていいんじゃないかなという空間を作ってくださったので、僕はその空間に小村をどう存在させるかということを一番の目的としてやっていました。
――出演した「UFOが釧路に降りる」以外の3編で、特に気になった作品を教えてください。
見ていて一番印象に残ったのは「アイロンのある風景」ですね。家出してコンビニで働く順子(鳴海唯)が、焚き火が趣味で毎日決まったものを買っていく客の三宅(堤真一)と交流を重ねる話なのですが、三宅は以前、家族で神戸市東灘区に住んでいたことや、冷蔵庫に閉じ込められる悪夢を何度も見ていて「いつか本当に死ぬ予感がする」という話を聞くんです。その時の焚き火の炎が命そのもので、儚いんだけどすごく響くものがあって「悲しみの火」に見えたんです。この映画は約1年前に撮影したのですが、僕もここ1年で自分の人生が大きく変わっているので、以前とは違う見え方をしていました。
きっと、年齢やその時置かれている状況で見え方や感じ方が変わるところがこの作品の面白いところなのですが「アイロンのある風景」は、より自分の中で見え方や感じ方が大きく変わったなと思った作品で、焚き火のシーンはまともに見られなかったくらい、今の自分に響くエピソードでした。
自分が出演した「UFOが釧路に降りる」では、特にテレビ画面に地震で亡くなった方の名前が出てくるときに、淡々と音声だけで伝えてくるシーンが強烈でした。今でも世界では戦争が起きていて悲しい出来事があふれているけど、それをどう受け止めて、どう動けばいいのかを考えましたし、そこで何も動けないのが小村なんです。彼は少し閉じている人だけど、完全に閉じきってもいないので、これから先どう生きていくか、彼なりの判断で生活をしていかないといけない。きっと、今の自分が小村を演じたら、またちょっと違う人になっているかもしれません。
――今作は、4月に放送されたNHKドラマ「地震のあとで」にはなかった「赤い廊下」のシーンなどが追加されていますが、映画化した意義をどのように考えていますか?
赤い廊下のシーンを追加したことで、4編が時空を超えてつながっているように見えるので、今作のタイトルにある「クエイク(地震)」のことがより鮮明に描かれていると感じました。震災のことを忘れてはいけないし風化させてはいけないので、僕たち役者や制作陣が作品という形で紡いでいかなければということを一層強く思いました。自分自身にもそれが刻まれていく感じや、ハッとさせられる瞬間、教えてもらうことがたくさんあったので、それをみなさんと共有して確かめ合いながら歩んでいけることが、この映画の強みだと思っています。
それに映画は残っていくものなので、今作を10年後、20年後に見た時にまた考えることができるのが映画の良さだと思っています。今後も責任を持って取り組んでいきたいですし、今世界で起きている出来事を“流し目”で見るのではなく、自分なりの意見を持って生きていかないといけないなと常々考えるようになりました。
――「風化させないために自分たちが紡いでいく」という意識が芽生えたのはいつ頃からなのでしょうか。
元々その意識はあったのですが、役者として作品を作る意義みたいなことを口に出すのが少し恥ずかしい時期があって、今やっと素直に言えるようになってきました。
例えばこの作品がテーマとする震災に関しては、僕も当時、つらい映像や状況を見続けることができなくて、ニュースから目をそらしていたんです。でもこの作品を見終わった後に、それが果たして正解だったのか、地震という有事を一度、自分から切り離してしまっていたのではないかと考えていました。だけど今は、決してそれは間違いではなかったと思っていて、どこに視点を置くかによって、それぞれが地震のことを忘れずに生きていかないといけないというメッセージをもらった気がしますし、そこがこの映画の一番の魅力ではないかと感じています。
――村上作品特有の不可思議な場面を実写として表現する難しさを、どんなところに感じますか?
いろいろな可能性がありすぎて、自分の答えを疑ってしまい、たまに自分を失う瞬間が村上さんの作品には多いかもしれません。自分自身と向き合うということがテーマのような気がして「今すごく難しいことをやっているんだな」と本を読めば読むほど思います。それを映像にするのはすごく大変なことで、とてつもなく人間を見つめることになるので労力がいるのですが、そういう作品にチャレンジできることは俳優としてありがたいことだと思っています。
――今後挑戦してみたいジャンルの作品はありますか?
何かにあまり突出せず、オールジャンルの作品をやりたいです。東日本大震災やコロナ禍になった時、僕自身が助けられたのはエンタメなんです。特にあの時期は、僕たちの仕事は必要ないのではないかという声が多くあったけれど、やっぱりエンタメはすごく力になるし、誰かに何かが響けば次につながることや、今作のように今起きていることをどう見つめていくかを教えてくれる作品もあるので、僕もそれを探りながらいろいろなジャンルにチャレンジしたいなと思っています。
――今年出演された作品では、文科省の官僚教師が、令和の高校生たちと日本教育の現場に蔓延る権力に立ち向う姿を描いた日曜劇場「御上先生」(TBS系列)も、視聴者に深い問いを投げかけた作品でしたね。
「御上先生」も、テーマを知ることによってきっと皆さんの意識が変わったと思いますし、そういうニュースが流れた時に見る観点が変わったと思うので、今作とどこか同じような匂いを感じました。ああいった社会派の作品をどうエンタメに昇華していくかが難しいところなので、日曜劇場でこれを作ろうと思った製作陣やスタッフの皆さんはすごいなと思いましたし、意義のある作品だったと思います。
――前回「ゴールド・ボーイ」でインタビューした際、高野和明さんの『ジェノサイド』をおすすめいただきましたが、最近読んで面白かった本を教えてください。
実は最近、全然本を読めていなくて、ちょっと思い出す時間をください……。あぁ、何も出てこないです。申し訳ない!
――いえいえ! では、私から勝手に岡田さんにおすすめしてもいいですか?
それは新しい (笑)! 僕が前回挙げたので、おすすめ本の情報交換、いいですね。
――ミステリー好きとのことなので、以前、染谷将太さんに教えていただいた『そしてミランダを殺す』(ピーター・スワンソン著、務台夏子訳、創元推理文庫)などはいかがでしょう?
あ! 僕その本持っているかもしれないです。じゃあそれを読んだ感想を次に僕がインタビューを受けるときや、いつかどこかでお伝えしますね。