虫に胸躍る、年重ねても 青来有一
ゆるやかな坂道の路肩に咲いていた彼岸花も枯れてきましたが、歩道の生垣(いけがき)には赤っぽいこまかな葉と混じりあって、可憐(かれん)な小さな白い花がまだたくさん咲いています。
マンションの生垣としてもよく見る花で、スマホで撮影して調べると「アベリア」のようです。5月から11月頃まで長く咲き、そういえば夏にもその花は咲いていて、アゲハチョウがまといついて、細い口吻(こうふん)で花の蜜を吸っていたり、ミツバチのお尻がもぞもぞと動いていたりもしました。
森や林もない市街地でもセミやチョウなど虫との出会いは思いのほか多いのですが、それでも、もう長く姿を見ない虫たちも少なくありません。
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小学生の頃の夏、シダレヤナギが風になびく川沿いの道路を歩いていたら、シャツの胸に大きな虫が飛んできてぴたりととまったことがありました。「うわっ!」と叫んでよく見たらシロスジカミキリです。黒い複眼の大きな頭部は兜(かぶと)を思わせ、名前の由来の紙どころか、指先を噛(か)まれたら血がにじむ鋭いあごがあり、触角は弓なりにしなっています。黒い翅(はね)に白い斑点がある、小ぶりのゴマダラカミキリはよく見ましたが、シロスジカミキリには出会うことは多くはありませんでした。
頭と胴体の接合部、首の部分を動かしてギイギイと鳴き、虫嫌いのひとは気味悪さに卒倒しかねないくらいですが、昆虫が大好きな少年は、その大きさといい、邪悪で凶暴とも感じさせる顔の造りといい、ある種の美を感じていたと思います。
タマムシの輝きも忘れられません。公園の草むらを這(は)っていたのを捕まえたことがあります。アーモンドのかたちの細長い昆虫で、硬いメタリックな質感の翅は、緑や赤、青、黄色のすじが走り、見る角度によって光が干渉して輝きが変わり、色調も変化します。古来より工芸品に使われてきた翅の色と輝きです。
大きなギンヤンマが肩をかすめたこともありました。複眼もふくめ、全体がエメラルドグリーンで、尾の根元の明るい水色との対比が鮮やかで、肩をかすめる瞬間、頭をちょっと傾けてじろりとにらみ、目が合ったと騒いだこともありました。
神社の鎮守の森の小道では濃く深い群青に赤い模様がはいったハンミョウが足もとから飛びたちました。数歩先の地面にとまり、近づくとまた少し先まで飛び、どこかへ誘われていくようなふしぎな心持ちになったこともあります。
大人になってペットショップでケースの中のシロスジカミキリを見ましたが、貧相な枯れ枝のようでなんとなく哀れにも寂しくも感じました。子どもの頃の虫たちの記憶は、たぶん、当時の感じ方やスケール感によって美化されているのでしょう。
シロスジカミキリもギンヤンマもタマムシもハンミョウも、子ども特有の驚きや感動、感受性で、そのかたちも色も存在感も誇張された、ある意味で想像力の産物であり、夏に虫たちを見かけなくなったのは、数が減少したのもまちがいないはずですが、自分が変わったこともあるのでしょう。年齢を重ねて驚きも感動も乏しい毎日を過ごしているのかもしれません。
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アベリアの生垣に沿って再び坂道を歩き始めた時、ふいに飛んできた虫が花を品定めするかのように宙で静止してホバリングを始めました。
スズメガのなかまのオオスカシバです。うぐいす色のふさふさとしたゴージャスな細かい毛に頭部から胸部はおおわれ、尻尾の根もとあたりに帯となった赤の差し色が目立ちます。ハチドリを思わせる存在感のある美しいスズメガで、ずいぶんと久しぶりに見ました。
おお、元気だったかと再会に胸が躍り、宙にホバリングして浮いている一瞬をカメラに撮り、心にも焼きつけました。=朝日新聞2024年11月3日掲載