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鴻巣友季子の文学潮流(第37回) 「ハムネット」など古典のリトールドで見えてくるもの

©GettyImages

『嵐が丘』の新解釈映画や、シェイクスピアの妻アン(アグネス)・ハサウェイを主人公にしたクロエ・ジャオ監督の映画『ハムネット』が話題になっている。今月は古典のリトールド(retold)作品をとりあげたい。

 アン・ハサウェイはソクラテスの妻クサンティッペなどと並んで悪妻の代名詞として知られてきた。「無知な百姓あがりの年増女で、18歳の天才少年をたぶらかして結婚し、夫に疎まれていた」というのが、概ね流布した彼女の人物像だろう。ひどいものだ。

 綿密な調査をもとにこの悪妻像を覆したのがマギー・オファーレルの『ハムネット』(小竹由美子訳、新潮クレストブックス)だった。同作でアンは養蜂、鷹匠術、薬草作りにも通じた非凡な女性として語り直される。

 1580年代に始まる物語の背景にはペスト禍がある。題名のハムネットとは、幼少期にこの病で没した夫婦の息子の名だ。シェイクスピアは亡くした息子とそっくりの名をのちに自らの悲劇「ハムレット」に用いたことになる。それはなぜか? シェイクスピアが得意とする劇中劇がこの小説のクライマックスとなり、身代わりのモティーフが救済をもたらす。

 本書で描きだされるのは、劇作家として大成功する男性と、薬草・毒草にも通じた博識の多才な女性という、対等なパートナー関係だ。そう、シェイクスピア劇にしばしば使われる毒薬の知識も、妻から得たのではないかとオファーレルは推測したのだ。

 昔から卓越した才能をもつ女性は大抵、男性芸術家にインスピレーションを与えるミューズや協力者として利用されつつ、悪妻・悪女・狂女の烙印を押されてきたが、『ハムネット』はそうしたステレオタイプを打破する傑作だ。

 古典の語り直しは社会的な批評や風刺をはらむ。たとえば、グレタ・ガーウィグ監督の「ストーリー・オブ・マイライフ~わたしの若草物語~」(2020年日本公開)なども、19世紀中葉の米国北部を舞台にしたルイーザ・メイ・オルコットの「若草物語」の新翻案だが、4姉妹の女性が直面する男性社会の壁とキャリアパスという点にもフォーカスが置かれていた。

 ガーウィグ監督は同映画で、虚と実を三重の入れ子構造の物語へとあざやかに組み換えてみせた。オルコットの人生と願望をジョーの人生に投影し、ジョーに求められた役割を彼女の小説の作中人物に担わせ、こうして物語のレイヤーを一層ずらすことで、映画は『若草物語』に忠実でありながら、新しい地平へと飛翔した。オルコットが自分の分身として次女役のジョーに託したくても託せなかったことを、現代の女性監督ガーウィグが映画のなかで実現させた形だ。古典の超絶技巧新訳である。

トロイ戦争を女性の視点で

 さて、今世紀初め頃からつづく英米におけるリトールドブームで人気の三大題材と言えば、ギリシア・ローマ神話、トロイ戦争、シェイクスピア劇。つまり、男性目線で書かれ、男性キャラクターの役割の比重が圧倒的に大きい世界線であり作品群である。これを、女性、弱者、少数者の視点から語り直す。

 パット・バーカーの『女たちの沈黙』につづく『トロイの女たち』(いずれも北村みちよ訳、早川書房)も、みごとにその系譜に当てはまる作品だ。よく言われるように、トロイ戦争は絶世の美女ヘレネーと敵軍の王子との情事を発端とし、『イリアド』は戦利品として捕えられた女性ブリセイスの奪い合いによるアキレウスの怒りから始まる。女性とそれにまつわる名誉をめぐる戦争でもあるのだが――そして、それが西洋文学の起点になってきたのだが――女性たちはまったく声を与えられず、沈黙を強いられてきた。

『女たちの沈黙』は、奪い合われた女性たちがなにを感じ、なにに抗っていたのかを明らかにした。奴隷でいることの屈辱より死を選ぶ者もいれば、艱難の末に生きることを選ぶ者いる。女と一括りにできない多様な生がそこにはあることを明らかにした。

 そして本作『トロイの女たち』はあのトロイの木馬作戦にまつわる物語をリトールドする。この木馬の逸話は非常に有名だが、じつは戦争を詠った『イリアド』には一切出てこない(戦争が終わる前に幕を閉じる)。この話が出てくるのは戦争終結後、オデュッセイアの長い長い帰還の旅を詠った『オデュッセイア』のほうだ。しかも回想の語りのなかで触れられるのである。

 バーカーはこの部分を大きく展開させた。戦利品としてアキレウスのもとにいたブリセイスの一人称視点が主だが、アキレウスの息子ピュロスの視点で語られる三人称のパートもある。

 本作で語り直される人物として面白い一人が、このピュロスだろう。勇士アキレウスの血を引き、知勇兼備の将として活躍したとされ、トロイア陥落時にはプリアモス王を惨殺し、かつての敵将ヘクトルの遺児を城壁から投げて殺すなど、しごく冷血で残酷な性格でも知られる。

 ところが、『トロイの女たち』に登場するピュロスは自信のなさと劣等感を抱えた男である。まず、トロイの木馬に潜んでいる冒頭の場面からわりとへたれている。勇猛な父のようになれない不安と緊張からか、便意を催しているのだ。「なんてこった、糞がしたい」。部下たちの尊敬を勝ちとるには、この戦いで絶対に武勲をあげねばならないのに。

 そして、いざプリアモス王と対決しても、『アエネーイス』などの叙事詩で語られるような勇猛な圧巻の戦いぶりではない。何度もとどめを刺しそこねて、敵王に苦笑されたりする。しかし弱いからこそピュロスは男として虚勢を張り、ことさら残忍に振る舞うのだ。

浮かび上がる男性の弱さ

 一方、ついに声を与えられたブリセイスは、アキレウスの子どもを身ごもっているという設定だ。『イリアス』では、ブリセイスに親身に接し、アキレウスが死んだら彼女との結婚を約束していたのは親友パトロクロスだったが、『女たちの沈黙』の終盤すでに戦死しているため、後釜の役を作者はアキレウスの忠臣アルキモスに割り当てている。アキレウスの死後、ブリセイスはどうなったかという謎に、一つのヴィジョンを提示した形である。

 ブリセイスは召使いの10代の女性アミーナと仲良くなり、ふたりはある日、浜辺でブリアモスの亡骸に遭遇する。ピュロスが自らの名声を高めるために、あえて無慈悲な始末の仕方をさせたのだ。アミーナはひとの尊厳を守るために果敢に行動し、ブリセイスは彼女を守ろうとする。ここにホメロスの英雄叙事詩では描き得なかった、現代小説らしい陰の人たちのドラマが展開する。

 ここでまたピュロスの抱える不安定さが彼に冷酷な行動をとらせるが、この先に本作の核心がある。アキレウスとプリアモスという敵同士の間には客友関係が築かれていたという説を、バーカーは大きく膨らませるのだ。アキレスはトロイアの将ヘクトルに親友パトロクロスを殺されたとき、ヘクトルを槍で殺した後、遺骸を戦車にくくりつけて市中を引き回すという凄惨な復讐を遂げた。しかしヘクトルの父プリアモス王が遺体の引き取りにやってきて懇願すると、アキレウスは涙を流して(敵王に自らの父の姿を重ねた)丁重にもてなし、遺体を丁寧に清めさせて返したという言い伝えがある。

『トロイの女たち』ではこのような経緯をもとに、予言者や神官たちが行動に出る。ピュロスの王殺しにどのような裁定がくだされるのか……。

 本作は女性を視点人物として語り直しながら、意外にも痛烈に浮かび上がるのは、男性の弱さやコンプレックスからくる脅迫観念、名誉欲、復讐心ではないか。近年次々と刊行されているトロイ戦争の語り直し作のなかでも秀逸な一作だと思う。ぜひ前作の『女たちの沈黙』と併せてお読みいただきたい。